2-5
「ずっとにやにやしてて気持ち悪いよ」
セレンが呆れたように言う。けれど僕はどうしても頬が緩むのを止められない。
「しょうがないじゃないか。誰かから云壜をもらうなんて初めてなんだ」
掌に乗った小ぶりの可愛らしい壜に目を落とし、また耐え切れず笑みがこぼれる。跳ね回るように元気よく燃える想いは、送り主であるユナ本人の姿と重なって見えた。これまでたくさんの云壜を見てきたけれど、たぶんそのどれよりも綺麗な炎だ。きっといつまで見ていても飽きないだろう。
云壜とはこんなにも人の心を暖かく照らすなんて思わなかった。僕は感じたことのない多幸感に満たされる。こんな素晴らしい物を届けてきたのかと思うと、何となく続けてきた云壜屋の仕事がとても誇らしくなった。
これは村を出る前にユナからもらったものだった。
「そうだ!」
何やらユナがサラさんに耳打ちをすると、二人揃って悪戯っぽい笑みを浮かべて僕の顔を見た。
「お願いばかりで申し訳ないのですが、ユナが云壜を送りたいと言うので、よろしければ付き合っていただけないでしょうか?」
急に云壜を作って欲しいと言われ、僕は少し驚く。しかしサラさんにそう頼まれて、当然断る理由もなかった。
こういう突発の依頼のために予備をいくつか持ってきていたので、その中からちょうどいいものを見繕った。お代はいらないと言ったのだけれど、サラさんにどうしてもと言われて半ば無理矢理持たされる形で受け取った。
「誰に、どんな想いを届けたいか、教えてもらえるかな?」
云壜作りを始める前にそう尋ねると、彼女は、ひみつ、と言って教えてくれなかった。内容を知らされないままでは上手く作れるか不安だったけれど、すでに一度心に入っているから大丈夫だろう、とセレンが言うので、とりあえずやってみることにした。
「ありがとう!」
セレンの読み通りだったのか、あっけないほど簡単に云壜は完成した。心の景色が見えたのも一瞬で、気付くとすでに壜の中には炎が灯っていた。本当に自分が作ったのか不思議に思えるほど実感がなかったが、ユナが満足そうに笑ってくれたのでよしと思うことにする。
「じゃあ、はいどうぞ」
するとユナは出来上がった壜を僕の前に差し出した。僕はよく意味がわからず、戸惑って返答に詰まる。
「これ、おにいちゃんにあげる!」
僕は困惑を隠し切れないまま、こわごわと彼女の手から云壜を受け取ろうと手を伸ばす。しかし指先が壜に触れる寸前のところで、何故か手が止まってしまった。
「受け取ってあげてください」
サラさんにもそう促されて、僕は震える手を抑えて何とかその壜を握る。そこから全身に温もりが伝わってくる。中で揺れる炎に目を向けるとそれが現実のものではないように感じられて、まるでスクリーンに映し出された短編映画を見ているのような夢想的な感覚に陥る。
しばらくはその云壜を手に持ったまま、思考が上手く働かなかった。喜びを実感できたのは、それからずいぶん後のことだ。
「そんなに嬉しいなら早く開けたらいいのに」
「いいんだよ。家でゆっくり開けたいから。それにもうちょっとだけ、このまま見ていたいんだ」
あまりに僕がでれでれとにやけているからか、彼はもう何も言わないと目を逸らして窓の外に視線を移した。
ちょうどルネまでの道のりを半分ほど過ぎたくらいだろうか。もうあの深い森を抜けて、のどかな田園風景に変わっている。沈みかかった夕日がどこまでも続く地平線へと溶けていくのを眺めていると、この世界の広さを感じることができた。
「それにしても、今回の旅で僕は家族って不思議だなと思ったよ」
「どうしたの急に」
「いやさ、あの村では色んな人に会ったけど、みんな家族がいたでしょ? でも人それぞれ家族ってものの形は違っていた。それってとても不思議だと思ったんだよ」
バークさんはロイさんのことを家族以上の存在だと言っていたし、ロイさんは血の繋がりのない女性と結婚して家族になった。宿屋の老夫婦のように何十年も一緒に連れ添って生きる人たちもいれば、ユナの両親のように愛する我が子どもを捨ててしまう人もいる。そんなユナにも今は新しい家族がいて、サラさんたちは彼女のことを本当の娘として精一杯愛している。
家族とそうでない人の境目はなんだろう。僕には家族がいないから、正直よくわからない。いや、遠い昔に僕を捨てた両親も、やはり僕にとっては家族なのかもしれない。
「そうやってすぐ考え込むのが君の悪い癖だ」
セレンは僕の顔を見て軽く笑い、窘めるように言った。
「何でもそんなにきっちり決める必要はないんだよ。自分が家族って思う人が家族。それでいいんじゃないかな」
確かにそうかもしれない。定義なんて結局は後からついてくるもので、言葉に縛られてしまっては本末転倒だ。大切なのは、家族と思える人に出会うことなのだと思った。
「じゃあ君と僕は、家族、なのかな」
ちょっぴり照れ臭かったけれど、勇気を出して尋ねてみる。彼は僕がそんなことを言うのが意外に感じられたらしく、驚いたように目を丸くした。
「少なくとも僕はそうだと思ってる」
いざそうはっきりと返されると、嬉しさよりも恥ずかしさが勝って顔が熱くなる。
「いつか、僕も結婚とかするのかなあ」
ロイさんたちの結婚式を思い出しながら、自分があの場に立っている想像はできないなと思う。セレンは兄弟のようなものだけど、それとはまた違うのだろう。式で牧師が言っていた『愛する』という言葉が頭の中を反芻する。それが一体どういう想いなのか、今の僕には見当もつかない。
「まあその鈍感さを直さないと、当分は無理だろうね」
何がおかしいのかわからないが、セレンはからかうように悪戯っぽい笑みを浮かべていた。自分が鈍感だという自覚はなかったので、彼の言葉が少し不服に思える。しかし僕がそう言うと、彼は腹を抱えて笑い始めた。
「そのうち自分でも気付くことになるさ」
あんまり彼が笑うので、僕は腹が立って視線を外してそっぽを向く。彼は笑いを堪えながらごめんと謝ったけれど、この列車が止まるまでは許してやらないことにした。
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