第2話 消えたマリー
ロマノフ帝国・帝都エルミタージュはクロノスの赤道付近に位置するが、三千メートルの高地のせいか、夕映え差す頃には少し肌寒さを覚えた。
ペトロの一件落着後、直ぐに出立するつもりではあったが、葵自身はまだ承認するつもりはないが、ロマノフ帝国の
貧困層の再開発もその一端にある。
葵はエリーゼ・シーツの父であるアラン・シーツを改めて開発責任者に据え、最貧困層の開発に着手したメンバーからなるプロジェクトチームを確立させた。
エルミタージュの掃き溜めと呼ばれた最貧困層を、今ではエルミタージュで最も美しいマリータウンに生まれ変わらせた彼らだ。
この先のエルミタージュ―――いや、ロマノフ帝国に置ける都市開発は彼らに任せてもいいだろう。葵の監修の必要もないくらい彼らは優秀なのだから。
治政においてはパウエル・ラルク・ジルベルト大公を中心に、独立したとは言えロマノフ帝国皇帝を盟主に仰ぎ公爵位を与えられたシャルル・ロイ・マイストールや、スワトル・ピーター・レブリトール公爵を閣僚に加えた。
多少の反発もあったが、能力ある民間人からも閣僚に抜擢した。
もちろん彼らに力はないから、パウエル大公が後ろ盾になる事で、反対勢力の圧力に備える体制を構築した。
完璧とは言えないが、後事を彼らに託すのに数日掛かったが、ようやく足元が固まり、アナスタシア・マリー・ロマノフ探しの旅が今始まろうとしていた。
「わたし達は何処までも付いていきますよ」
結婚したばかりのハモンド・グリーデンと妻・ルーシーは共に手を携え、深く頷いて見せた。
バルキュリアのメリッサとポーラはスルーズに寄り添い、ギルバート・レビンはゲルマン王国第二王女バレッタ・ハイネンと四人の従者達からは、いつも離れた所にいる。
契約の首輪をはめられ従わされていた悪夢から、未だ心が抜け切れないでいるようだ。
「ともかく一度、アルビオン王国と接する国境都市・ジルペルシランドに立ち寄ってからでないと、先には進めないでしょうね」
スルーズがそう言うとエリーゼが不思議そうに尋ねた。
「スルーズ様。ハルの転移魔法があるのだから、何故一足飛びにアナスタシア様の所に向かわないんですか?」
「魔法障壁があるからなんだよ」
ハル・キリハが答えた。貧困層ゆえ姓がなかったハルだが、この際正式に葵の弟としてキリハの姓を与えたのだ。
「魔法障壁?」
首を傾げるエリーゼにハルは微笑んだ。
「魔法障壁と言うのは、例えるならエリーゼの力に似ているね」
「わたしの力? アンチ魔法のこと?」
「そうだね。違いを言えばエリーゼのアンチ魔法は、魔法そのものを無効化する能力だけど、魔法障壁は魔法を通さない壁のようなもので、魔力の影響を受けない結果だけ見ればよく似ているでしょ?」
「つまり、魔法障壁があるから、転移魔法でアルビオンの国境は超えられないって言うことなの? 何でそんなものが必要なのよ」
口を尖らすエリーゼにハルは苦笑した。
「ロマノフ帝国とアルビオン王国は友好関係にないからだよ。相手に自国の情報を知られては戦略的に不利になるからね。特に通信系魔法はかなり警戒レベルが高いようだよ」
それに、とハルは言葉を続けた。
「ぼくはアルビオンに行ったことがないからね。兄さんのシンクロ魔法があっても、兄さん自身アルビオンに足を踏み入れたことがないから、転移地点を定める事が出来ないんだよ」
転移魔法を行使するには条件がある。
魔法使いが行った事のある場所に限るからだ。
それ以外では葵のシンクロ魔法の力を借りる手もあるが、この場合は葵が訪れた事のある場所でなければならない。
「それじゃ、目的地を定めずに転移したらどうなるの?」
「何処に飛ばされるか分からないんだ」
「怖いわね、それって」
「まあ、それ以前に魔法障壁に引っ掛かって、アルビオン国境手前に転移ゲートが開かれるだろうけどね」
(頼もしくなったな)
十二歳になったばかりのハルだが、頭の回転が速く、知識の習得力と理解力に於いては、葵も舌を巻く程だった。
(まるで乾いた砂が水を吸い込むようだ)
