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何はともあれ、云壜を作らねば僕たちの仕事は始まらない。しかしこの場で作業を行うわけにもいかないので、僕らはコーヒーの代金を机の上に置いてサリエラさんにお礼を言ったあと、階段を上がって事務所の方へと向かった。
まあ事務所と言っても、そこは僕とセレンが住んでいる部屋の隣、小さな物置部屋のことである。中央には一応来客用にソファと机が置いてあるが、お世辞にも人をもてなすのに適した場所とは言えない。
部屋全体から放たれる独特のかび臭い空気が充満し、目で見えるほどの埃が宙を舞っていて、喉の奥にちくちくと細かい棘が突き刺さるような感じがする。僕は結構この部屋が好きなのだけれど、初めて来たシルヴィアさんは埃を吸い込んでしまったのか、少しむせこんでしまっていた。
床には本や紙切れ、使いかけのろうそくに、枯れかけた植木鉢なんかが、必要かそうでないかもわからないまま散らばっていて、かなりひどいありさまだった。一応仕事で使う道具は壁沿いに置かれた背の高い棚に並べてあるが、それもずいぶん雑然としていて、僕も何かを探すのに苦労することが多い。
ここはもうほとんど収集がつかないほど物が溢れかえっていて、あのお節介焼きのアリサでさえも呆れかえって手をつけようとしない。たまに少し自分で片付けてみても、気付くと最初よりも散らかっていて、いつも途中で諦めてしまうのだった。
「こんなところですみません……」
シルヴィアさんにはとりあえずソファに座ってもらって、僕は云壜を作る準備を始める。必要なのは、想いを込める想い石と、それを入れるための空の壜。想い石と壜にはそれぞれ色や形の異なる様々な種類があって、相手に合った壜ものを選ぶことで、より鮮明に想いを伝えることができると言われている。つまりそれを選ぶ工程で、僕たち云壜屋の技量が一番試されることになる。
想い石は一見するとただの石でしかなく、そのままでは想いを込めることもできない。石が想い石たるには『精霊の力』というのが必要で、それを操ることができるのがセレンのような特別な力を持った動物たちだ。そのため云壜屋は伝統的にパートナーとなる動物と行動を共にしている。言わば、僕とセレンは二人揃って初めて云壜屋なのだ。
僕は彼女の雰囲気や声、語った言葉、そして内に抱える想いを考えながら、一つ一つ吟味して壜を選んでいく。最終的に、パッと一番最初に目についた、透明でシンプルな壜を選んだ。彼女の想いはきっと綺麗な色をしているから、それが映えるように、壜には余計な細工が必要ないと考えたのだ。
石の方もできるだけシンプルなものがいいと思い、綺麗な真っ白の小さく丸いものを選んだ。そこにセレンが手をかざすと、周囲から淡い光が集まって石の周りを覆う。これでいよいよ準備ができたので、実際に云壜を作る作業に取り掛かる。
「それじゃあ、手を開いたまま胸の前に出してください」
僕は想い石を入れた壜をシルヴィアさんの掌の上にそっと乗せた。そしてその壜に手をかざしながら、彼女に一つずつ手順を説明していく。
「目を瞑って、心の中で想いを送りたい相手を思い浮かべてください。そしてその人と過ごした時間やその人に抱いた気持ち、その人に伝えたかったこと、伝えられなかったこと。そういう色んなことを思い出しながら、少しずつ想いを形にしていきます」
そこから僕も目を瞑り、彼女の心の中へ入っていく。自分の存在が溶けて希薄になり、液体のように広がって、彼女の中に染み込んでいくような感じだ。僕たち云壜屋はこうして一度相手の心と同化して、直接その人の想いに触れることで、云壜を作り上げる。僕は自分ではない誰かの中を旅するこの感覚が好きだった。
眼前に広がるのはまるで桃源郷のような景色だった。森と小川に囲まれた静かな丘に、身体をそっと包み込むような心地よい風が吹き抜ける。
雲が疎らに浮かぶ真っ青に透き通った空の上を、小鳥が歌うように語らいながら飛んでいく。この空はきっと彼女の広い心が見せているのだろうと思う。つい見惚れて吸い込まれそうなほど美しく、危うく自分がここへ来た理由を忘れるところだった。
どこまでも続く草原を越えて、ずっと遠くの方に、ほんの小さな光が見える。あれが彼女の想いだ。
どんどんその光に近づいていくと、オレンジがかった炎が目の前に現れた。夕焼けのオレンジと朝焼けの白が混じった優しい色だ。僕はその炎をそっと掬い上げ、抱きかかえるように胸元へ当てる。
「出来ました」
