第三章 想う過去
3-1
「それでは第一回大掃除大会を始めます。返事は?」
「はーい……」
頭に頭巾を被り、エプロンと手袋まで用意してやる気満々のアリサにお尻を叩かれて、僕とセレンは気の抜けた声で答える。
「年が明ける前に、すっきりした気持ちで新年を迎えられるようにがんばるわよ」
そう言ってアリサはテキパキと手を動かして掃除を始める。ボーっとしていると怒られるので、僕らも重たい腰を上げて、まずは自分たちの物を片付けていくことにした。
事の発端は数日前、アリサが探し物をして事務所兼物置となっているこの部屋にやってきたことだった。僕はそのときまだ布団の中でぬくぬくと過ごしていたのだけれど、突然隣から大きな悲鳴が聞こえて慌てて飛び起きた。
何事かと思い、セレンと二人で様子を見に隣の部屋に向かうと、身体を震わせて腰を抜かしたアリサの姿があった。彼女の周りは強盗でも入ったみたいに物が散乱していて、ずいぶんとひどいありさまだった。
「大丈夫?」
心配して駆け寄ると、彼女は声も出さずに震えた指を棚と壁の間にあるわずかな隙間の方に向けた。しかしそこにはちょうど影が差していて、彼女が何を指しているものが何なのかわからない。僕は少し恐ろしさを感じつつも、ゆっくりと近づいてその暗がりを覗き込む。
「なんだ、小さいネズミじゃないか」
そこには僕の拳より一回り小さいくらいのネズミが蹲っていた。きっとどこかから入り込んで、そのまま出られなくなっていたのだろう。気付かれないように音を立てないように手を伸ばし、噛まれないように注意してそのネズミを摘まみ上げる。
「ほら、全然怖くないって」
アリサが怯えた様子でこちらを見ていたので、ちょっとからかってみようと手に持ったネズミを彼女の顔の前で振り子のように揺らしてみる。すると彼女は恐怖と怒りが混じった恐ろしい形相で僕を睨み、思い切り僕の右頬に勢いよくビンタを飛ばしてきた。
「ごめんごめん、やり過ぎたよ……」
「いいから早くそれを何とかして」
このままだとすぐに二発目のビンタが飛んできそうだったので、じんじんと痛む頬を押さえながら、ネズミを外へ逃がしに行った。さらにアリサは、汚いから手を洗え、と言うので、洗面所に行って手と、ついでに寝起きだった顔も洗った。
「決めたわ」
散らかった部屋を三人で片付けていると、彼女は唐突にそう呟いた。
「この部屋はあまりにひどすぎる。ちゃんと整理がされてないから、ああいうのが出てくるのよ。この際だから一回大掃除をしましょう」
そんな風にネズミへの恐怖と憎しみが彼女に固い決意を結ばせた結果、今この状況に至るのだった。アリサが片付けをすると言うと、半ば諦めて放置していた彼女の両親は大喜びだったらしい。僕たちは部屋を使わせてもらっている手前断ることもできず、こうして彼女の手伝いをすることになった次第だ。
とは言え、この部屋は確かにアリサのそう言うのも頷ける状態ではあった。元々僕が来る前から長い間手をつけられずに物置部屋になっていて、それを申し訳程度に片付けて僕が事務所兼道具置き場として使っていた。
しかしそのせいで余計に物が溢れて、僕が掃除を怠っていたことも相まって、床や棚は埃で薄っすらと白く濁り、窓は汚れですりガラスのようになっている。たまに探し物をするときなんて、それはもう砂漠で石ころを探すくらい絶望的である。
いつかはきちんと掃除をしなければと思いながら、気付けば三年が過ぎてしまっていた。状況的に僕とセレンだけではどうにもできなかったし、いずれにしてもアリサの家族の物もたくさんあるから、こうしてアリサが手伝ってくれる形になったのは正直助かった。
手始めに棚に並べてある空き壜を整理していると、何やら奥の方に光を放つ物が見えた。けれど、ここにある壜はすべて僕が仕入れた使用前の壜だから、当然中身が入っているはずはない。
不思議に思って周りの壜をかき分けて奥を覗く。すると、棚の一番隅に深緑色の布に包まれた何かがあって、そこから光が漏れ出ていることがわかった。
「これは……云壜?」
埃まみれの布に包まれていたのは、優しげな光を灯した壜だった。汚れて曇った外側を拭うと、中には小さな石が入れられていて、その石が静かに燃える炎に包まれている。見たところそれは紛れもなく云壜だった。
「おかしいな、これは僕が作った云壜じゃない」
