5-4
それからまず僕たちは、当時ともに暮らしていた仲間の居場所を突き止めるところから始めた。あの施設を出てからは、ロベルトのように同業者となった数人を除いて全く連絡を取っていなかった。
バルドイの協力もあって、半分ほどは現在の居場所を特定することができた。しかしそこからは断片的な情報を集めながら探していくしかない。
引き続きバルドイには情報収集を頼んで、僕とロベルトは実際に旧友を訪ねていくことにした。とりあえずは近いところから当たっていこうということで、僕は王都に住むクリスの元にやってきた。
セレンには別ルートで捜索をしてもらっているので、今日は僕一人での旅路だった。比較的生き慣れた王都とは言え、人の多い街中を連れ合いなく歩くのはあまりに心細い。
やっとの想いで指定された場所へと辿り着く。そこは云壜協会の本部にも引けを取らない立派な建物だった。しかしあそことは違ってやけに人の出入りが多く、外にいても忙しないざわめきが聞こえてくる。
ごった返す人の波をくぐり抜けて、何とか受付を済ませる。そのまま通された奥の個室でしばらく待っていると、硬いノックの音に続いて一人の男が姿を現した。
「すまないね、こんなところで」
頭身の高いシルエットの映えるタイトなスーツを身に纏った彼は、僕の記憶にあるよりもずいぶん大人びていた。あどけなさの残っていた顔は凛々しい青年のそれに変わっていて、自信に満ちた微笑みもあの頃にはなかったものだ。変わらないところと言えば、分厚いレンズのはめられた銀縁の四角い眼鏡だけだった。
「やあ、久しぶり。すっかり大人になっちゃってびっくりしたよ」
彼がともに幼少期を過ごした仲間の一人、クリスだ。年長者でしっかり者だった彼は、そのまま順当に大人になっていた。一見すると別人と間違えてしまいそうだったけれど、やはり当時の面影ははっきりと残っている。
「そうかな。まああれからずいぶん経ったからね……」
クリスは『箱庭』を出たあと、とある商人の家に引き取られたらしい。そこで雑用係として働いていたのを主人に見初められて、今では幹部のような地位まで上り詰めていた。
この時期は米や麦が収穫を迎えるため、毎日休みなく働いているらしい。こうして会う時間を作ってもらうのもなかなか大変で、無理を言って仕事場に直接押しかけたのだった。
元々ずば抜けて頭がよかったし、特に計算ごとは圧倒的だったことを考えると、彼らしい道を進んでいるのかもしれない。もちろん大変なこともあったようだけれど、今は上手くやっているみたいだった。
「それじゃあそろそろ本題の方をお願いできるかな。申し訳ないけれど、あまり時間がないものでね」
久しぶりの再会が嬉しくて、つい雑談に花を咲かせてしまうと、クリスはちらりと時計を気にしてそれを切り上げた。こういう生真面目なところは昔から変わっていない。よく食事の挨拶をする前にこっそりつまみ食いをして、彼に怒られたのを思い出した。
「今回ここへ来たのは他でもない。『あの日』のことを話しにきたんだ」
僕はこれまでの経緯をなるべく手短に話した。そして最後にみんなの想いを集めるために協力して欲しいと言うと、彼は、なるほど、と言って深く頷いた。
「つまりは犯人探しというわけか」
鈍い音を立てて空気が凍り付く。彼の言葉はひどく冷ややかで、首元にナイフを突きつけられる感覚に襲われる。彼は組んでいた足をゆっくりと組み換え、僕の目を真っ直ぐと見据えていた。
「云壜を作ると言って心の中に入り込んでしまえば、もし相手があの火事の犯人ならすぐにわかる。そしてこの話を断る時点で、犯人と疑う一つの手がかりになるわけだ。そうやってあの日の真実を見つけることこそ、君たちの目的なんじゃないのか?」
眼鏡の奥に光る瞳は、まるで僕を試しているような挑戦的な色を携えていた。蛇に睨まれたように動けなくなった僕が動くのを、じっと静かに待っている。
