3-5

 すっかり旅行気分で楽しんでしまっていた僕らだったが、当然本来の目的を忘れていたわけでもない。実はこの洞窟の先にある森に、モーグさんが住んでいるという情報を掴んでいたのだった。

 というわけで、僕たちは急いで彼を探しに森へ向かう。列車の時間は決まっているため、滞在できる時間には限りがある。

「この辺りだと思うんだけどなあ……」

 一応教えてもらった通りに進んだつもりだったのだが、一向にモーグさんの家は見つからない。それどころか、僕たちがいるのは完全に森の中で、人がいる気配すらない。何だか嫌な既視感が蘇る。

「やっぱりユリルに任せたのが間違いだった。今度は私の番ね」

 アリサはそう言って、ぐいぐいと僕の手を引っ張る。もうなるようになれと思いながら、やけくそ気味に森の中を進んでいった。

 段々と日が沈んでいくのに焦りを募らせて、必死に歩き回って数時間。ようやく人が住んでいそうな家を見つけたのは、もう暗くなる寸前のことだった。この間のユナに会ったときと言い、僕は道に迷う才能があるみたいだ。

「ごめんください」

 戸を叩いて呼びかけてみると、中から出てきたのは背筋の曲がった小さな老父だった。人のよさそうな柔らかい物腰で、丸い眼鏡をかけた顔には深い皺と微笑みが染み付いている。

「何か御用ですかな?」

「私はアリサと言います。こちらは友人のユリル。この辺りに住んでいらっしゃるモーグさんを訪ねてきたのですが……」

「はい。如何にも私がモーグです」

 偶然ではあったが、何とか目的のモーグさんに会うことができたようだった。彼はこちらが詳しい話をする前に、一旦中へ通してくれた。

 家は古い木造の建物で、見たところ住んでいるのは彼の一人のようだったが、それには少し広すぎるようにも感じられた。もしかしたら昔は家族と一緒に住んでいたのかもしれない。

「それで、こんな隠居老人に一体何の御用でしょうか」

「私の祖父はサイゾウと言います。その祖父について知りたいことがあって、生前の知人を辿って話を聞いて回っているんです。そこであなたに辿り着いて、ここまでやって来ました。彼をご存知ではないですか?」

「ああ、そうか。君はあのアリサちゃんか。もちろん知っているとも。それどころか、私はずいぶん昔に君とも会ったことがある」

 アリサの話を聞き、彼はすべての事情を悟ったようだった。最初の少し気を遣った態度が一変し、懐かしさと親しみのこもった表情を浮かべる。彼によれば、アリサはまだ物心も曖昧な幼い頃におじいさんとここへ来たことがあるらしかった。

「君がこんなに大きくなるほど時が経ってしまったのか。それは周りが寂しくなっていくわけだな」

 しみじみと感傷に浸りながら、彼はおじいさんとの思い出を語ってくれた。どこか悲しげだったのは、先立ってしまった彼に想いを馳せていたからだろう。それを聞くアリサの瞳もわずかに潤んでいるように見えた。

「サイゾウは私にとってかけがえのない友人だった。彼と出会ったのはもう遠い昔のことだがね、今でもはっきりと覚えているよ」

 やはり彼は幼い頃アリサのおじいさんがこの街に住んでいたときに出会ったようだった。それから大きくなって、おじいさんが再びここを訪れたときに再会して、それからずっと関係が途絶えずに続いていたそうだ。

「じゃあ、おばあちゃんに云壜を届けたのも……?」

「ああ、それも私だ。あれはもう彼らしい型破りな炎だったのを覚えているよ」

 彼の話を聞けば聞くほど、僕たちの期待感は高まっていった。そしていよいよアリサが鞄の中からあの云壜を取り出して彼の前に置いた。

「この云壜に見覚えはありますか?」

 アリサは息を呑みながら緊張した様子で彼に尋ねる。彼は言葉を切ってその云壜を手に取ると、静かにそれを見つめた。

「当然知っているよ。なにせ作るのを手伝ったのは私だからね。実に懐かしい……」

 僕とアリサは顔を見合わせて、心の中でハイタッチをした。これでもうゴールは目前だ。はやる気持ちと興奮を抑えながら、アリサは詳しい事情を説明した。この云壜を物置で見つけたこと。一緒に手紙が入っていたこと。そして、その手紙に従って、ここまでやってきたこと。

