3-7
次の日ルネに戻った僕たちは、帰ってすぐにサリエラからお叱りを受けた。仕方なかったとは言え、結果として何も言わず一晩帰らないことになってしまったから当然だった。彼女は事件や事故に巻き込まれたのではないかとたいそう心配して、一晩中眠ることができなかったらしい。
そうやってしっかりと絞られて、何度も謝ってようやく許してもらうことができた。不謹慎だと思いつつも、こんな風に誰かから叱ってもらったのは初めてだったので、アリサには申し訳ないけれど、ちょっとだけ嬉しかった。
僕たちはサリエラとリタさんにおじいさんが残したあの壜の話をした。リタさんはすべてを聞き終えたあと、涙ぐんだ目を細めながら、おじいさんの願いと想いが込められた灯篭石を優しく撫でた。自分のことをこんなにも想ってくれる人がいるなんて、彼は本当に幸せ者だ。
そして近いうちにみんなでお墓参りに行こうということになった。あのペンダントを見せてあげたら、きっとおじいさんも喜ぶはずだ。もしかしたらもう待ちくたびれてしまっているかもしれない。
アリサは彼に会いに行って色んなことを話したいと言っていた。伝えたい想いもたくさんあるのだろう。遠くへ逝ってしまってもそうやって心を通わせることができるのは、彼女の心の中にちゃんと彼がいる証拠だった。
話を終えて自分の部屋に戻ると、セレンが帰ってきた僕をにやけた笑みで迎えた。
「君は本当にトラブルメーカーだね」
からかうように言う彼に対し、僕は返す言葉もない。それに彼も少なからず心配してくれていたようだったので、申し訳ない気持ちもあった。
「セレンは最初からあれが云壜じゃないってわかってたんだね」
彼があれを見たとき様子がおかしかったのは、僕の勘違いに気付いたからだった。偽装工作がなされていたとは言え、精霊の力を扱う彼の目を誤魔化すことはできなかったのだろう。
「まあね。でも云壜に見せかけてるってことは何かしらの意図があるんだろうと思って、あえて何も言わなかったんだ」
一緒についてこなかったのも、云壜でないから管轄外だということだったらしい。彼はある意味誰よりもおじいさんの想いを汲み取っていたと言える。
「正直ユリーだって気付いてもおかしくはなかったはずだけどね。云壜屋としてまだまだ未熟だってことだよ」
「うっ……。それはその通りです……」
「今回のことはそれも含めて反省するように」
「反省します……」
セレンにもいつも迷惑をかけてばかりだから、僕もいい加減成長しなくてはと思う。まずはちゃんと朝起きることと、部屋の掃除をすることを言われたけれど、なかなか長い戦いになりそうだ。
それとアリサはと言うと、僕と一緒に怒られたあとに、彼女だけ別でさらに説教を受けたらしい。具体的な内容はわからないけれど、あの温厚なサリエラの怒鳴り声が聞こえてきたりしたから、たぶん相当凄まじいものだったのだろう。
最終的に一週間の自宅謹慎を言い渡されたのだということを、部屋から抜け出してきた彼女本人から聞いた。今日くらいは大人しくしていればいいのにと思ったが、何やら僕に用があってここへ来たとのことだった。
「おじいちゃんのことであんなに手伝ってもらったあとで悪いんだけど、もう一つだけお願いしてもいいかしら」
「もちろん。僕にできることなら何でも」
「ありがとう。これをね、お願いしたいの」
彼女は後ろ手に持っていた物を僕の前に差し出す。それは小さな石が入った透明の壜だった。云壜と言いかけて、前回の失敗を思い出して言葉を飲み込んだ。そして手に取ってよく観察してみる。
「大丈夫よ。別におじいちゃんみたいに騙そうってわけじゃないから。それは紛れもなく云壜。モーグさんに頼んで空っぽの物をもらっておいたの」
僕は少しほっとしてその壜を机の上に戻す。今度は僕の目に狂いはなかったようだ。
お願いというのは、この云壜に想いを詰めて欲しいというものだった。それなら僕も自信を持って受けることができる。しかし今までリタさんやサリエラからは依頼を受けたことがあっても、彼女からは受けたことがなかったので少し驚いた。