これまでたくさんの云壜を作ってきたけれど、そのすべてを依頼人の顔とともに覚えている自信がある。だから一目見ただけで、すぐに自分が作ったものではないことがわかった。それに埃の積もり具合から察するに、ずいぶん長いこと放置されていたように見える。
「ねえ、アリサ。ちょっとこれを見てよ」
「どうかしたの?」
「そこの棚を片付けてたら、奥からこんな物が出てきたんだ。古い云壜みたいなんだけど、見覚えはある?」
見つけた云壜をアリサに見せてみるが、彼女も知らないと首を横に振った。
「何か下にくっついてる」
物珍しそうにまじまじと見つめていた彼女は、底に貼り付けられた紙切れを見つけた。それは小さな封筒で、どうやら中に手紙が入っているようだ。
誰の物かわからないから開けるのはまずいのではと思ったが、僕がそれを言う前に彼女はその封筒を開いて中身を取り出してしまった。まあ持ち主は彼女の家族のうちの誰かだろうから、問題ないと言えばそうかもしれない。
「これ、おじいちゃんの物みたい」
彼女はそう言って僕にその手紙を開いて見せた。部外者の僕が勝手に見てしまうのは気が引けたが、差し出されたのを突き返すのも妙なので、申し訳ないと思いつつそれに目を落とす。
この壜を見つけた者へ
きっとこれが発見される頃には、私はとうにこの世にいないだろう。
だからこれは私が最後に残す遺書のような物だ。
内に煌々と輝くこの石を取り出すことができたなら、私が隠した宝物をやろう。
天より命運を祈っている。
サイゾウ
末尾に書かれたサイゾウという名は彼女の祖父のものだった。アリサがまだ幼い頃に亡くなったと聞いている。つまり文面にあるように、死後に発見されるべくして発見されたということになる。
それにしてもまるで海賊みたいにキザで大仰な遺書だった。アリサの話によると、どうやら彼女のおじいさんはこういう茶目っ気があり、遊び心に富んだ人だったそうだ。写真を見せてもらったが、老父だというのに子どものように無邪気な笑みを浮かべていて、今も空から僕たちを見て笑っているのが想像できた。
手紙は誰が見つけてもいいように書かれていたが、おそらくは自分に向けられた物だろうというのがアリサの考えだった。確かにこれは明らかに大人に向けられてはいないから、その予想は正しいように思う。何より彼女は昔から、生前のおじいさんにこうしたゲームのようなことをよくやらされていたらしい。
「おじいちゃんは色んな挑戦を私に課してきたわ。チェスやオセロで戦うのは日常茶飯事だったし、手作りパズルやクイズを解いたり、突然宝の地図を渡されて街中を探し回ったこともあった。いつも私を楽しませる工夫がたくさん考えてあって、最後にはご褒美にお菓子をくれたわ。おかげで幼い頃の私はすっかりおじいちゃん子だった」
「とてもいいおじいさんだったんだね」
「ええ、そうね。本当に大好きなおじいちゃんだったわ……」
アリサは昔を懐かしむ様子で噛み締めるように言った。少し悲しげな顔をしていたのは、今はいなくなってしまった彼に想いを馳せていたからだろう。
おじいさんはおよそ六年前、彼女が十歳のときに亡くなった。その前から身体を悪くして寝た切りになっていて、それでも彼女を楽しませようと亡くなる直前まで一生懸命だったそうだ。しかし心は強くとも身体は少しずつ弱っていき、最期は家族みんなに看取られて眠るように逝ってしまった。
「まだ私は子どもだったから、人が死ぬってことがよくわかっていなかったの。だからおじいちゃんにろくに気持ちも伝えられないままお別れになっちゃった。今では後悔してるわ。亡くなった人にも云壜を届けられたらと、たまに思うことがあるくらい」
変なことを言ってごめんなさい、と自分の口から漏れ出た言葉を振り払うように言って、彼女は涙に濡れた顔を雑に拭った。
「さあ、とりあえず片付けの続きをやっちゃいましょう。まだまだ先は遠いんだから」
彼女はまるで自分の感情を押し隠すように無理矢理笑って、踵を返して掃除を再開した。
本当は何か声をかけてあげたかったけれど、上手い言葉が見つからない。唇を噛み締めてしばらく彼女の寂しげな後ろ姿を見たあと、自分にだけ聞こえるほどの小さな溜め息を吐いて、僕も自分の持ち場に戻った。
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