第8話 リプートの隔離施設





 リプート城郭の隔離施設は思った通り凄惨を極めた。

 まずは衛生面が最悪だった。

 管理者は室内やトイレなど施設内の清掃を一切行わない。食事の衛生管理もずさんで、異臭を放った物を提供している始末だった。

「死にゆく者に健康も衛生もないだろう」

 看守の大半がそんな感覚の中にいた。

「おまえら人の命を何だと思っているんだよ!」

 切れそうになるリンダを押さえるのが大変だった。


 この施設の看守は殆どが上司にうとまれたか、ミスをして左遷させられた者達だった。そう、ここは所謂いわゆると称される場所なのだ。管理する者もされる者も。

 要するに、モチベーションの低下した者がこの施設を管理運営わけだ。

 そのように自分の未来に絶望した人間が、いい形で他人の未来に寄り添える筈もなかった。

 葵は患者達には改良型のビブラマイシンを与えながら、まずは管理者の意識改革を行う事にした。

 とは言えここはアルビオン王国だ。他国の領域に踏み込む事は越権行為以外の何物でもなかったが、王族であるビンセントの存在は大いに役に立った。

 このプロジェクトはビンセントの根回しなしには実現不可能だった。葵の話を聞いた彼の方から積極的に関わって来たのだ。


「わたしは遊び目的でロマノフ帝国やゲルマン王国を遊学していた訳ではないんだよ」

 ハルが開いた転移ゲートを通ってリプートにやって来たビンセントはそう言った。

「各地を回った結果、国民の裕福度が一番低いのがアルビオンだと気付いた時は、大変ショックだったけどね。―――ゲルマン国民の暮らしも然程よくなかった。そんな中にあって、ロマノフ帝国の民の暮らしぶりは群を抜いて豊かだった。その理由がアナスタシア皇女殿下だ。あの方が率先して貧困層の改革を行い、疫病対策にも自ら発病しながらも闘っていた。王族自ら率先して取り組むその姿勢が軍師殿やサーバント達を動かしているんだとわたしは理解したんだ。だからわたしも率先して動きたいんだ。主がいなくなってもその遺志を継ごうとする、本物の主従関係が今のアルビオンにも必要なんだよ」

 アナスタシアの生き様は、このように他国の王族にも強く影響を与えているようだ。

 先に上げた管理者の意識改革の一環として、待遇の改善と午前午後の休憩時に、紅茶とクッキーを提供する事にした。

 たったそれだけの事かも知れないが、他では口に出来ない物がここで食せる喜びは、働く者のやる気と言う意識を奮い起こす結果を生んだ。そして管理者だけでなく利用者にも分け隔てなく与えられた。

 最初は壁やドアを隔てた環境の中でのティタイムだったが、やがてテーブルは離してあるが同じ部屋でお茶を飲み、ついにはテーブルを挟んだ会食にまで発展した。

 互いに気心が知れると、友情や愛情が芽生え、思いやりも生まれた。

 今までは作業の一環として行って来た介護や看病に「心」が付加されるようになったのだ。

 死にかけて命が生還した時の喜びを知ると、次の命も救おうと皆が頑張りだした。

「みんなで一緒に紅茶を飲もう」

 それが合言葉となって施設の管理者も利用者も一緒になって施設の改善に尽力した。

 そして功ある者は階級を上げて、優良部署に配属出来るシステムを導入した。施設職員たちは俄然モチベーションを上げた。


 頑張ったのは施設の管理者や利用者だけではない。

 ハルのコピー魔法をバレッタとシンクロさせて、ビブラマイシンを大量に作らせた。

 リンダやバレッタの従者は治癒魔法で患者の体にできたアザや傷の回復を行った。リンダの治癒魔法は微弱なので葵のシンクロが必要だったがそれでも治癒魔法使いの存在はとても重要だった。

 その甲斐あって、紅茶の葉が底を付こうとした頃、リプートのルシファーはほぼ撲滅に至った。

 その間わずか三週間だった。エルミタージュの時とは比べ物にならないくらい迅速な終息だった。

 リムル砂漠の高温乾燥と言う過酷な気候条件が、ルシファにとっても蔓延し難い環境だった事が、早期解決につながったのは否めなかった。


 ともあれ、エルミタージュでの苦い思いが、ここで生かされたのも事実だった。

 エルミタージュの臨床結果をもとに改良を加えたビブラマイシンによる死者は八百人中三十人程だった。

 以前と比べると桁違いの生存率だったが、死者をゼロに出来なかった悔恨は残ってしまった。

 それでも闘いは終わったわけではない。東方からやって来る流浪の民の中にはルシファーキャリアが存在したが、早めのビブラマイシン投与によって発症を防ぐ事が出来た。

(もうぼくたちは必要ない)

