第二章 想うこと
2-1
ガタンゴトン。
高い音と低い音が交互に僕らの身体を揺らす。リズムよく続いていくその音の連なりは、まるで僕らの旅を見守りながら、ゆっくりと時を刻んでいく時計の針のように思える。
線路は鬱蒼と茂る大きな森の隙間を通っていて、窓の外から見える景色は霧がかかってわずかに白んでいる。肌寒く乾いた空気に満ちた車内で、吐き出した息がきのこ雲のようにもくもくと空へ浮かび上がるのを眺めながら、揺らぐ意識とともに夢と現実の境を行き来する。
何だかこうしていると、この線路はどこまでも続いているのではないかという気がしてくる。世界の果てがあるとしたら、それは決まったどこかではなくて、こんな風に終わりのない場所なんじゃないだろうか。
向かいに座るセレンもぼんやりと変わり映えしない景色を見つめていた。眠そうに瞼を擦りながら、大きく欠伸をする。
「長旅はずいぶん久しぶりだね」
普段はほとんどルネ周辺で生活が完結しているので、こうして列車に乗るのも珍しいことだった。加えて今日は朝から出かけて、もう半日以上この列車に揺られている。思えばこんなに遠出をするのは、初めてルネにやってきたとき以来だ。
重力に負けて垂れ下がる瞼を閉じて、僕は再び微睡みの中に落ちていく。目を瞑ると、鼻をくすぐるような草木の香りを感じた。まだ目的地に着くまでは時間があるから、それまでもう一眠りしてしまおう。
今回の依頼は結婚する友人に祝いの想いを届けて欲しいという依頼だった。依頼人のバークさんは本当なら直接行って祝いたかったが、仕事が忙しくて街を出るのが難しいため、代わりに祝儀と一緒に云壜を送りたいと考えて僕のところにやってきたそうだ。
祝いの席に云壜を届けるというのは案外多い依頼らしい。言葉だとどうしても形式張ってしまうから、気持ちを直接伝えられる云壜は使い勝手がいいのだろう。
けれど僕自身はそういった依頼は初めてで、当然結婚式というものにも参加したことがない。だから実際どんな様子なのか、少し楽しみでもあった。
内容的にはさほど難しい依頼ではない。云壜の作成も問題なく完了して、ハート型にも見える可愛らしい彼の想いは僕の鞄の中で揺らめいている。彼はその出来栄えに満足げだったけれど、ひげ面の大男である彼自身とのギャップがおかしくて、僕はつい笑ってしまいそうになった。
「あいつとは生まれたときからずっと一緒でね。赤ん坊の頃はハイハイで競争。ガキの頃は森で探検ごっこ。もう少し大きくなると二人で家出をしたこともあったし、同じ女を好きになって大喧嘩したこともあった。大人になって、俺が村を出るって決めた日には、あいつは泣きながら別れを惜しんでくれた。こうして住処は離れちまったけど、繋がりが切れることは絶対ない。あいつは下手すりゃ俺にとっては本当の家族よりも家族かもしれないな」
こんなこと言ったら女房に怒られるけどな、と言って彼は照れ臭そうに笑う。そうやって 彼は云壜を作り終えたあとも、ひっきりなしに親友であるロイさんとの思い出話を語ってくれた。おかげで彼にとってロイさんがどれだけ大切なのかはよくわかったし、結婚を誰よりも喜んでいることが伝わってきた。
「必ずロイさんの元にこの云壜をお届けします」
僕がそう言うと、彼は熊のように大きな右手を出して握手を求めてきた。そして僕の手を握りながら、ぜひあいつによろしく伝えてくれ、と何度も頭を下げた。
彼の故郷はルネから山を二つ越えた先にある森の中の小さな村だ。距離としては列車でおよそ半日ほど。結婚式は夕方から行われるということだったので、僕たちは朝一番の列車に乗った。そのおかげでこんなにも強い睡魔に襲われているというわけだ。
眠ったり起きたりを繰り返しながらうつらうつらとしているうちに、いつの間にか列車は目的の駅に到着した。僕はセレンに翼で思い切り頬を叩かれて、まだぼんやりとした頭と重たい身体を引きずって何とか列車を降りる。
そこは森の中に無理矢理作られたような駅で、建てる場所を間違えたのではないかと思えるほど異質な光景だった。木々の合間を縫うように建てられた駅舎にはところどころ蔦が絡まっていて、今にもこの大きな森に飲み込まれてしまいそうだ。
僕たちが降り立ったホームは列車よりも短い板張りの床と古ぼけた屋根があるだけの簡素な造りで、列車を待つ乗客はおろか、駅員さえも見当たらない。乗ってきた列車が行ってしまうと、途端に森から発せられる厳粛な静けさに満たされ、僕は知らない世界に取り残されたような気分になる。
「わっ!」
