第9話 アナスタシア 棺の中の手紙





 カイザキは女王国・アスカの侵略を阻止すべく任を与えられたヤマタイ連合の最前線だ。

 ここはイズモ国の領内だが、アスカ侵攻の驚異の前に、クマソ国とキビ国もヤマタイ連合の結束の下、援軍を常備している。

 ヤマタイ連合とはイズモ国・クマソ国・キビ国の三つの小国から成る連合共同体だ。

 アスカとの国境となる天然の要塞・ダイセン山脈が、アスカの大規模な進軍を阻止しているが、一か所だけ尾根が低くなった場所があった。

 だがそこには、高さ二十メートルの城壁で国境に睨みを利かすカイザキ最大の軍事拠点、サキモリ城塞がある。

 コージ・イソベ大尉はサキモリ城塞を守る三人の大隊長の一人だ。

 大隊は、五つの中隊と二十の小隊で編制される千人規模の部隊である。

 要するにサキモリ城塞とは、イズモ・クマソ・キビから千人ずつ兵を徴集して、アスカに備えている防衛要塞なのだ。

 そしてヒカル・アオキが住んでいる集落を東イカルガと呼ぶ。

 イカルガは東・西・南・北の呼び方で、四つの集落があり、それぞれがサキモリ城塞に輸送する食料・物資の中継地点となっている。

 それ以外にも、敵の小規模部隊がゲリラ戦法を仕掛けて来るダイセン山脈の桟道付近の砦への補給も、彼らの任務の一つだった。

 先日の集落の襲撃も、そう言ったいくつもある桟道を通り、砦の警護の隙間を縫ってやって来ると言うのだ。


「月に一回くらい、風の弱い時に食料を狙った一昨日のような襲撃があるんです」

 ヒカルが言った。

「月に一回くらい?」

 アナスタシアは直感的に違和感を覚えた。

「それほど頻繁に来ると分かっているのに、砦の任を授かった者はどのような警備をしているんだ?」

「裏をかかれているようなんです。桟道の数はおれたちの知る限りで七つなんですが、どうもそれ以外の所からやってくる気がするんですよ。コージ大尉がバーンズ少佐に、他にも桟道があるんじゃないかって尋ねてみるんですが、それを言うと少佐は酷く怒るみたいで……。将校の言うことが信じられないのかって」

「尋ねるだけでか?」

「大尉はそう言っていましたよ。おれはそれ以上詳しい事は知らないですけど」

 ヒカルたちは軍属ではない。

 先祖代々この地に暮らす定住者なのだ。

 四つのイカルガ地区に暮らす者達は、軍部に協力する事で、農工業だけでは賄えない生活費を稼いでいると言うのだ。

 以上がヒカルから聞いたカイザキの現状だった。


 アナスタシアがコージ大尉を簡単に打ち負かしたニュースは、立ちどころにカイザキ中に広まっていた。

「我はクマソ国で随一の使い手、ハヤテ・ソガ中尉だ」

「わたしは昨年の武芸大会覇者・キビ国のシンジ・ヨシムラ少尉です」

 とサキモリ城塞に駐屯する腕自慢が日々やって来る。

「剣聖殿とお手合わせ願いたい」

「分かった。うけたまわった」

 アナスタシアは相手からの勝負を全て受諾し、そして全て降した。


「キミたちに頼みがあるのだが」

 とアナスタシアもこの機会にと、なまったと感じる剣技を取り戻すべく、一度に三十人の猛者を練習に付き合わせたが、アナスタシアに一矢報いる者はいなかった。


「間違いなく、剣聖様だ」

 剣を交える毎に、アナスタシアの武の女神の称号は揺ぎ無きものとなった。


 ところ変われば品変わると言うのか、この地に来て、アナスタシアはロマノフ帝国では見た事のない道具や装置の多さに驚いた。

 ランプという明かりがそれだ。

 油に浸した太く短いヒモを火花によって着火させる、火打石を見るのは初めてだった。食事などの火元も全て、火打石で燃料に点火させる所から始まるのだ。

 水の供給に於いてもそうだ。

 水道ポンプと呼ばれる装置が、各建物の台所付近に必ずあって、それが水の供給源となっていた。

 使い方を知らなかったアナスタシアは、エルミタージュにいる時と同じように、給水口に手を当てて、生活魔法で水を汲もうとしてヒカルに笑われたのだ。

「何やってるんですか、アナスタシア様」

「水が出ないのだが」

「こうやるんですよ」

 とヒカルが水道ポンプのフォースロッドを上下させると、給水口から勢いよく水が溢れ出た。

 