確かに彼の言うように、犯人探しの意図がなかったとは言えない。しかしそれはあくまでも僕たちの中に犯人がいないことを確認する目的でしかなく、断じてクリスや他の仲間たちを疑っているわけではなかった。
「違う。僕はただ……」
上手く言葉が出ずに、俯いたまま口ごもってしまう。
そんなふがいない僕を見て、彼は突然吹き出して笑い始めた。
「すまない。何も本気で言ったわけじゃない。君がそんな探偵紛いのことをやる人間じゃないことくらい、僕だってわかっているさ。ちょっとからかってみたくなってね」
どうやら僕は彼に一杯食わされたらしい。彼は先ほどまでとは打って変わって、無邪気な子供のような顔で笑っている。
「なんだ、びっくりさせないでよ……」
ほっと胸を撫で下ろしていると、彼は笑みを消して再び真剣な顔に戻ってこちらを見る。僕は少しだけ身体を強張らせて身構えてしまう。
「でも本当に犯人を見つけてしまったとき、君はどうするつもりなんだ?」
彼はまた僕を試すような瞳で問いかける。今度は本気で答えを求めていることがわかった。
「……それはまだわからない。わからないけど、もしその人も僕たちと同じように傷ついているのだとしたら、救ってあげたいと思う。罪を償ってもらうのは、それからでも遅くないはずだから」
ちゃんと答えになっていないかもしれないけれど、今の僕に言えるのはこれが精一杯だった。そんな僕の答えにどうやら彼は納得してくれたようで、冷たい視線は外されていた。
「なるほどね。実に君らしい気がするよ。そこまで覚悟を決めているなら、僕はもう何も言うまい。しかし忘れないで欲しい。真実は君が想像しているよりもずっと残酷なものかもしれないということを」
最後にそんな意味深な言葉を付け加えると、彼の顔はまた元の穏やかな微笑みに戻っていた。こんな風に意図してころころと表情を変えていくのは、きっと大人になって身に着けた能力の一つなのだろうと思った。
時間も差し迫っていたので、彼から云壜を預かるために、用意してあった空の壜を取り出す。細くて背の高い壜を見ると、安易に本人のイメージを反映していたことに気付いて少し恥ずかしくなる。
壜を介して、潜るように彼の心の中に入っていく。そして辿り着いた先で見たのは、遠い記憶の断片だった。
――あれはクリスと……ルイ?
施設の庭に植えられた大きな樫の木の下で、クリスとルイが草原に本を広げて語らっていた。青々と茂る枝葉の隙間から差し込む日の光に照らされた二人は、眉間に皺を寄せながら真剣な顔をしていて、それでいてとても楽しそうに見える。
クリスは物知りで思索家だったルイとウマが合っていて、ああしてよく色んなことを教わっていた。子どもながら賢かったクリスは、時に同じ目線で議論を交わすようなこともあった。不思議なことに、倍近く歳の離れた彼らは教師と生徒であると同時に、気の合う友人のようでもあった。もしもあの事故でルイが亡くなっていなければ、二人は良きビジネスパートナーになっていたのではないかと思う。
そんな幸せに満ちた記憶を眺めていると、次第に遠くに見える太陽が沈み、二人は夕闇の影に呑まれていく。まるで一枚の写真がセピアに色褪せ、形を失ってぼろぼろに崩れていくようだった。
次に僕の瞳に映し出されたのは、背中を丸めてすすり泣く一人の少年の姿だった。小さな雫が一粒ずつ、真っ暗な世界にぽつりぽつりと波紋を落とす。
それは悲しみに満ちたひどく冷たい涙だった。光の届かぬ深海のような限りなく黒に近い藍色が、染みわたるように彼の心を蝕んでいくように見えた。
しかし暗闇を揺らす波紋が互いに重なって、その輪を大きくするにつれ、そこへわずかに違う色が加わっていく。白とオレンジの間、二人を照らしていた木漏れ日の色。初めは瞬くように微かな明滅を繰り返すだけだったのが、気付けば彼の周囲がぼうっと控えめな光に包まれている。
「今はただ感謝しているよ」
淡い光の塊を掌に掬い上げて、彼はしっとりとした声で呟く。
