第35話 本音トーク

「みなさん、こんにちは」


 ボイスチェンジャーが僕の声を女性のものに変える。

 8日ぶりの配信は、思ったよりも普通に声が出た。


 お盆も近い、土曜日の昼下がり。人が集まらない時間帯と思われるのに、5000人以上も夢咲かなでの配信に接続している。


 チャンネル登録者数は1100人程度なので、異常事態だ。

 ありえない状況でも、動揺はない。

 隣に、美心がいてくれるから。


「今日は、みなさんに謝りたいことがあります」


 夢咲かなで独特の語尾ではなく、普通の丁寧語を使った。

 かなでを演じるのではなく、ひとりの人間としてリスナーさんと向き合いたかったから。


「今まで、みなさまを騙す形になってしまい、申し訳ありませんでした」


 頭を下げる。前髪がマイクカバーに触れた。


「かなで衆だけでなく、ひびき民の方まで、不快な思いをさせてしまい、申し開きの言葉もございません」


 謝罪したところで、リスナーさんを裏切った現実は変わらないのはわかっている。

 それでも、リスナーさんの反応が気になった。


『俺氏、かなでたんにガチ恋だったんだぜ。裏切られたし』『ウルチャ返せ!!!!!!』『オレのひびきちゃんと馴れ馴れしくすんなっ!』


 案の定、コメントでは非難されまくりだった。


 追求されて、なぜか気が楽になった。

 複雑な想いに戸惑っていたら、美心が僕の手を握る。


「ネットで出回っている件は、おおむね事実です」


 美心のおかげで、5000人の前でも怖くない。


「ワタクシは、ううん、僕は……男です。男子高校生です」


 作戦なんて、なにもない。

 配信の内容なんて、決めてない。


 ただ、ただ、胸のうちから湧き上がる想いを。

 

「僕は物心がついた頃から、ずっと歌っていました……歌うのが好きだったから」


 ゆっくりと、ゆっくりと言葉として紡いでいく。


「小学生のとき、僕はボーイソプラノになりました」


 個人情報がバレない範囲で、自分の情報を開示する。


「ボーイソプラノは、声変わり前の少年が、女性の音域であるソプラノを歌います。いわば、男が女になること。リアルでは味わえない非日常感バーチャルに、9歳の僕は夢中になりました」


 いったん言葉を切り、深く息を吸い込んでから。


「まるで、VTuberで美少女を演じているときのように」


 息とともに正直な気持ちを吐き出す。


 夢咲かなではバーチャルの存在であって、バーチャルではない。

 中にいるのは、生身の人間だ。

 炎上したのも、僕がリアルでは男の体を持つから。


 仮想と現実の分離を試みても、リスナーさんは既に男としてかなでを認識している。

 ならば、リアルの僕の人格で、リスナーさんと話したい。


 コメント欄が目に入る。


『自分語りうぜえ』『小学生の頃から変態だったのかよwww』

 批判的な反応に加え。


『ショタのバ美肉最高よぉぉっ』『歌が上手いの納得だわ』

 好意的な声もあった。


「中3になるまで、歌が僕の生き甲斐でした。気持ちを声に乗せて表現する、歌という行為に惹かれていたのです」


 言い終わったとき、美心が目で訴えてくる。

 僕は彼女を信じて、うなずく。


 美心はマウスを動かす。舞姫ひびきが配信画面に現われた。


「あたしは、当時の彼を知ってます」


 美心が声を吹き込んだ。


「その頃のあたしは、いじめられっ子でした。学校に居場所はなく、親も仕事で忙しい。いつ壊れてもおかしくない状態で……地獄のような日々をすごしていました」


 コメント欄が視界に入る。

 美心の自分語りに同情が多く寄せられた。


「そんなとき、ボーイソプラノの透明感あふれる歌声に救われました。それが、彼でした。おかげで、あたしは生きる希望を取り戻したのです」

「……ひびきちゃん」

「でも、人間には物理的な限界があります」


 美心が切なげに眉根を寄せる。


「ボーイソプラノにとっての物理的な限界。それは声変わりです。あたしと彼が中3になったころ、彼は引退してしまいました」


 か細い声に、心の底から残念な想いがこもっていた。


「あたしは彼が引退したのを知って、落ち込みました。あたしにとってのスーパースターでもできないことがある。悔しくて、悔しくて、しばらくのあいだ夜も眠れませんでした」


 美心は青い瞳に涙を浮かべ、唇を噛みしめる。


「そして、今年の春。あたしは高校に入学しました。そこで、出会ったのです。あたしを救ってくれた、運命の彼と」


 最初は好評だった、ひびきの自分語り。

 だがしかし、コメント欄は徐々に厳しくなっていく。


『ひびきちゃん、もしかして、ガチ恋してるの?』『ひびき×かなでは百合だから許されるんですけど』『かなで、絶許!』


 僕は心配になるが、美心は堂々と胸を張っていた。


「そのとき、あたしはドルチェの運営会社から声をかけられていました。ずっと自分を変えたいと思っていたので、チャンスだと思いました。でも……」


 美心は僕の方を向いて。


「4月のあたしは、自分を変える勇気を持てなかったのです。だから、あたしは彼と一緒に活動したいとマネージャに頼みました」


 悟りきった笑みを浮かべる。


「オーディションのとき、彼が隣にいて、あたしが好きな『アメージング・グレイス』を歌ったのです。まさに、あたしにとって『大いなる恵み』でした。彼が奇跡を見せてくれたのだから」