 刀鍛冶の工房での鍛造技術を見るのも初めてだった。

 七百℃から八百℃くらいに熱した鉄を、叩いて伸ばし、また熱して叩く。その作業の末に出来上がる剣の仕上がりに、アナスタシアは感動すら覚えた。

(いずれも魔法で行っていた作業だ)

 そしてアナスタシアは気づいた。

(ここは魔法が存在しない世界なのかもしれない)

 風魔法以外は生活魔法しかマナを持たないアナスタシアだから、そんなに不自由はしなかったが、カイザキに来てから魔法マナを感じない違和感は持っていた。

(果たしてカイザキに限ったことなのだろうか)

 全てを見知ったわけ訳ではないが、魔法が使えるなら必要ないであろう多くの設備を思えば、ヤマタイ連合及び女王国アスカが治めるこの地は、魔法のない世界だと思わざるを得なかった。

 


「ヒカル。聞きたいことがあるのだ」

「何でしょうか?」

「キミたちは魔法を使えるのか?」

「えっ? 魔法って何ですか?」

「いや……いい。忘れてくれ」

「は、はい……」

 ヒカルは怪訝な顔を少し見せたが追及はして来なかった。 

 この世界の摂理に戸惑いを見せているアナスタシアを最も身近に見ているヒカルだったし、それを思いやる優しさが彼にはあった。

 彼だけではない。

 アナスタシアを剣聖と信じている事は大きかったが、ここの住民はみな親切で協力的だった。

(それでも……)

 離れ離れとなった仲間たちの事を思うと心が落ち着かなかった。

 中でも、父・ニコラスに正式な形でお別れを伝えていない事が心残りで仕方なかった。

 そこにはニコラスが信頼を寄せていた大公・ペトロの裏切りがあった。

(そうだ……! わたしのせいで囚われの身となった、ハモンドとルーシーはどうなったのだ?)

 徐々にその辺りの記憶が明らかになってきた。

 父の死の知らせを聞いて、転移魔法で宮殿に向かった際、ペトロの孫・ミハイル皇子に拘束されてしまったアナスタシア達だった。

 ニコラスはその死を確認した。

 その悲しい事実は変えられないが、生き別れたハモンドとルーシーのその後の安否が不明だった。

(無事でいてくれ)

 心よりそう願った。

 だが、軟禁されたアナスタシア自身、その命を絶たなくてはならない状況に追い込まれたのだ。それを考えれば、ハモンドとルーシーにいい結果がもたらされるとは想像し難かった。

(ハモンド……。ルーシー……。わたしのせいで、キミたちを不幸にしてしまったのか……)

 愛し合っている恋人達の無残な最期を想像すると、アナスタシアは居ても立ってもいられなくなるのだ。

 しかし、ロマノフ帝国もパンゲア大陸も、そしてアナスタシアのいた世界・クロノスも、誰一人その存在を知る者はここにはいなかった。

(ここはやはり、わたしの知らない異世界なのか? わたしは……わたしは何も出来ないと言うのか……!)

 万策尽きた感はあったが、それでも諦めずに足掻いていたかった。


 アナスタシアは砦にあるヒカルの小屋に戻り、クロノスに関する手掛かりと、欠けている記憶の修復に繋がる何かを求めて、自分が眠ってた棺の中を隅々まで調べた。

 すると、枯れた花びらに紛れて、手紙が出てきた。


   愛しのアナスタシア・マリー

   ぼくはいつまでも きみを愛している

        

 ロマノフ語でそう書かれていた。

(これは……誰だ……)

 友人や部下たちならこのような書き方はしない筈だ。


   愛しいアナスタシア・マリー


(わたしには恋人がいたのか? ……分からない……)

 その姿形すら脳裏に浮かんで来ない。

 

   愛しのアナスタシア・マリー

   ぼくはいつまでも きみを愛している  


                   


 とロマノフ語で書かれた二行の短文の後に、見た事もない三文字で締めくくられていた。

 しばらく見つめているうちに、その三文字は何処かで見た事のある文字だと気付いた。

 アナスタシアは自分が羽織っている青いフリースジャケットを脱いで服の裏側にあるタグを食い入るように見つめた。

(これだ! これは手紙に書かれているものと同じ筆跡と同じ文字だ)

 アナスタシアはフリースジャケットの裏に直筆で書かれた「桐葉 葵」

の文字と手紙の末尾の三文字を何度も見比べた。

(やはり間違いない!)

 この手紙の主と青いフリースジャケットの持ち主は同一人物だ。

(このジャケット……確か、エルミタージュの晩餐会で、誰かがバルコニーにいるわたしの肩にかけてくれたものだ……)

 少し思い出した。

 だがそこまでだった。

 アナスタシアはその人物の顔と名前を思い出す事は出来なかった。

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