目を開けると、彼女の心の中で見た綺麗な炎が壜の中で揺れていた。そっとコルクの蓋で封をして、想いがこぼれてしまわないように壜の中に閉じ込める。こうして彼女の想いがこもった云壜が完成した。
彼女はしばらく視線を揺らしたまま茫然としていた。こうして自分の想いが壜詰めされるというのは、不思議な感覚なのだろう。夢から覚めないような虚ろな表情のままの彼女を、何も言わず見守る。
「あなたは……、そう。こんなにも、寂しく……」
ようやく意識がこちら側に戻ってきたのか、小さな声で何かを呟いたあと、僕の顔をまじまじ見つめる。そして言いかけた言葉を飲み込むような様子を見せ、静かに視線をそらした。
「いえ、ごめんなさいね。ちょっと驚いてしまって」
どうやらずいぶん混乱してしまったようだった。他人が心の中へ入ってきて自分の想いに触れるのだから、驚くのも無理はない。飲み物を渡すと少し落ち着いたようで、元の笑い顔を取り戻した。
「それにしても何だか懐かしいわ。実は死んだ夫にプロポーズされたとき、彼から云壜をもらったの。そのときは一緒にもらった薔薇よりも真っ赤な色をしていて、思わず笑ってしまったのを覚えているわ」
言葉を介さずに想いを直接伝えることができるため、云壜はプレゼントとして贈られたり、告白やプロポーズに使われることもよくある。ただ自分の気持ちを偽ることができないため、いざ作ろうとしたら上手くいかない、なんてことも多いと聞く。だからきっと旦那さんは、本当に彼女のことを愛していたのだろう。
「あとはこれを渡しに行くだけですが、一緒についてきていただく方がいいですよね?」
云壜の受け渡しは云壜屋が行う必要がある。普通の人には開けられないようになっていて、作るときと同じように直接相手の心の中に入り、その想いを届けるのだ。
通常は依頼人と一緒に行くということはあまりない。そもそも云壜を使うということは、直接会えない理由があったり、面と向かって言えないことを伝えるわけだから、それは当然とも言える。しかし今回は特殊なケースなので、シルヴィアさんにも一緒に来て立ち会ってもらうことにした。実際彼女もそのつもりだったようだ。
ゴルダさんは隣町のリウィアにある病院に入院していて、彼女は毎日お見舞いに出向いているらしい。彼女はこのまま彼の元に行くとのことだったが、僕は少し準備をしたかったので、今日は一旦ここで別れることにした。明日の昼過ぎにリウィアの中央広場で待ち合わせて、改めてゴルダさんのところへ向かうよう約束する。
万が一割ってしまっては大変なので、出来上がった云壜は明日まで僕が大切に保管しておく。光が漏れないように丁寧に麻布で包み、事務所にある保管用の棚にしまった。
「今日は本当にありがとう。明日もよろしくお願いするわ」
「はい。必ずゴルダさんにこの云壜を届けましょう」
彼女と握手を交わし、別れを告げて部屋に戻る。簡単に昼食を済ませたあと、明日のために少し調べ物をすることにした。事務所からいくつかそれらしい本を引っ張り出して、机の上に並べる。
僕が最初に開いたのは、『マーブル・ヒストリカ』と呼ばれる全十二巻からなる重たい専門書だ。これはマーブルという伝説的な云壜屋が生涯をかけてまとめ上げた、云壜界の事例集である。彼が請け負った依頼から、伝承として語られるおとぎ話まで、あらゆる云壜のことが描かれている。もはや云壜屋の必携書と言っても過言ではない代物で、特にまだ経験の浅い僕はとても重宝していた。
重点的に調べたのは、過去の珍しい云壜の依頼例だった。もし今回の件に近しいものがあれば、解決の糸口が掴めるかもしれないと思ったのだ。しかし他の本も含めて様々な事例をさらってみたが、残念ながら近しい事例はほとんどが上手くいかなかったものばかりで、具体的な解決方法は何も見つからなかった。
「何か方法を考えなくちゃ……」
シルヴィアさんが何件も断られた末にここへ流れ着いたのは、それだけ成功する見込みが薄いということを示している。それを自信満々に受けて彼女に期待を抱かせたのだから、結局ダメでしたでは済まされない。
これまでも他で断られた特殊な依頼はいくつも受けてきた。例えば、自分の想いと向き合えないために云壜が上手く作れないという人や、相手に受け取りを拒否された人なんかがいたけれど、今回のように相手が受け取れない状態にあるのは初めてだった。
本当は誰のどんな想いも平等で、相手に届かなくちゃいけない。だからシルヴィアさんの想いも、虚しい結末を迎えて欲しくなかった。
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