5-8

「ふう……」

 重力に身を任せてベッドに倒れ込むと、決壊したダムから吹き出す濁流のように、疲労感がどっと全身を覆いつくす。思えばここまで来るのはずいぶんと長旅だったし、着いてからも結構動き回っていたから、こうして身体が悲鳴を上げるのも当然な気がする。

 僕たちはマリナに別れを告げて孤児院を出たあと、村の中心まで戻ってきて今日の宿を探していた。ところが、この村には旅人が泊まるような宿が全くなく、当然マリナとチャック以外には知り合いもいない。

 そうして行き場を失くし、こんなに遠くまで来て野宿かと半ば諦めかけていたのだが、奇跡的に昼間仲良くなった老夫婦と再会し、二人の厚意でこの家に泊めさせてもらえることになったのだった。

 ふんわりと膨らんだ布団の温もりを噛み締めながら、鉛のように重く固まった身体から少しずつ緊張を解いていく。疲労に気付いてしまったせいか、頭の内側が燃えるように熱く、ほとんど何も考えることができなかった。

 しばらくしてようやく全身が自分のものだという感覚を取り戻し、やっとの思いで寝がえりを打って仰向けになる。ちょうど目の前にランタンがあって、その眩しさに目をしばたかせていると、隣でセレンが大きく間延びしたあくびをするのが聞こえた。

「それにしてもさ、これでいいの? チャックに会わないで帰るつもりなんでしょ?」

「マリナにあそこまで言われたら仕方ないさ。まあせっかくここまで来たんだから、顔くらいは合わせておきたかったけど」

 いつか今度は変な口実や過去のしがらみなんかなしに、単なる一人の旧友として彼を訪ねられたらいいと思う。

「あんなに全員に会うってことにこだわっていたじゃないか。このままじゃその努力がふいになってしまうんじゃないの?」

「確かにそれはそうだけど……」

 彼の言うように、僕はこれまでこの計画は当時の仲間が一人でも欠けたら成り立たないと考えていた。あの日を境に離れ離れになってしまった僕たち全員が心を同じくして、過去を乗り越えることができて初めて、あの場所で過ごした日々に意味があったと思える気がしていた。

 でもそんなのはさほど意味のない幻想で、ある種の願掛けのようなものだった。

 思えば、ここに来るまでもみんなを傷つけてきたように思う。古傷を無理矢理えぐり出して、自分で縫い付けろと顔の前に突き出す。それは自分のマゾヒズム嗜好を他者に押し付けているだけだったのではないか。

「そうやって考えすぎるのは君の悪い癖だよ。どうせ怖くて逃げたくなっているだけなんだろう? 落ち込んでいるふりをして、やらなくていい理由を探して、保身に走ってるだけじゃないか」

 今日のセレンはいつになく厳しいことを言う。

「正直言って怖くもあるさ。必死にやってきたことすべてが無駄だったとしたら……。いやそれどころか、やたらに人を傷つけて、今ある平穏を壊してしまうかもしれない。そう思うと、途端に恐ろしくなる。やっぱり僕は他人の心なんて理解できない、人間擬きなんだ……」

「ていっ!」

 うなだれて下げた頭をセレンがひれで思い切り引っ叩いてきた。突然のことに驚きながら、熱を帯びた頬を抑えて彼の方に向き直る。

「きっとアリサがここにいたら、この何倍も強い力で叩いていたと思うよ。いい加減にしろ、ってね」

 そう言って彼は僕の鞄から空になった云壜を取り出した。もう炎は消えてしまっているはずなのに、それを見ていると不思議と心が温かくなる。

「ごめん。なかなかこの癖は治らないみたいだ」

「全くしょうがない奴だね。まあ僕もアリサもそんなことは百も承知さ。君がそうやって落ち込む度に、こうやって引っ叩いて目を覚まさせてあげる」

 冗談めかして笑いながら、セレンは風を切るようにひれで素振りをする。こんなにも頼もしい相棒がいて、本当によかったと思う。

「とにかくもう明日もう一度行って、マリナと話をしてみよう。上手く伝えられないかもしれないし、どちらが正しいのかだってわからないけど、せめて大人になったチャックの顔くらい見せてもらわないと帰れないや」

 何よりこのまま帰ってしまったら、協力してくれているロベルトやバルドイ、そして他のみんなへの顔向けができない。同窓会の誘いくらいはして帰らなくちゃ、ここまで来た意味がない。

「よし。そうと決まったら今日のところは早く寝よう。今日は歩き回って疲れたしね」

 セレンはそう言ってベッドの上にひょいと飛び乗ると、大の字に寝転んで真ん中を我が物顔で占領する。

「あ、ちょっと! ベッド一つしかないんだから、ちゃんと半分ずつでしょ!」

 僕は何とか彼をどかして自分のスペースを確保しようとするけれど、まるまるとした身体は力を入れても微動だにしない。仕方ないので、膨らんだお腹の辺りを目掛けて勢いよく倒れ込むと、ぐええ、という苦しそうな声を上げて、もがくように手足をばたつかせた。

「わかった。降参するよ、降参」

 僕たちはそんなばからしいやり取りをひとしきり終えたあと、仲良くベッドを半分に分けて眠りについた。

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