第29話 離れたくない……

 赤信号で立ち止まる。その瞬間に、体中から汗が噴き出す。

 汗を拭く間もなく、信号が青に変わる。


 疲れた足を叩いてから走り出す。

 夏休みの繁華街の交差点。人が多く、狭い。

 おまけにスマホ歩きしている人もいて、避けられずに人にぶつかってしまった。


「うわっ、なんだよぉ。こえぇなぁ」


 アニメのTシャツを着た大学生風の男が、僕を睨む。


「す、すいません」


 僕は軽く頭を下げると、やむなく歩くことにした。

 人ゴミの中から、探そうと目をこらす。


 今から数分前に、美心が会議室を飛び出した。

「すぐに追って」と、細野が僕に言う。

 我に返った僕は急いで会社を出る。


 が、一足遅かった。美心はすでにエレベータに乗っていた。エレベータは1基しかない。

 非常階段で追いかける。1階についたときには、エレベータは上に向かっていた。


 ビルの入り口付近に、美心の姿が見当たらない。

 駅に向かったのだろうと推測し、駅方面を探しているところだった。


 見つからないまま、駅の改札に着いてしまう。

 いちおう、美心 のLIMEにメッセージを送ってみる。既読にならない。


(美心、どこに行ったんだ?)


 そのとき、ふと、ある考えが浮かんだ。

 イチかバチかで、僕は改札を通過する。


 電車を降りるまでの10分ほど、LIMEは未読のままだった。


 電車は到着する。人ゴミの中、再び僕は歩き出す。


 まずは、かんざしを買った店へ。いなかった。

 なら、次だ。 


 オフコラボという名のデートで訪れた場所を順に探していく。

 僕たちにとって、もっとも楽しかったときの思い出。

 賭けてみるとしたら、ここしかない。


 そう信じて、観光客でごった返す、レトロな商店街を早足で突っ切る。

 しばらくして、人波の中に、銀色のモノがちらつくのにきづいた。


 目をこする。

 幻ではなかった。


 あの日の足跡を正確になぞっていく。


 ただし、3週間前とは一転して。

 軽やかなものではなく。

 人生に疲れた陰鬱な足取りだった。


 弱々しい背中を見るのが忍びなくて。


「みこぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっっっっっっっっっ!」


 声の限りに叫んでいた。


 付近の観光客が一斉に僕を見る。

 が、今の僕は彼女以外の人の行動なんて、どうでもよかった。


 ただ一点、銀色に揺らめく背中だけを意識を向けていると。

 すぐに背中は消え。

 その水色の瞳が大きく見開かれた。


 安堵と後悔、期待と不安などなど。プラスとマイナスの感情が入りまじった思いで、僕は足を前に出す。

 