「悲しみや苦しみ、もちろん怒りだってあったけれど、あの場所があったから今の僕がある。何より後ろを見て溜め息ばかり吐いていては、先で待っている彼に示しがつかないからね。だから彼から教わったことを活かして、今の仕事で思い切り成功してやるのさ」
そう言って笑う彼のまなじりから最後の一滴がこぼれ落ち、僕はそっと目を開いた。
「礼を言うよ。君のおかげできちんとした形で過去と向き合うことができた気がする」
そろそろ行かなくちゃ、と言って、彼はまるで何事もなかったみたいにすっと立ち上がる。もうすでに彼は前を向いて歩き出そうとしていた。
「じゃあまた。次はもっと大勢で同窓会をやろう」
「悪くない。それくらいの時間は十分経っただろうからね。楽しみにしているよ」
少し長いスーツの裾をくるりと翻し、定規のように真っ直ぐ伸びた背筋のまま、彼は部屋を後にする。
「ああ、そうだ。最後に一つだけいいかな」
彼はふと扉の手前で立ち止まり、こちらを振り返って言う。
「君はロワールという人をどう思っているんだ?」
唐突な質問に意図を図りかねて、思わず僕は口ごもってしまう。そんな僕を尻目に彼は話を続けた。
「僕はとても恐ろしかったよ。まるですべてを見透かされているようで、時折向けられる研ぎ澄まされた悪意に息が詰まりそうだった。実際何人もの友人たちが彼の言葉で心を壊されたのを見た」
あの冷ややかな目を思い出して、思わず僕は身震いする。
僕らが入るよりも少し前、年長者の彼がまだ幼かったころはもっとひどい環境だったらしい。ロワールが施設にいることも多く、子どもたちは常に彼の冷たい視線と鋭い言葉に晒されていた。
人間性を否定され、自己を消し去られた子どもたちは、そのことに耐え切れず茫然自失の状態になる者もいた。そうして道具としても役に立たないと判断された者は、いつの間にか姿を消して二度と会うことはなかったそうだ。
「そんな状況を見かねたバルドイたちが間に入ってくれたことで、僕たちはようやく小さな平穏を手に入れることができた。ロワールはあまり施設には来なくなって、初めて自我というものを持つことが許された。だからたまに彼と会うときは、自分を失って虚空を見つめていた仲間たちの黒い瞳が頭にちらついて、身体の震えが止まらなかったのを覚えているよ」
確かにクリスたち年長者はみな一様にロワールを恐れていた印象があった。それは僕たちから見ても過剰に思えるほどだったけれど、それにはそうした過去があったからだった。
「今でもたまに、彼に言われたことを考えてしまうことがある。自分というものが一体何なのか、こうやってのうのうと生きていていい人間なのか、とかね。だから彼のことは恐ろしくて仕方ないし、そんな呪いのように僕たちの心を蝕んでいる彼を許せない気持ちもある」
「それは僕も同じだよ。僕は彼に言われてからずっと自分の心を探してる。だからこうして過去と向き合って、彼にはっきりと僕たちの存在と、生きている証を突き付けてやりたいんだ。そのためにここへ来た」
「ああ。それは十分に伝わってきたし、だからこそ僕は君に協力した。ただ一つだけ、僕たちは勘違いしていることがあるんじゃないかと思うんだよ」
「……勘違い?」
僕が聞き返すと、そこまで澱みなく語っていた彼が唐突に言葉に詰まる。自分の言おうとしていることに躊躇いがあるようだった。
しばらく考え込む素振りを見せたあと、僕から顔を背けるようにゆっくりと立ち上がった。そして扉の方に歩いていきながら、重たくなった口を開く。
「大人になった今になって、改めて思うんだよ」
ドアノブに手をかけたところで動きを止め、独り言のように呟いた。
「彼もまた僕たちと同じように孤独だったんじゃないかって」
それだけ言うと、彼は僕の返答を待つこともないまま去っていった。
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