4-3
僕たちは云壜を作り終えて、それを届けるために先ほどまでいたモニカ地区を出て、隣のサルトラ地区に向かっていた。さほど距離はないので、このまま三十分ほど歩けば到着するはずだ。
この辺りは王都の中でも特に商店や飲食店が多く軒を連ねる地域で、人が行き交う大通りは活気に満ちていた。時折突き抜けるような声で詠われる商人の口上が聞こえてきて、思わず気を取られて一瞬足が止まる。様々な誘惑を掻い潜りながら、何とか我慢して先を急ぐ。
「歩き疲れた。何故移動手段が徒歩なんだ。列車なり馬車なり色々と方法はあるだろう」
「僕らは君と違って貧乏人だからね。経費削減ってやつさ。というか、ロベルトはわざわざついてくる必要なかったのに」
休みだからと依頼を断ったはずなのに、何故かロベルトは僕たちについてきていた。ぶつくさと文句を言いながら後ろを歩いている。土地勘のある彼がいるのは心強かったけれど、せっかくの休みを潰してしまう形になって少し申し訳なく思う。
「君たちだけじゃあまりに不安だからね。無償で手伝ってやろうというのだから、感謝したまえよ」
「大丈夫だよ、ユリー。きっとロベルトは暇なんだ」
「馬鹿を言うんじゃない。友人のためだからと、泣く泣く予定をキャンセルしてきたのさ」
三人でわいわいと話しているうちに、届け先であるグレイさん宅に辿り着いた。入口の前で立ち止まって少し呼吸を整える。
「ごめんください。云壜屋のユリルと申します。グレイさんに云壜をお届けに参りました」
「はーい! ちょっと待ってくださいね」
僕の呼びかけに応じて、若い女性の声が聞こえた。そのあとすぐにドタバタと足音が近づいてきて、扉が勢いよく開かれる。
「毎度どうも。えーっと、誰からかしら?」
「モニカのマルタさんからです。こちらのお宅のグレイさん宛に云壜をお届けに参りました」
「まあ、マルじいから! 祖父なら中にいるわ。どうぞ入って」
迎えてくれたのはグレイさんの孫のミーコさんだった。彼女は僕たちを中に招き入れると、跳ねるような足取りで奥へ案内してくれた。
「あんた! 寝てなきゃダメって言ったでしょう! まだ本調子じゃないんだから」
リビングに通されると、ミーコさんと台所にいた彼女の母がすごい勢いで言い合いを始めた。どうやらミーコさんは産後すぐだから安静にするよう言われているのに、まるで言うことを聞かないで動き回っているらしい。それで彼女の母があれこれと小言を言って怒っていた。
「だから大丈夫だってば。お母さんは心配しすぎ。それよりお客さんだよ。おじいちゃんにマルじいから云壜だって」
「あら、私ったら恥ずかしい。すぐに呼んできますから待っててくださいね」
何だか忙しない親子で、見ているとおかしくてつい笑ってしまう。ミーコさんの溌剌とした雰囲気がどことなくアリサに近いものを感じて親しみを覚える。
娘に呼ばれてやってきたグレイさんを見ると、この元気のいい家族は彼の血を色濃く引いているのだということを実感する。察するにかなりの老齢であるはずなのに、背筋はぴんと伸び、凛々しい顔立ちは若々しさに満ちている。話し方も丁寧でハキハキとしていて、明るく優しい雰囲気はミーコさんたちとそっくりだった。
「あ、そうだわ!」
グレイさんに云壜を渡し終え、帰ろうかと立ち上がったところで、ミーコさんが僕たちを呼び止めた。
「どうかしましたか?」
「ちょうど私も友達からお祝いをもらって、そのお返しをしようと思っていたの。でもお母さんが外に出るなってうるさくて……。だからよかったら云壜を届けてもらえるかしら?」
詳しく話を聞くと、その相手の家はモニカに戻る途中にあるようなので、喜んで引き受けることにした。隣でロベルトから正気を疑うような視線を向けられていたけれど、気にしないでおこう。
ミーコさんから受け取った云壜を届けると、今度はその人から別の依頼を頼まれた。それを届けたらまた次の依頼が入って、それを届けた先でまたまた次の依頼を受ける。そんなことを続けているうちにいつの間にか日が暮れてしまっていて、全部終わる頃には辺りはすっかり真っ暗になっていた。
「君は少しおかしいんじゃないのか? こんなに次から次へと依頼を受ける必要はないだろう。この街で客を取ったって、常連になってくれるわけでもないんだぞ。それに価格設定も無茶苦茶じゃあないか。うちなら五倍近く取っているのに、そんなんじゃほとんどボランティアみたいなものだろう」
ロベルトは辟易とした様子で呆れたように言った。ずいぶん歩き回ったせいか、顔には疲労が滲んでいる。
「ユリーは普段ぐうたらな癖に、仕事になると急に没頭するんだよね。その活力をちょっとぐらい日々の生活の方に回してくれるといいんだけど……」
「二人とも付き合わせちゃってごめん」
僕としてもこんなに遅くまで仕事をするつもりはなかったのだけれど、依頼がひっきりなしに来たから仕方なかった。せっかく頼んでもらっているのに、断る気にはなれなかったのだ。
「でも何だか嬉しいな。この世界にはこんなにも色んな想いが溢れていて、それらが僕ら云壜屋を介して飛び交っている。そういうことを改めて感じることができた」
「君は仕事の虫だな」
確かにそうかもしれない。僕はこの仕事が好きだ。人の心に触れ、その想いを感じることができるから。そうすることで、いつか僕自身の心や想いというものを見つけられる気がする。
そんなことを口にしたら、急にロベルトはひどく真剣な顔で僕を見つめた。その表情だけでは彼が何を考えているのか読み取れない。そして彼は軽く溜め息を吐いたあと、複雑な想いが入り混じった声でぽつりと呟く。
「お前、まだあいつに言われたことを気にしてるのか……。心がないなんて、あんなのは単なる嫌味でしかないだろう。そんなものにいつまでも囚われている必要はない」
そう。彼の言うように、僕はあの言葉にずっと囚われ続けているのだ。確かにそれはあの人にしてみたらふと思いついた悪意でしかなかったのかもしれない。それでも僕にとっては皮肉にも実感に則した言葉で、あまりに深く突き刺さってしまった。
だから僕がこうして云壜屋をやっているのは、たぶんそんな自分に対する反抗の意味もあるのかもしれない。きっと僕も心を得ることができる。それを信じるために、云壜を通して人の想いに触れ続けている。
「でもそれよりも今は単純に仕事が楽しいんだよ。色んな人の色んな想いに出会って、それを届けることでお客さんに喜んでもらえることが嬉しい。ロベルトだって、そういうところに魅力を感じたから云壜屋になったんでしょ?」
「そうか……うん、そうだな。君は過去に囚われすぎているけれど、僕の方はいささか昔のことを忘れすぎていたのかもしれない」
僕たちは一緒に育ったあの街を思い出しながら、何となく空を見上げた。漆黒のキャンバスいっぱいに広がる満天の星々が鮮やかな輝きを放って僕らを照らしていた。
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