 すると、彼女は後ずさる。


 距離を詰める。

 再び、彼女は僕に背中を見せてしまう。


「待ってくれぇぇっっっ!」


 叫ぶ。


 彼女が走る。

 僕も走る。

 僕の方が背が高く、足も長い。距離が縮んでいく。


 焦った彼女は外国人観光客にぶつかる。

 僕よりも体が大きな彼に、美心は何度も頭を下げる。外国人は鷹揚に笑っていた。


 その間に――。


「……つかまえた」


 僕は追いついた。

 美心が謝っていた外国人観光客は、僕を一瞥し、「Good luck」と言う。


「美心、もう離さないからな」

「ごめんなさい、逃げ出して……」


 美心はしおらしく謝った。


   ○


 繁華街から徒歩10分もしない場所にある、丘の上の神社にて。

 都会の喧噪とは無縁な空間は、まるで森林のよう。


 美心はベンチに座り、葉擦れの音に耳を澄ませていた。

 セミの鳴き声すら、自然に溶け込む。

 ふたりして無言ですごすこと、数分。


 やがて。


「あたし……寂しかったの」


 美心がポツリとささやく。


「ごめん、寂しい思いをさせて」


 まずは、美心の気持ちを受け止めたうえで。


「逃げるほど寂しかったのに、気づいてやれなくて、本当に申し訳ない」


 逃げるのはお互いのためにならないとわかっているから。

 彼女を傷つけないよう最大限の注意を払って、肝心の問題に踏み込んでいく。


「あたし、詩音くんがいたからがんばれたのに……」


 美心は悔しげに唇を噛みしめた。


「詩音くんの助けになろうって決意して、事務所に来たのに」

「ありがとな」

「なのに、詩音くんの役に立てないどころか、あたしだけ移籍する話が出るなんて思わなかったの」

「……」

「あたし、詩音くんがいいのに」

「美心?」

「なのに、詩音くんに行けと言われて」


 美心は僕を軽く睨むと。


「…………納得できないんだからぁ」


 珍しく感情を露わにする。


「僕、美心の期待を裏切ったんだな?」

「だって、詩音くん言ったじゃない。花火大会のときに」

「あっ」


『僕はずっと美心のそばにいるから』と、答えてから、まだ24時間も経っていない。

 なのに、僕は美心に移籍した方がいいなんて言ってしまった。


「僕、最低だな」


 答えは返ってこない。

 自分を裏切った僕ですら、彼女は責めようとはしていない。納得はしていないが、怒ってるのとはちがう。


「なあ、聞いていいか」

「うん」

「どういう気持ちで、僕と一緒にいたいんだ?」


 普段の僕だったら、けっして言わなかっただろう。

 しかし、今は美心と腹を割って話したい。彼女の嘘偽りのない想いを知りたかった。


「だって、詩音くんがいたから……詩音くんに憧れたから。詩音くんが夢を見させてくれたから」

「……美心」

「だから、あたしは変われたの。毎日リアルが楽しくなった」


 大粒の涙が彼女の頬を伝わる。


「……詩音くんがいなかったらぁ……意味がないよぉ」


 彼女は拳を握り、僕の胸をポカポカ叩く。

 撫でるような感触だった。蚊も殺せないようなパンチ。チクリと胸を刺す。痛かった。


 謝ろうとして、


「ありがとう、僕のために」


 感謝の言葉に変えた。

 謝罪では、彼女の気持ちを踏みにじると思って。


「あたし……引退した詩音くんを…………一度は見捨てたの」


 僕の大切な仲間は聖女の顔で、自分の罪を告白する。

 意味はわからない。けれど、彼女の気持ちは胸に染みた。


「だから、もう詩音くんを裏切りたくない」

「……ありがとう。僕のことを大切にしてくれて」


 僕はハンカチで美心の涙を拭く。

 彼女は僕の胸に顔をつける。Tシャツに染みができた。


 背中を優しく撫でて、ただ、ただ、美心を受け止める。


 それきり、彼女は黙り込む。

 数分後。


「それだけ。あたしが言いたいのは」


 泣き止んだ彼女は、すっきりした顔でつぶやく。


「じゃあ、僕からもいいか?」

「うん、」

「僕、美心が誇りなんだ」


 僕は、率直な気持ちを告げる。


「美心は常にひたむきで、変わろうと努力していて、実際に変わっていった」

「詩音くん」

「そして、星空シャンテにも声をかけてもらえて、人気を掴み始めた」

「……」

「そんな美心がまぶしくて、僕は憧れていたんだ」


 美心は口角を少しだけ上げる。

 うれしそうな彼女を見て、胸が苦しくなった。


 けれど、誤魔化したくなかった。

 彼女は大切なだから。

 対等な同業者だから。

 僕たちは独立したVTuberだから。


 いや、そうじゃない。

 もはや、僕にとって、美心はたんなる仲間を超えている。

 彼女を通して、僕は夢を見ている。


 行動で乗り越えていく美心には、無限の未来が広がっているから。

 なによりも僕は、美心を大切にしたかった。


 だから。

 だから。


「僕は失敗した」


 ポジティブな言葉のあとに、ネガティブな発言を選んだ。


「ボーイソプラノを引退したときは、声変わりでどうしようもなかった。けど、今回の件は僕の責任だ」

「……ちがう」

「ううん、ちがわない」


 美心を否定するのが苦しかった。

 でも、止められない。


「初配信のときに、男だと言っておけば良かったんだ。なのに、みんな女子だと思い込んでくれて、女の子を演じられるのが楽しくって」


 つい、苦笑いがこぼれた。


「ボーイソプラノのとき、女子よりも透明感ある声と言われていたんだよね。できるなら、一生、ソプラノを歌い続けたかった」


 物理的に不可能だったけど。


「引退して、VTuberになって。人気はまだまだだけど、楽しく活動はできたし、割と短い期間で収益化もできた。これからがチャンス。失った過去を取り戻せたと思っていた」


 3ヵ月前に戻れるなら、戻りたかった。


「でも、僕は美心の足を引っ張ってしまった。僕が未熟だったから」

「……ちがう。詩音くんは悪いない」


 どこまでも美心は僕を肯定する。

 気持ちはうれしい。


 しかし、彼女の未来を考えると。

 未熟な僕には、他の答えが見つからなくて。


「僕たちは仲間だけど、仲間じゃない。VTuberは個人活動なんだ」


 残酷な言葉を突きつけるしかなかった。


「わかってる」

「けど、君は僕に依存している」


 胸がチクリと痛んだ。


「僕がいたら……舞姫ひびきという才能は埋もれてしまうんだ」


 セミが泣きわめくなか、息を呑む音が鼓膜に響いた。


「だから、僕は……活動休止するよ」

「えっ?」

「というか、引退かな。ドルチェも解散し、運営もVTuberから撤退するわけだから」


 セミが一鳴きしたときだった。


 突然、美心が僕の胸に顔を押しつけてきて。

 不意を突かれたこともあって、バランスを崩してしまう。


 ――ドン。

 背中に木の感触があった。


 太陽の横に、彼女の銀髪があった。

 押し倒されたことに気づく。


「あたし、詩音くんから離れたくないから」


 青い瞳から落ちるしずくが、僕の頬に落ちる。


「ムリ……だから」

「美心?」

「依存するなって言われても……ムリだから」


 腰に乗る彼女は、思ったよりも軽かった。


「詩音くんが引退するんだったら」


 続く言葉が僕にはわかった。


「あたしも……引退するから」


 退の文字が、何度も脳をこだまする。


 呆けていたら。


「ごめんなさい」


 美心は僕の上からどいて。

 神社の丘を降りていく。


 遠ざかりゆく彼女の背中に向かって。


「僕も……美心と離れたくない」


 言えなかった本音をつぶやいた。

 セミだけが僕の気持ちを知っていた。

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