「ちょっと待っておくれ」

 そう言って奥へと入っていき、彼は小さな金槌のようなものを手にして戻ってきた。何だかほんのりと光を放っているようにも見える。

 何かを尋ねる間もなく、彼はその金槌を構えた。そして机の上に置いてあった云壜に照準を合わせると、卵の殻を割るように優しくこつんと壜を叩く。

「えっ……」

 金槌の先が壜に触れた瞬間、甲高い破裂音とともに大きな火花が散った。驚いて思わず目を閉じてしまい、恐る恐る目を開けると、何と云壜が粉々に砕けてしまっていた。僕もアリサも動揺を隠せず、ただ無言でモーグさんを見つめるしかなかった。

「あれ、おかしい……」

 しかしよくよく見てみると、僕は一つ不可解な点に気が付く。確かに壜は綺麗に割れてしまっていたが、中に入っていた想い石は依然として燃え続けていた。普通なら云壜が壊れてしまうと、中に込められた想いも石に留まっていられなくなって、宙に霧散していくはずだ。それなのに、目の前の石はその勢いが衰える様子もない。

 そこで僕はようやく自分が大きな勘違いをしていたことを理解した。これは云壜ではなかった。けれど、この石を僕は見たことがある。本当ならそのときに気付いてもよかったくらいだ。

「これは、灯篭石……?」

「その通り。まあ云壜に見えるように色々と細工はしてあったがね。これはただの壜に灯篭石を仕込ませてあっただけの物だよ」

「待って、どういうこと?」

 アリサは未だ壜が割られたことへの衝撃が抜けきらず、事態が理解できていないようだった。そこからはより詳しくモーグさんがここに至るまでの経緯を説明してくれた。

 ある日、彼は突然アリサのおじいさんから呼び出された。そのときにはおじいさんはもう寝た切りの状態で、しゃべることもままならないほどだったと言う。それでもおじいさんは最後の望みとして、彼にある物を託した。あの灯篭石だ。

 おじいさんが彼に頼んだのは三つ。まず一つはそれを云壜に偽装して、物置部屋に隠してくることだった。そして、もしそれを見つけた誰かが訪ねてきたら、事の真相を教えてあげて欲しいとも頼まれていたそうだ。

「でもじゃあどうしてこんな回りくどいやり方を……? 別に敢えて灯篭石だってことを隠す必要はなかったんじゃ」

 アリサの言うことは最もだった。結局僕たちは云壜だと勘違いしたままここに辿り着いているわけだから、隠し方としてあまり上手だとは思えない。おじいさんならもっと凝った方法を取ってもよさそうなものだ。

「それはおそらく彼なりの葛藤があったのだろう」

「葛藤?」

「彼は自分の願いを知って欲しいという想いと、知られたくないという想いの狭間で揺れていたんだ。まあ端的に言ってしまえばね、自分の願いが少し恥ずかしかったんだと思うよ。だから一見願いを込めた灯篭石であることがわからないようにした。もしそのまま気付かず開けられないのなら、それでもいいと思っていたのかもしれないな」

「おじいちゃんの願いっていうのは何だったんですか……?」

 その質問に対し、モーグさんは言葉を返す代わりに、そっと机の上で燃える灯篭石を指差した。いつの間にか火はみるみる小さくなって、今にも消えそうになっていた。そしてそのまま見つめていると、ゆっくりと萎むように音もなく空に消えていく。

「君たちが彼のことを忘れずに覚えていてくれること、そして彼の分まで幸せに生きてくれること。それが彼の願いだよ」

 モーグさんは明かりの消えた石を拾い上げると、それを持ったまま立ち上がった。そして部屋の隅にある引き出しを開け、中から何かを取り出す。

「この石をこうして君に渡すことが、彼から最後に彼から頼まれたことだ」

 そう言って彼が差し出したのは、灯篭石が埋め込まれたペンダントだった。石は形も大きさも銀色の枠にぴったりと納まっていて、あらかじめこのために用意されていたものであることがわかる。

「おじいちゃん、あのときのことずっと覚えてくれてたんだ……」

 アリサはそのペンダントを受け取って首につけた。そしてそこに埋め込まれたおじいさんの形見を愛おしそうに見つめる。周囲の光を吸い込んで静かな輝きを放つその石は、まるでおじいさんの安らかな眠りを体現しているようだった。この

「こうして君たちがここへやってきたことで、彼の願いはこれ以上ないほど叶ったと言えるだろうね。彼の代わりに私から礼を言うよ。ありがとう」

 重い責務から解放されたように深い息を吐きながら、モーグさんは色々な想いを噛み締めて目を瞑る。彼がこぼした涙に込められた想いが一体どんなものだったか、僕には計り知ることができなかった。

「こちらこそありがとうございました。きっとおじいちゃんも感謝してると思います」

 アリサは大粒の涙で頬を濡らしていたけれど、顔にはとても幸せそうな笑みを浮かべていた。そしてぎゅっとペンダントを胸元で握り締め、祈るような様子でおじいさんに向けて何かを呟いていた。

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