 処方箋の使い方を覚えた彼らに後事を託す事にした。

 後は、感染を広げないため、指輪などに加工したメテオラ鉱石を無料で提供し、ビンセント王子の権限で、指輪を携帯する事を都市リプートでの義務と定めた。

 

(マリー。ぼくは少しはキミに近付けたかな。キミに早く会いたいよ)

 はやる心を押さえ、真のルシファー撲滅を目指して、東を目指さなければならないと思った。


「軍師殿。紅茶のストックが厳しいよ」

 紅茶好きなリンダがそれを気に掛けた。

「そうだな。何処かで茶葉の群生地を見つけないといけないな」

「そんなの探さなくても、ハルのコピー魔法と軍師殿がシンクロすれば山のような茶葉が作れるじゃないか」

 リンダの発想に葵は苦笑した。

「それが出来れば苦労はしないよ」

「コピー出来ないのか?」

「いや、コピーは出来るよ。見た目はね」

「見た目は?」

「ああ。見た目が同じだから紅茶にしてみると全く違うものだったよ。それ以前に飲める代物じゃなかったんだよ。ほら、コピーしたエリーゼのアンチ魔法の髪を覚えているかい?」

「覚えているよ。見た目や手触りは同じだけど、アンチ魔力がエンチャント出来なかったんだよな、確か……! ああ、そう言う事か!」

 どうやらリンダは理解したようだ。

「でもさ、ビブラマイシンのような薬は効能も含めてそっくりそのままコピー出来るのに、茶葉は何でコピー出来ないのさ」

「薬には色んな成分が入っているけど、薬の中身そのものは均一の構造なんだよ。分かるかい?」

「ああ、分かるよ」

「だけど茶葉なんかの植物の繊維だとそれぞれ複雑に組織されていて、それをイメージしてコピーするのは中々難しいものがあるんだよ」

「何となく分かったよ。均一に加工したものなら構造そのものが単純だから、コピーは出来るってことだろ?」

「正解だよ。理解が早くて助かるよ」

「褒められると照れるじゃないか。えへへへへ……」

 リンダははにかみながら頭を掻いた。

「でもさ、茶葉の生息地って温帯なんだろ? 茶葉の群生地を探すとなると、アルビオンでは難しいんじゃないのか?」

 アルビオンの国土の半分近くは砂漠やステップなどの乾燥地帯だと聞いていた。

「アオイ殿」

 と隣で話を聞いていたビンセントが口を開いた。

「茶葉って、キミたちの荷馬車に積んである、あの乾燥させた葉っぱの事だろ? ゲルマン王国でキミたちが葉っぱを摘んでいるのを見たことがあるんだけど、それとよく似たものをリムルバーツの郊外で見かけたんだが、まあ、確証はないから何とも言えないけど……」

「確かめてみる価値はあるんじやないの? なあ、軍師殿」

 リンダが葵を促した。

「そうだね。それでリムルバーツの都市まちにはどう行けばいい?」

「何処だって関係ないだろ?」

 ギルバートが笑っていた。

「ビンセントの思念さえあればおれが連れて行ってやるよ」


「あのさ」

 と内気なビンセントが遠慮気味に葵を見た。

「今回のことでキミたちにはお礼をしたいんだ。女王様もキミたちに会いたがっているから、リムルバーツで茶葉を摘んだ後、王都・ロンドニアに寄ってくれないか?」

 ビンセントの言葉を受けて、葵はスルーズ達の反応を見た。

 ハモンドは頷きルーシーが言った。

「アルビオンの女王様とお話しされる機会なんて滅多にないことですよ」

 スルーズも頷いた。

「マリー様が掲げた皆の平和を望むのであれば、これをロマノフ帝国との友好の布石なされるのも賢明かと思います」

「そうだな」

 少し遠回りになるかもしれないが、今まで出会ったこの世界の人達とのえにしを振り返れば、これも何かの導きかも知れないと葵は思った。

(ただ……)

 アナスタシアの居場所を指し示す、転生の剣の青い宝石が放つ光の弱さが気になった。

 葵が手をかざしてシンクロナイズしないと点灯しないのだ。

(それだけ遠くにいると言うことなのか)

 心配はあるが、存在するアナスタシアの気配はそこにあった。

(大丈夫だ。きっと逢える)

 不安を抱きながらも、葵は東の空に笑みを向けた。

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