5-11

 机の上には各地で集めてきた色とりどりの云壜が並んでいた。これでようやく『あの日』一緒にいた全員が揃う。不均等に揺らめく炎を眺めていると。まるで静かに凪ぐ海辺に立っているような気分だった。

「何を全部終わったみたいな顔しているんだ。まだ最後の一人が残っているじゃないか」

二十一名のうち、いなくなってしまった三人を除き、十七人分の云壜がここにはあった。そして残る一人は、他でもない僕自身だ。

「結局最後までうじうじと残ったのは君だったわけだが、いい加減心はきまったのかい?」

「うん。遅くなってごめん」

 僕はみんなの元を回り、心の中を旅しながら、ずっと自分自身の心を探していた。アリサが教えてくれたそれを、自分の手で見つけるために。

「頼むよ」

 向かい合って座り、ロベルトはあらかじめ用意していた空の壜と想い石を取り出す。

「無色透明。君にピッタリだろう」

 彼が持ってきたのは、何の変哲もない壜と、何色にも染まっていない透明の石だった。それなりに云壜屋として仕事をしてきたつもりだけれど、こんなに透き通った石は見たことがない。まるで山中の川を下る流水のようで、吸い込んだ光を淀みなく反射している。

 どういった意味を込めて彼がそれを選んだのかはわからなかったが、その澄んだ石を見ていると不思議と落ち着くような気がする。水面に映った自分を見ている感覚に近い。安堵と、わずかな恥ずかしさがあった。

 目を瞑り、お互いの手を重ねる。思えば、こうして誰かを自分の心の中に招き入れるのは初めてだった。いつも自分がやっていることのはずなのに、少しだけ怖い。

「そう強張ることはない。僕に任せておけばいいさ」

 そんな僕に気を遣って、ロベルトはそっと声をかけてくれた。しかし、あまりに自信に満ちたロベルトの言葉を聞いて、思わず吹き出してしまいそうになる。どこまでもすごい奴だと感心しつつ、おかげで笑いを堪え切ったあと、すっかり緊張は解けていた。

「さあ、行くぞ」

 心の中に彼が少しずつ潜ってくるのがわかった。僕はどこかもわからぬ静寂と暗闇の中、じっと彼が辿り着くのを待っている。

 しばらくすると、微かに耳元で小さな音が鳴っているのを感じた。次第にその音は大きくなる。

 風だ。柔らかい風が優しく僕の全身を包み込んでいく。

 そして臨界を越えて爆発を起こしたように、瞬間的な圧力によって周囲を覆っていた真っ暗な空間をすっと吹き飛ばす。洞窟を抜けたような眩い光が瞳に飛び込んできて、僕はその刺激に耐えかねて瞑った目をさらに強く閉じた。

 一瞬にして嵐は過ぎ去り、いつの間にか風の音は止んでいた。再び乾いた静寂が訪れる。先ほどと変わったのは、瞼に感じる強い光だけだった。

 ようやく光に目が慣れてきたところで、僕は片方ずつ恐る恐る目を開く。

 そこは見渡す限り何もない、どこまでも続く空間が広がっていた。床も壁も天井もなく、確かに立っているはずなのに、平衡感覚を失ってふわふわと宙を浮いている感覚に陥る。僕がここにいることが不自然なほどに無垢な空間で、光源を持たない白色透明だけですべてが完結している。

 僕は溶けていくように曖昧になる意識とともに、ただその空間を漂っていた。さながら羊水に浮かぶ赤子の気分で、眠りに落ちる直前の微睡みがずっと続いているような心地よさがあった。

 ――コツン。小さな音が一滴の雫のように空間全体へと染み渡った。それに気付いて目を覚ました僕はゆっくり後ろを振り返る。

「ここは君の心の中だよ」

 ロベルトがそう教えてくれた。どうりでこんなに落ち着くわけだ。しかしそれにしてはずいぶん殺風景で驚いた。

「……何にもないや」

 僕は改めて周囲をぐるりと見回す。最初は眩しかった白色にもすっかり慣れて、目を開けていることも忘れてしまいそうなほど刺激がない。宇宙の果て、惑星さえも無くなった場所を漂っているような奇妙な浮遊感に包まれている。

「確かに、今はそうかもしれない」

 再びロベルトの方に向き直ると、彼は緩慢な口調で言った。ここは時間経過が何倍も遅くなっていて、一言の間が途轍もなく長く感じる。しかしそれが不快ではないのが不思議だ。

「だが、この空間に色をつけるための素材は、すでにたくさん揃っているはずさ」

 そう言って彼は一枚の紙切れを差し出した。色褪せ、ひどくボロボロで、吹けば粉々に消えていってしまいそうなほど弱々しい。

「これは……?」

「覚えているだろう? 僕が君と出会った日のこと」

 よく見るとそれは古い写真のようだった。木陰で一人本を読む僕と、そんな僕を興味深そうに眺めるロベルト。

「もちろん覚えてるよ」

 孤児院に入ってしばらくは、人見知りをしてろくに友達を作れなかった。話す人と言えばバルドイくらいしかいなくて、大抵は隅で隠れるように本を読んで過ごしていた。そこへ初めて声をかけてくれたのがロベルトだった。

 ――君はいつかすごい奴になる。目を見ればわかるのさ。

 突然話しかけてきたかと思ったら、よくわからないことを言い放ってすぐに去っていった。そのときはただ困惑するばかりで、何となく恐怖すらあったのを覚えている。

 けれどそんな僕の思いとは裏腹に、彼はそれから頻繁に僕の元へやってきた。何をするでもなく隣でボーっとしていることもあれば、横から本を覗き込んできたり、自分の考えた冒険譚をまるで本当のことのように語ってくることもあった。

 相変わらず得体の知れない人だと思いつつも、いつの間にか彼が横にいると安心するようになった。一人で過ごす寂しさは消えていったし、実際彼のおかげで他の友達も増えていった。引っ込み思案な僕の手を引っ張ってくれるのはありがたかったし、常に自分を持って生きている様子に少し憧れている部分さえあった。

「ロベルトには感謝してる」

 差し出された写真を受け取ると、さっきまでセピア色だったはずなのに、今は絵画のように鮮やかな色で塗られていた。記憶の中にある風景と同じ。一気に当時の感情が溢れ返る。

「君が気付いていないだけで、今まで積み重なってきた過去は確かに存在している。これからその想いを一つずつ、心の中にしまっていけばいいのさ」

 受け取った懐かしい一枚を何もない宙空に貼り付ける。四角く切り取られた様々な風景が数え切れないほど散らばっていて、色素のなかった空間が多彩な色で埋め尽くされていた。僕はそれを一枚ずつ拾い上げて、丁寧に並べていく。

「初めて自分の心が見えた気がするよ」

「全く、遅すぎるくらいだね」

 ようやく云壜作りが終わって、意識が僕の部屋に戻ってきた。かなり時間が経ったようで、案外そうでもない気もする。まだどことなく地に足がつかないようなふわふわとした気分だった。

「これで終わりだ」

 ロベルトは出来上がった云壜を机の上に置いた。中に入っていたのは、一見すると色のない白い炎だった。しかしその端々で色とりどりの火花が小さく破裂している。これが自分の想いだと思うと、何だか少し恥ずかしかった。

「ありがとう」

「いいってことさ。今回のことは貸しにしておくよ」

 彼も照れ臭かったのか、僕から逃げるように顔を逸らして立ち上がる。

「僕たちも人間なんだ。確かにこうして生きているんだ」

 噛み締めるように呟く。

 そんな僕を見て、何をそんな当たり前のこと、とロベルトは可笑しそうに笑っていた。

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