突然森の奥から何かが飛び出してくるような音が聞こえて、僕は驚いて思わず悲鳴を上げた。しかしそれはただカラスが飛び去っただけだったらしく、驚きすぎだよ、とセレンに鼻で笑われてしまった。
「田舎とは言ってたけど、これは想像以上にすごいところだね……」
とは言え、彼も目の前の光景には驚きを隠せないようだった。
「地図を出してくれる?」
僕はバークさんからもらった地図を開き、村までの道のりを確認する。いつまでもこうして初めての場所に驚いているわけにはいかない。とりあえずは村に向かわなくてはと、僕たちは雑然と立ち並ぶ木々の間を歩き始めた。
「道はこのまま真っ直ぐみたいだ。バークさんは歩いて十分くらいだと言っていたから、距離的にもそんなに遠くないはず」
どこからともなく聞こえる物音にびくつきながら、霧がかった森を進んでいく。本当にこんなところに人が住んでいるのか疑問に思えるほど、森の中は自然そのままの形を保っていた。それは一種の神聖さすら携えているように感じられる。
そんなことを考えていると、セレンが急に立ち止まって、僕の袖を引っ張った。そして目の前にある一本の木を指さす。
「あの木、さっきも見たよ」
どうやら僕たちはいつからか同じところをぐるぐると彷徨っていたようだった。そのことに気付いたときにはもう手遅れで、自分たちが地図のどこにいるのかもわからなくなっていた。
結論から言うと、僕たちは村に着くまで一時間以上歩き続けた。そしてもう無理かもしれないと諦めかけたところで、ようやく視界が開けて目的の村が見えた。
あんなに森の中は浮世離れして恐ろしかったというのに、村のあるところはかなり開けた明るい土地だった。疎らに家々が立ち並び、その間に畑や田んぼが広がっている。遠くの方からは牛が間延びした鳴き声を上げるのが聞こえた。まさにのんびりとした田舎の風情を具現化したような場所だ。
近くにいた村の人に道を尋ねながら、僕たちは何とか結婚式の会場である村の教会まで辿り着くことができた。運よくまだ式は始まっていないようで、教会の周りには参列者の人たちが集まって楽しげに談笑し合っていた。
受付の人に依頼の旨を話すと、そのまま新郎のいる奥の控室に案内された。中に入ると、皺一つない新品のスーツに身を包み、緊張した面持ちで佇む新郎の姿があった。
「初めまして。本日は大変おめでとうございます。僕は云壜屋のユリルと申します。ご友人のバークさんから云壜をお届けに参りました」
僕は簡単な挨拶をして深々とお辞儀をする。すると受取人のエリオさんはバークさんの名前を聞いて少し緊張が解けたのか、肩の力を抜いて優しげな笑みを返してくれた。
「わざわざこんな遠くまでありがとう。バークの奴、なかなかキザなことするもんだな」
云壜を渡すのは式が終わってからのがいいかと思ったのだが、ちょうど本人が落ち着かない気分を紛らわしたいと言うので、すぐに取り掛かることになった。僕は鞄から壜を取り出してエリオさんに渡し、セレンが封の紐を解く。
目を瞑って彼の心へ入ると、そこはまるで砂糖菓子の中みたいに甘い香りが満ち溢れていた。いっぱいに広がる幸せに包まれた彼の心に僕も幸せを感じながら、バークさんから預かった想いを彼に届ける。
目を開けると、エリオさんの掌に置かれた云壜が眩い光を放っていた。しばらくして光が限界まで満ちると、壜はパリン、と乾いた音を立てて砕け散る。宙に霧散した想いの欠片は彼の結婚を祝福するフラワーシャワーのようで、僕たちはその煌めきが消えるまで美しさに見惚れていた。
「こんなに綺麗なものを初めてだ。あいつに泣かされるなんて癪だけど、つい感動してしまったよ。想いはちゃんと受け取ったと伝えてくれるかな」
「はい。もちろん」
エリオさんはもうそろそろ準備をするからと言うので、僕は部屋から退散することにした。しかし最初に準備は終わっていると言っていたから、もしかすると泣いている姿をあまり僕に見られたくなかったのかもしれない。
ぜひ式にも参列してくれという彼の言葉に甘えて、僕たちも会場の隅でひっそりと彼の晴れ姿を見させてもらうことにした。式は終始和やかに進められて、誰もが彼らの幸せを祝福しているのがわかった。
式が一通り終わって、参列者がパーティへと流れていくのを横目に、僕たちは静かに会場を後にした。風に舞った花びらが僕の眼前を過ぎていく。僕は彼らからもらった幸せのおすそ分けを胸いっぱいに抱え、今日はとてもいい日だと思った。
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