第5話 アナスタシア 暗中模索の剣聖





 三十人ばかり斬っただろうか。

 家屋を燃やす炎の照り返しもあって、血に濡れたアナスタシアの剣は、更に赤く染まっていた。

 体の震えは止まらなかった。

 名も知らぬ人々を救うためとはいえ、名も知らぬ兵士達をほふってしまった。

 躊躇ためらっていては、本当に守りたいもの者を救えないのだ。

(それは分かって入る。だけど、人を殺めると言うことは、やはり辛いな……)

 それに少し疲れたと感じた。

(死んでから、蘇生―――或いは召喚・転生するまでどれくらいの月日があったのだろう?)

 アナスタシアは体がなまっていると感じた。


「あんたは、一体何者なんだよ」

 血まみれて横たわるアスカピアの兵士達の真ん中でたたずむアナスタシアの背後から、少年が声を掛けた。

 アナスタシアは深く溜息を吐いてから少年を振り返った。

「わたしか? わたしはアナスタシア」

「アナスタシア……」

「そうだ。アナスタシア・マリー・ロマノフだ」

 もしかしたらその名を知っているかもしれないと期待を込めて名乗ったが、少年の反応は鈍かった。

 そこへ集落の人達が集まって来た。

「剣聖様だ……」

 中年の男が膝を落として、額を地面に落とした。

「剣聖様がわたしたちを救いに来たのよ」

「ありがたい。剣聖様ぁ」

 皆が一斉に膝を落とし額を地面に落とした。

 どうやらこの土地の儀礼のようだ。

「待て待て、わたしは剣聖とやらではない。わたしは……」

 ロマノフ帝国皇女と言おうとして、止めた。

 素性もよく分からない相手に、そこまで話していいとは思えなかった。

「わたしはシュバリエだ」

 アナスタシアは差し障りのない事実を話した。

 だが、彼らは膝を落として額を地面に付けたままだった。

「どうか、わたし達をお導き下さい。剣聖様」

 どうやら人の話を聞いていないようだ。

 とにかくこんな所でグズグズしてはいられない。ロマノフ帝国の事が気掛かりだった。

(だけど……)

 アナスタシアは目の前にひれ伏す老若男女に心が揺らいでいた。

 今は炎立ほむらた住処すみかやその身なりを見る限り、裕福な者達とは思えなかった。

 アナスタシアはエルミタージュの貧困層の事を思い出していた。

 帝都だけではない、どの都市に行っても必ず存在する貧困層に、心を痛めていた自分ではないか。

 エルミタージュだけが救済されればいいとは考えていなかった筈だ。

(この人達を見捨ててはいけない)

 アナスタシアは強くそう思った。


 ともあれ、その思いとは別に、ここが何処なのかは知らねばならなかった。

「誰か答えてくれないか。ここは何処なのだ?」

 アナスタシアの問いに近くにいた者が顔を上げた。

「ここはカイザキといいます」

「カイザキ? それはパンゲア大陸の何処を示す?」

「パ……? パン…ゲア…? それは何ですか?」

「パンゲア大陸を知らないのか? それじゃここはクロノスの何処だ?」

「クロノス……?」

 男は戸惑った様子で、仲間たちの顔を見合わせたが、皆首を横に振るばかりだった。

「それでは、ここの大陸の名前は何という?」

「ああ、それでしたら答えられます。ここはゴンドアナ大陸です」

「ゴンドアナ大陸?」

 今度はアナスタシアが首を傾げる番だった。

「ゴンドアナ大陸の西の端のカイザキ郡です。ヤマタイ連合のイズモ国にございます」

(ヤマタイ連合……? イズモ国? 全く聞いたことのない地名だ……)

 アナスタシアは絶望で身震いしそうになった。

(わたしは……とんでもない世界に飛ばされたかもしれない……)

 もしも、クロノスとは違う異世界に飛ばされていたとしたら、エルミタージュに戻るなどとても叶わない事だった。

 アナスタシアは軽い目眩に襲われた。

「すまないが……今日は何処かで休ませてくれないか……」

「砦の中のにある、おれの避難小屋に来てください」

 先程の少年だった。

「すまないが、少し疲れた。これからのことは明日話したい。それでいいか?」

 アスカピアの事も聞かなくてはならないと思ったが、全てに於いて混乱したアナスタシアにとって、今は一度リセットした方がいいと思った。

(明日考えよう……。今は何も考えられないし……考えたくない)



 少年がさっき高台に向かって歩き出した。上にいた時は気づかなかったが、下から見上げると、高台に柵を巡らせた砦だと分かる。少年は先程アナスタシアがいた小屋に案内してくれた。