「それにしても、わざわざ壜と想い石を用意してこなくたってよかったのに。あっちの部屋にたくさん用意してあるのはアリサだって知ってるでしょ?」
「でもそれだとセレンにも知られちゃうことになるじゃない。この云壜はユリルにしか知られたくないの」
確かにすでに精霊の力が込められたこの状態でならば、僕一人でも作業は可能だ。ちょうどセレンは買い物に出かけていたので、この隙にこっそりとやってしまうことにした。僕には知られていいのにセレンには知られたくないというのがよくわからなかったけれど、依頼人の希望とあっては詮索は無用だろう。
「じゃあ誰に、どんな想いを届けたいか、教えてくれる?」
作業を始める前に、いつも通りそう質問すると、彼女は考えるような素振りを見せて黙り込んでしまった。よっぽど秘めておきたい想いなのか、詳しいことは語りたくないみたいだった。
「きっと、何も言わなくても上手くいくと思う」
彼女がそう言って頑なに想いを明かしてくれないので、諦めて何も聞かずに云壜作りに取りかかることにした。ユナのときも思ったけれど、女の子というのは難しい。
失敗しても知らないという気持ちで試してみると、拍子抜けするほどあっさりと云壜は完成してしまった。心の中に入ると、すぐ目の前に彼女の姿があって、手紙のようなものを渡される。戸惑いながらもそれを受け取ってゆっくりと目を開けると、壜の中には朝焼けのように光る真っ白い炎が現れていた。
あまりに一瞬の出来事で、まるで狐に摘ままれたような不思議な気分だった。何故か目の前の云壜に実感が湧かない。こんな感覚は今まで味わったことがなかった。
「ありがとう」
茫然としている僕に対して、アリサは満足げな笑みを浮かべてお礼を言った。腑に落ちない感じはあったが、とりあえず彼女が喜んでくれたようなのでよかった。
「それで、誰に届けたらいいの?」
「うーん。それも今はまだ言えない」
「言えないって……」
何となく彼女は様子が変だ。セレンには知られたくないと言うし、僕にだって云壜作りを依頼してくる割に、何一つ話してくれない。そんなに秘密にしたいなら、知り合いではない別の云壜屋に行けば解決するはずだろう。彼女の考えがまるで読み取れなかった。
「これはまだ渡さないつもりなの。ちゃんとこの想いを伝える心の準備ができたら、そのときに自分で渡そうと思う」
「そうは言っても、渡すには云壜屋がいないと……」
「そのときはまたユリルにお願いするわ」
結局彼女は本当に何も教えてくれなかった。依頼としてはきちんと完了したことになるけれど、もやもやとした気持ちが残る。ただとても楽しそうに出来上がった云壜を見つめているので、まあ悪い気はしなかった。いつかこの云壜を渡すときに、全て話してもらうとしよう。
「……本当に、鈍感なんだから」
「え、何か言った?」
「何でもない」
去り際に彼女が何か言ったように聞こえたけれど、上手く聞き取れなくてはぐらかされてしまった。べーと舌を出して逃げるように去っていったから、たぶん馬鹿にされたのだろうというのはわかった。
彼女といるとわからないことばかり増えていく。まだまだ知らない部分はたくさんあるし、頭の中や心の中は未知の世界だ。
そもそも所詮自分は自分、他人は他人で、相手を理解しようなんて考え自体が傲慢なのかもしれない。だからこそ人は目の前の相手に必死に想いを伝えようとする。
僕もいつか彼女に想いを伝え、彼女の想いを受け取ることができたらいいと、そんなことを思う。
「わあ! 雪だ!」
外から元気のいい子どもの声が聞こえてきた。明るく透き通った真っ白い空から、はらはらと雪が降り注いでいた。いつの間にか窓辺に薄っすらと雪の膜がかかっていて、そっと手を触れるとひんやりと心地よい感覚が指先を伝って身体の中に浸透する。ひどく冷たいはずなのに、何となく胸の辺りがぽっと温まるような感じがした。
「もっと積もるかな」
何となくこのまま降り続けて、積もって欲しいと思う。真っ白いルネの街並みを想像しながら、しばらくぼーっと空を眺めていた。
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