第28話 分岐
「君、やっと収益化したばかりなんだぞ。今が大事なときだとわかっているのかね」
花火大会の翌日。
事務所の会議室にて、僕はマナブル興業の社長になじられていた。
「よりによって、性別を偽って、ファンを裏切るとはキャバクラ嬢の風上にもおけないぞ」
(いつ僕はキャバ嬢に転生したんだ?)
突っ込みたいが、怒られている人間が指摘して、余計に面倒なことになったらたまらない。
「社長、彼を女性のアバターでデビューさせたのは、運営の判断なんですよ〜」
細野が僕をかばってくれる。
キャバ嬢うんぬんを無視したのが、地味に賢い。
「そんなことはわかっとる」
が、バカ社長には通用しなかった。
「だがしかし、君は女になりきれなかった。男だとバレてしまった。本物であれば、男でも女になれたはずだろ」
本物という言葉が胸に染みる。
結局、僕は本物になれなかった。
ボーイソプラノでは、ソプラノの音域で歌っても、本物の女性とは声質が異なり。
VTuberでは、女性の肉体と声で活動しても、
どちらにせよ、僕は女性に近い
ファンを裏切った。そう言われて、返す言葉が見つからなかった。
(だとしても、『男でも女になれたはず』は脳筋なんだが)
「いいか。エンターテイナーは、夢を売るのが仕事だ。夢は現実でなく、作り物であっても問題ない。消費者が夢を見られれば、それが正義なんだ。そういう意味でも、すべての娯楽はキャバクラに通ず」
出た、謎のキャバクラ理論。適当に聞き流そう。
「客が君に抱いていた幻想が壊れ、我々ドルチェに汚点がついてしまった。これから投資の回収に向けて、利益を上げていかないといけない大事な時期だというのにな」
社長の横に座る女子高生マネージャは、複雑な顔で社長を睨みつけている。ロクに支援もしてこなかったのに、とでも言いたげだ。
「投資した金額すら回収できてないうちに、炎上するだなんて……VTuberなんか始めるんじゃなかった」
(わかってはいたけど、VTuberに何の思い入れもないんだな)
運営会社の代表として、あるまじき発言に悲しくなる。
デビュー前に予算切れを伝えられたとき、マナブル興業には期待できないと思った。
信頼できない運営のもとでデビューするよりは、個人勢の方がマシ。内心では思った。
だが、僕は美心に心を動かされ、夢咲かなでになることを選んだ。
それから3ヵ月近く。あのときの判断は間違っていたのだろうか。
………………いや。
否定したくない。
ドルチェを結成し、美心と、細野と活動した日々を。
僕は変わりゆく美心に憧れ。
失った過去を取り戻そうとした。
バーチャルの活動ではあっても。
僕や美心にとっては
僕たちは本気でVTuberをやっていた。
視聴者を喜ばせようと純粋に思って。
たとえ、自分たちの欲求からのエゴだとしても、気持ちに偽りはなかった。
自分が撒いた種とはいえ、諦めたくない。
きちんと謝って、炎上が沈静化するのを待てば。
まだ、やり直せる。
社長の説教を聞き流しながら、決意を新たにしていたら。
「社長、もう1回言ってください!」
細野の叫びで現実に引き戻された。
「だから、VTuber事業を畳むと言ってるんだ」
ドルチェの夢咲かなでとして再起の意思を固めたばかりなのに。
それが、30秒も経たずに、潰されるだなんて、誰が予想できただろうか。
「どういうことですか?」
そう尋ねる僕の喉は猛烈に渇いていた。
「VTuberは飯の種になると思った。だが、大変なだけで割に合わん。なら、早急に撤退する。経営者としては当然の判断だ」
細野が悔しげに唇を噛みしめる。
なにを言っているのか理解することを、脳が拒んでいた。
「ドルチェは解散になるんですか?」
僕は否定されることを期待したのだが。
「当たり前だろう」
意味のない質問で終わってしまった。
経営者が判断した以上、社員でもない僕にひっくり返す権限はない。
もはや、事実を受け入れるしかない。
残念だが。
いや、待てよ。
どうせ、今までも会社は当てにならなかった。
なら、個人勢でもいい。
もちろん、マネージャはいなくなる。個人勢なので、自分ができる範囲で活動することになる。
それでも、活動しないよりはマシ。
キリの良いタイミングで、契約解除を申し出よう。
そう思っていたときだ。
「だが、悪い話ばかりではないのだよ」
社長が一転、機嫌良さそうになる。
「日和くん、彼女を呼んで来なさい」
細野はうつむいて、会議室を出て行く。
30秒ほどして、戻ってきた。
銀髪の少女を連れて。
「美心?」
猫背で重い足取りで歩く美心の様子から、憂鬱さが伝わってきた。
美心が椅子に座ると。
「さっそくだが、神楽くん」
社長が美心に向かって。
「舞姫ひびきに移籍の話が来ているんだ」
「えっ?」
美心も初耳だったらしい。震える声から動揺が伝わってきた。
「大手VTuber事務所が、君のことをほしがっていてね。充分な移籍金ももらえるんだ。うちとしては願ったり叶ったりなんだが」
「……どこの事務所ですか?」
「イルミネイトだ」
「知ってます。星空シャンテさんがいるところですから」
(マジかよ⁉)
叫びたくなるのを、かろうじてこらえた。
そういえば、先日チャットで話したときも、シャンテはひびきとコラボしたいと言っていた。
軽い冗談だと思っていたら、まさかの移籍話とは?
驚き半分、うれしさ半分だった。
沈みかけた船から美心だけでも脱出できるんだ。
しかも、業界でも最大手クラスの事務所である。
チャンネル登録者数1000人を超えたばかりのVTuberが、大手へ。
まさに、シンデレラストーリー。
「美心、よかったな」
言葉の余韻が、幾十にも重なって胸に響く。
仲間としては喜ばしいはずなのに。
彼女が僕を置いていくのが寂しくて。
僕の内から湧き出す醜い感情に蓋をしたくなる。
どうせ美心と活動できなくなるなら。
せめて笑顔で送り出したい。
無理やり口角を上げ、微笑む。
ところが。
「……詩音くんはどうなるんですか?」
彼女に僕の姿は映っていなかったようだ。
美心は泣きそうな顔で、社長をじっと睨んでいた。
「先方は君だけを指名している」
「そ、そんな」
美心は唇とギュッと噛みしめる。
「うちはVTuberから撤退する。彼には活動を休んでもらって、いずれは引退になるだろうね。残念だが」
少しも残念ではなさそうな口調で社長は言う。
自分のことなのに怒りも悲しさも湧いてこなかった。
かわりに、ダメージを受けたのは美心の方だった。
彼女の頬に透明の液体が伝わる。
泣き顔を見るのがつらくて、僕は美心に微笑みかける。
「美心、これからの活躍を期待してるからな」
「……っ」
かんざしに蛍光灯の光が落ちる。銀色の金属は悲しげに光った。
「あ、あたし、詩音くんがいいから……」
美心は立ち上がり。
「ごめんなさい」
会議室を飛び出していく。
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