「ここがキミの家なのか?」

「はい。狭いけどアナスタシア様一人なら大丈夫です」

「一人? キミはどうするのだ?」

「剣聖様と一緒では失礼です。ぼくは門番でもします」

 そう言って扉を開けた時、アナスタシアの棺に気付いた少年が「あれ?」と声を上げた。

「すまない。それはわたしの棺だ」

「棺? どういうことですか?」

「話は明日にしてくれるか? キミが知りたいこともわたしが聞きたいことも、全ては明日だ。わたしはこの棺で眠るから、キミは自分のベッドに眠りなさい」

「いいえ。この小屋はアナスタシア様がお使いください。それにベッドも使ってください」

 そう言って部屋を出ようとする少年を、アナスタシアは呼び止めた。

「キミ。名前は何という?」

「はい。ヒカルと言います。ヒカル・アオキです」」

「アオ……?」

 アナスタシアの心に何かが引っ掛かった。





「マリ―様……。これを」

 瀕死のビルヘルムがアナスタシアに差し出したのは、宝石を付加した明らかに魔道具と分かる剣だった。

「契約の……腕輪をはめられた……からには……自害も出来ません……。ですが……この……転生の剣だけは……使えます」

 アナスタシアもその剣の事は知っていた。

「自殺では……なく……転生の魔道具…だから…です。ですが……一度命を捨てる……ということに…於いては……自殺と同じこと……。アナスタシア・マリー……様が…死ぬことに……変わりはない……のです。より、強いイメージを持って……転生先を……お念じくだされ……。さすれば、ある程度は……望む異世界に……転生…する…ことが…できす……。○○○様のいる……異世界で……再開を……お果たし…くだ…さい…」

 ビルヘルムはそこで事切れた。

「ごめんなさい…ごめんなさい、ビルヘルム……」

 ビルヘルムの隣りに横たわる、異母兄・ミハイル皇子にも目をやった。

(これ以上誰も殺したくない!)

 アナスタシアは自分意志とは関係なく愛する者を殺戮してしまう、憎愛の腕輪を憎々しく思った。

 上手く転生できるかどうかは分からない。だが、そんな事はもう言ってられなかった。

(もうすぐ〇○○が来る! 早くしないとわたしは〇○○を殺してしまう)

 アナスタシアには選択肢はなかった。

 覚悟を決めるしかなかった。

 転生の剣先を手前に向けると、荒くなる呼吸を押さえて、アナスタシアは自分の胸目がけて、力一杯刃を刺し込んだ……。




「ああああああ」

 アナスタシアは悲鳴と共に棺から飛び起きた。

 肩で息を切っていた。寝汗もひどかった。

(やはり、わたしは転生の剣でこの地に飛ばされてきたのか?)

 状況からすればそう考えるしかなかった。


 ――― 望む異世界に転生する ―――


(わたしはどんな異世界を望んだのだろうか?)

 アナスタシアは朝日射す窓辺から外を見た。

 昨日焼き討ちに合った集落が眼下に見えた。

 少し離れた所に河川があり、小高い山々が何処までも続いて見えた。

(これが、わたしの望んだ異世界なのか?)

 吹く風は強いが、緑豊かないい風景だと思う。

 悪くない土地だとは思うが、漠然とした違和感が頭の片隅で蠢いていた。

(わたしは転生の剣によって死んだのではなかったのか?)

 なのに……。

 鏡に映るその姿は、間違いなくアナスタシア・マリーそのものだった。

(異世界転生ではなく、異世界召喚と言うことなのか?)

 アナスタシアは鏡に映る己の顔をマジマジと見つめた。

 異世界転生とは、今までの肉体は滅び、異世界にて新たなる肉体を授かる事を言うのだ。端的に言えば生まれ変わりだ。

 単なる生まれ変わりとの違いは、前世(異世界)の記憶を引き継いでいるかどうだ。

 それに対して異世界召喚とは、その姿形・記憶を引き継いだまま異世界に召喚される事を言う。

(やはりわたしは、召喚されたのか?)

 と思ったが、直ぐに否定した。

(わたしはあの時、確かに死んだ)

 それは間違いないと確信している。

(わたしは誰かに涙ながらメッセージを送っていた……そんな気がする)


 ビルヘルムが最後に告げた人物と、アナスタシアが守りたいと願ったその人物の名前が、まるで霞が掛かったようにぼやけているのだ。

(きっと同じ人物なのだ……)

 アナスタシアは手作りと思われるメテオラの髪飾りを見つめた。

(わたしが守ろうとしたのは、キミはなのか? そしてキミは一体誰なんだ?)

 記憶もないのに、切なく込み上げるこの思いは何なんだろう。

 暗中模索するアナスタシアだった。

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