5-10
チャックとマリナから云壜を受け取ったあと、ご飯までご馳走になって帰ってきた。すっかり夜遅くなってしまったので、昨日泊めてもらった老夫婦の家でもう一晩お世話になり、明日朝一番の便で帰ることにした。
「ごめん。起こしちゃった?」
窓を少し開けて夜風に当たっていると、それに気付いたのか、眠っていたセレンも起き出してきて僕の隣に座った。
「眠れないの?」
「うん。何となくね」
「どうせ今日聞いたことでも考えてたんでしょ」
誤魔化そうとしたのもセレンには見え据えていたようで、図星をつかれて思わず言葉に詰まる。まさにちょうど彼の言う通り、さっきマリナに聞いたロワールの話を思い出していた。
「バルドイがたまにロワールの肩を持つようなことを言うから、何だか変だと思ってたんだ。僕が会いたくないことくらいわかってるはずなのに、この間も何もわかってないふりをしてわざわざ呼び出してまで会わせようとしてきたし。だからあの話を聞いて、腑に落ちる部分もあった」
マリナは僕たちが帰る直前、急にこんなことを聞いてきた。
「ねえ、二人ともロワールさんのことは聞いてるの?」
僕たちが何のことかわからないという顔をしていると、彼女はやっぱりと言って彼の過去のことを話し始めた。
ロワールは裕福な家庭に生まれ、幼少期は何不自由ない暮らしをしていた。しかし昔はその境遇を鼻にかけるどころか、どこかコンプレックスに感じている部分があったと言う。
そんな彼は自身も商才を持っていたようで、父の会社を継いで大きな成功を収める。そうして得た莫大な富を困っている人のために使いたいと始めたのが、『箱庭』の元となった孤児院だった。
自分の敷地に孤児院を併設し、町に溢れていた親を亡くした子どもたちを受け入れていく。基本的にはロワールの妻であるサラと数人のスタッフが切り盛りしていたが、ロワール自身も仕事そっちのけで孤児院の方を手伝うこともあったらしい。ロワールたちは子宝に恵まれなかったこともあって、孤児院の子どもたちを我が子同然に可愛がった。バルドイやマリナもここで育てられたうちの一人だった。
開設から十年ほどが経って、孤児院からは少しずつ子どもたちが巣立っていった。しかし外へ出てもロワールが仕事を斡旋していたので、下手をすれば普通の家庭で育った子どもよりもいい環境で過ごすことができた。そういう意味でかなり孤児院育ちの子どもたちはその後もかなり甘やかされていた。
ただ、それでも必ず上手くいくというわけではなく、働き口で折り合いがつかなかったりする子たちはどうしても存在していた。ロワールはそんな子にも何度も手を差し伸べていたが、それさえも拒まれることもあり、そうして行方知れずになった子もいたようだった。
そんなある日、事件は起きた。
ロワールはちょうど朝から仕事で出かけていて、孤児院ではいつものようにサラが子どもたちの世話をしていた。仕事を終え、日が暮れた頃に帰宅したロワールは、自分の家の周りに人だかりができているのを目にする。
「旦那様、急いで来てください!」
彼を見つけた使用人の一人が、焦った様子で近づいてくる。状況がわからぬまま、その使用人に連れられ屋敷に戻ると、そこでようやく彼は何が起きているのかを知ることになる。
「サラ!」
屋敷に入って彼が目にしたのは、血だらけで倒れた妻の姿だった。周囲の人間を突き飛ばすようにして彼女の元に駆け寄るが、目を瞑ったまま彼に気付く様子もない。
「残念ながら、もう……」
隣にいる医師が苦々しい表情で残酷な言葉を口にする。
「サラ! サラァ……!」
動かなくなった妻の身体を必死に揺すりながら、喉を引き裂くような声で彼女の名前を叫び続けた。しかし彼女が息を吹き返すことはなく、彼は突然最愛の人間を失うことになった。
「どうやら物盗り目的の犯行だったらしくて、サラさんは偶然犯人を見つけてしまって殺されたみたい。まだ私たちも小さかったけど、とにかく大変な騒ぎだったのを覚えてるわ」
妻を失ったロワールはひどく落ち込み、同時に犯人たちに対して怒り狂った。
「それが原因で人が変わったってこと?」
「いや、たぶんそれだけならあんな風にはならなかったと思う」
しかし彼の悲劇はここからだった。
「しばらくして、その事件の犯人が捕まったわ。正直あの人が血眼になって探していたのだから、見つかるのは時間の問題だった。本当ならそれで事件は一旦決着するはずだったのに、そうはならなかった」
「どうして?」
「その犯人というのが、彼の孤児院の出身者だったの」
その少年は孤児院を巣立ったあと、紹介された職場で馴染めず逃げ出し、色んなところを転々としてずいぶんひどい生活を送っていたらしい。そしてそんな状況に魔が差したのか、ロワール家に忍び込んで食べ物や金目の物を盗むようになった。
「実はサラさんは最初からそのことに気付いていたみたい。でもその子のことを思って、目を瞑っていた。けれどあまりに頻繁に続くようになって、ついに注意をしようと彼の前に姿を現した」
少年は突然現れたサラに驚いて、ろくに話も聞かずに懐に持っていたナイフを振り回した。それを止めようとしたところに運悪くそのナイフが突き刺さり、彼女は命を落としたのだった。
「それからロワールさんは、私たち孤児を軽蔑した眼差しで見るようになった。どうせどんなに善意を尽くしても、いつかお前たちも裏切るんだろう、って」
――結局キミたちは心を持たない人間擬きでしかないのさ。
――自分が生きることにだけ執着し、理性を失い、汚らわしさに満ちたケダモノ。
僕は『あの日』言われた言葉を思い出す。彼にしてみれば、あれは二度目の裏切りだったということか。
「でもね、ロワールさんはそのあとも私たちのことを見捨てずに、孤児院を続けてくれた。確かに私たちも嫌みなことをたくさん言われたし、いつの間にか『箱庭』と称して、敢えて孤児を虐げるような形を取るようになった。でもそれはきっと彼の中でせめぎ合いがあったんじゃないかと思う。信じたい気持ちと、信じられない気持ち」
確かに、あの二重人格的な振る舞いを思い返すと、そうだったのかもしれない。クリスやフェンネの言っていたこととも合致する。
「もしかしたら『あの日』の一番の被害者は彼だったんじゃないかって、そう思うの。だから、もしできることなら、あの人のことも助けてあげて欲しい」
マリナはそんな無茶を僕たちに頼んできたのだった。
「正直、どういう気持ちでいればいいのかよくわからないよ。あんな話を聞いたって、すべてを許せるわけがない。僕たちはあいつの言葉がずっと呪いのように心を蝕んでいたんだから」
それでも彼もまた僕たちと同じように苦しんでいるというのは、何も思わずにはいられなかった。
「でも単純な話じゃない?」
「え?」
「だってそうでしょ。みんながちゃんと今も前を向いて生きているっていうことを突き付けて、お前もうじうじするなって言ってやればいいんだよ」
確かにセレンが言うことはその通りだった。ロワールの境遇が僕たちと似ているなら、今までやってきたのと同じことをすればいい。彼も一緒に前を向けるようにすればいいだけだ。
「まあ僕はやっぱりあいつはいけ好かないけどね」
そう言ってセレンは笑いながらベッドに飛び乗る。
僕もようやく瞼が重くなってきたので眠りにつく。開けっ放しにした窓の隙間から吹く優しい夜風が子守唄のように心地よかった。
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