 美心は胸に手を添える。


「彼の歌を聞いて、あたしはVTuberになる勇気を持てたのです」


 数秒の間をおき。


「舞姫ひびきとして、最後に言わせてください」


 美心は深く息を吸い込んで。


「かなでさんは恩人であり、大切な仲間であり、憧れの人であり、同級生です」


 深々と頭を下げる。


「あっ……あと、ライバルかな」


 頼れる仲間はペコリと舌を出してから。


「以上、舞姫ひびきでした」


 マイクから顔を遠ざける。


(美心、ありがとな)


 美心は僕への想いを5000人以上の前で語った。

 嫌われるリスクを冒してまで、僕を支えてくれたわけで。


 美心のことが不安になったので、コメント欄を確認する。

『ひびきちゃんの気持ちは尊い』『エッチしてなければ許す』『かなで、歌は上手いもんな』


 ざっと見たかぎり、好意的な反応が多かった。美心の気持ちが届いたと思いたい。


 さあ、最高の仲間からの援護射撃は終わった。

 今度は僕の番。


 一度は引退を考えた身。リスナーさんに嫌われても知ったこっちゃない。

 建前なんてどうでもいい。気持ちをぶつけよう。


 僕は声を抑えつつ、マイクに向かって。


「1年前、僕は歌を失った。声変わりはしょうがない。納得はしていた。でも、悔しい気持ちは消えなかった。ずっとモヤモヤしていたん……だよね」


 最後の方は、声がかすれてしまった。

 声のプロとして失格だ。でも、僕は突き進む。


「女性の声に未練があって、僕はバ美肉VTuberになろうとした。でも、どこの会社も拾ってくれない。そんなときに、今の会社のオーディションを受けたんだ」


 さっき美心の話と重なる部分を、僕の視点で語る。


「ボイスチェンジャーをつけて、オーディションで歌った。快感だった。女の子

演じて歌うのが、僕にとっての喜びかも。そう実感したんだっ!」


 人によっては、変態だと言うかもしれない。

 でも、西洋では中世から少年が女声パートを歌っている。日本にだって、歌舞伎の女形がある。恥ずべきことはない。


「だから、僕はバ美肉VTuberになった。VTuberで過去の夢を取り戻したいから!」


 話しているうちに、吹っ切れてきた。


「結果的に、騙すようなことになったのは、完全に僕が悪いです。責められても仕方がありません」


 僕は頭を下げる。


「でも、僕はかなでを演じるときは、本当に女子になったつもりでやっています。オフコラボのときでも、できるだけ自分は女だと思うようにしています」


(いや、少しだけウソがあるか?)


 男子の生理的な反応までは対処できない。

 心の中で自分にツッコミを入れたら冷静になった。


 ひととおり、話すべきことは終わったか。

 今回の配信にあたって、事前に関係者で話し合っている。星空シャンテの事務所から誠意ある謝罪があり、炎上の仕掛け人については触れないことになった。


「最後に、少しだけ言わせてください」


 僕は画面の向こうにいるリスナーさんに呼びかける。


「今回の件、僕のしたことに対して怒るのは仕方ありません」


 けれど。


「僕たちの想いまでは否定しないでください」


 僕は嫌われる勇気を出して、懇願する。


「僕は失われた過去を取り戻したくて、ひびきは憂鬱な現実を変えたかった」


 僕は横にいる美心をチラと見た。


「僕たちがVTuberにかける気持ちだけは、本物だから!」


 美心の銀髪がなびいて、僕の肩をくすぐる。


「舞姫ひびきという女の子は、最初は自分に自信がない子だった。自分を卑下して、謝ってばかり」


 彼女は恥ずかしげにうつむく。


「でも、彼女は心の底から自分を変えたいと願った。VTuberで自分を変えようと、ひたむきに努力を積み重ねた」


 いつのまにか、配信のことなんかどうでもよくなっていた。

 僕の目には美心しか映っていなかった。


「ひびきは地声がASMRっぽくて、ゲームが得意で、PCも詳しい。料理も得意で、成績も良い。顔もかわいい。性格もいい。ついでに、胸も大きい」

「あうぅっ……」

「自信がないだけで、ハイスペックな陰キャだった」

「かなでちゃん?」

「僕は、そんな彼女に憧れていたんだよね」


 美心は恥ずかしがってるのか、銀髪をいじる。


「彼女は一生懸命で、優しくて……僕との時間を大切にしてくれる」


 もう、どうなってもいい。


「僕にとって、ひびきは大切な女の子。大好きで、守りたい子なんじゃぁぁっ!」


 美心は顔を真っ赤にしている。

 でも、もう自分を止められない。


「VTuber夢咲かなでとして仲間的な意味での好きなのか、男としての恋愛感情なのか……自分でも整理がついていない」


 さっきから内容がぐちゃぐちゃだな。

 いっそのこと割り切って。


「もう、どうでもいいのですわぁぁぁぁぁ!」


 かなでの口調で叫んだ。


「ワタクシはひびきさんが大好き。彼女と一緒にVTuberをしたいだけ」


 美心がポカンと口を開けるなか。


「ただ、それだけなんですのぉぉぉぉっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 僕は声のかぎりに叫んだ。


「ひびきさんが大好きで、VTuberも大好き」

「あたしも……かなでさんが好き」


 美心が僕の手の上に、細い手を置く。


 神楽美心と、舞姫ひびきの温もりを感じながら。

 僕は――。


「元ボーイソプラノのバ美肉VTuberですが、同じクラスの陰キャ女子と同じ箱でVTuberをしたいのです。それのなにが悪いのでして!」


 配信の中心で、愛を叫んだ。

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