葵の世界に生まれて学問を身に付ければ、その方面では間違いなく一廉の人物になっていだろうと思った。
以上の案件で数日経過した。
身支度も整い、必要な道具も荷馬車に乗せて、準備万端だった。
「そろそろ行くのですね。皇帝陛下」
パウエル大公が城外まで出迎えてくれた。
「陛下は止めてくれませんか」
「これはけじめです。臣下の者が主君に対して横柄に振舞えば、それはそのまま国の乱れとなります」
「それは分かりますが、即位の儀も行っていないぼくに皇帝は名乗れませんよ。ですからせめて、皇帝陛下は止めて頂きたい」
パウエルは少し困った顔をしたが、
「仕方ありませんね。お仲間の内だけですが『軍師殿』とお呼びしましょう」
「ああ。それがいいです。その呼び名の方が慣れていますから」
「それではご準備を。ギルバート。軍師殿を頼んだぞ」
「は、はい。パウエル大公!}
とギルバートが緊張した面持ちでパウエルの前に出た。
ここはギルバートの出番だ。ギルバートの転移能力はまだハルの及ぶ所ではなかった。
転移能力そのものは遜色ないのだが、行った事のない場所では葵のシンクロなしには転移出来ないのが、現段階のハルの実力だ。
だが、ギルバートの転移能力は、葵のシンクロに限らず、その場所に行った事がある者の意識を借りれば転移出来る、ユニークスキルを持っている。
今回の場合は、領主であるパウエルの意識を通せば、ジルベルトランドの指定の場所に転移出来ると言う事になる。
「兄さん。ちょっと待って」
ギルバートが転移魔法の準備に入った時、黄色の通信魔石を光らせたハルが手を上げた。
「どうしたんだい?」
「今ね、マイストールの通信魔法使いから連絡が入ったんだよ」
「シャルルかい? なんて言ってきてるんだ?」
ハルの顔色が変わった。
「何かあったのか?」
ハルはゆっくりと頷いた。
「アナスタシア様が……いなくなったって……」
「えっ?」
「アナスタシア様のご遺体が棺ごと無くなっていると……連絡が入ったんだよ」
一瞬その場が静まり返った。
シャルルは通信魔法の適合者ではないから、直接話は出来ないが、彼の言葉を伝える通信魔法師の話によるとこうだった。
アナスタシアの
整地して立て直そうとした時、その下にあった棺が無くなっている事に気付いたと言うのだ。
報を受け、急ぎ駆けつけたシャルルは、部下たちと一緒に墓土を掘り起こして確認したが、間違いなくアナスタシアは棺ごと消え失せていたのだ。
掘り返された形跡もない。人の手による仕業とは思えないと言うのだ。
「兄さん」
とハルが葵を見つめた。
「恐らく、アナスタシア様は……アナスタシア様のお姿で召喚された……いや、転生と言った方が正しいのかな……。クロノスに、そのお姿で戻って来られたんだと思うよ」
ハルの言葉を耳にした時、葵は大きく溜息を吐いた。
アナスタシアの心が同じなら山口桐葉の姿でも問題はないと頭では納得していた葵だった。
でもやはり、アナスタシアはアナスタシアだ。その心もだが、その姿もアナスタシアであって欲しいと思うのが本音だった。
(ぼくが愛したマリーの姿で、クロノスの大地の何処かにいる……!)
そう考えるだけで、胸が一杯になった。
「ありがとう、ハル。困っていると思うから、シャルルにも今の話を伝えてやってくれるかい?」
頷いたハルは、通信魔法を介して相手の魔法士にメッセージを伝えた。
「いよいよですね」
スルーズが葵の隣りに立った。
「わたしも早くあの方にお会いしたい。何処までも真っ直ぐなあの方に」
それはこれから旅立つ者全ての思いだった。
ハモンド達はもとより、二人のバルキュリアやバレッタに至るまで、みんなアナスタシアを愛して止まなかった。
(マリーの笑顔に会いたい)
もう二度とアナスタシアの瞳から悲しみの涙を流させたくない。
(必ずキミを見つけるよ。約束だ)
葵が頷くと、ギルバートは遠慮がちにパウエルの額に
パウエルの記憶に描いたジルペルシランドの転移地点を読み取ったギルバートは、葵達十二人を転移魔法マナで包んだ。
いざ、
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