第7章 夏の炎

第26話 花火大会

 花火大会当日の夕暮れ。

 美心の家にほど近い河川敷にて。


 約束の時間よりも10分ほど前、待ち合わせ場所の野球場に着く。

 今日に限っては、野球場に屋台が出ている。子連れやカップルで、河川敷とは思えない光景だった。


 とりあえず、LIMEでも送ろうかと思ったが、その必要はなかった。

 それなりに混んだ中でも、彼女の銀髪が目立っていたから。

 

 近づいていくと、美心も僕に気づく。

 彼女は頭を下げると、たおやかな笑みを浮かべて、僕の方へ来る。


「よ、よお。神楽さん?」


 彼女と挨拶するだけで胸が高鳴る。


「詩音くん、どうかな?」


 美心が上目遣いで聞いてくる。


 銀髪美少女と浴衣。涼しさと清らかさが同居していて、つよつよだった。夏の風物詩にしてほしいまである。

 あと、僕がプレゼントしたも見事に似合っていた。


「あっ、いや……綺麗だな」


 声がうわずってしまった。

 声のプロだと自負していたのに、動揺するなんて。まだまだ僕も未熟です。


「ありがとう……今日のために美容院に行ってきたの」


 銀髪が川風になびく。ふんわりした香りが髪から漂ってきて、脳がとろけそうになる。


 理性を保つのが、しんどい。

 話題を変えないと。


「屋台で何か買うか?」

「うん。近くに小さな神社があって、さらに穴場だから」

「じゃあ、屋台に行ってから、神社で花火だな」


 美心がうなずく。


 チョコバナナと焼きそば、たこ焼き、ベビーカステラを買って、神社へ。

 こぢんまりした神社。葉がそよ風に揺られ、心が落ち着く。これぞ、本場のASMRである。


 さらに穴場というだけあって、僕たちの他に2組しかいなかった。

 ベンチがあったので、座らせてもらう。


 花火が始まるのを待ちながら、食事する。

 途中までは特筆することはなかったのだが。


 美心さんがチョコバナナを食べ出して――。


「ちゅるぅぅ……んちゅ……ちゅっ、ぺろぺろ……」


 美心さん、自慢のASMRボイスで。

 バナナの先端を舌で転がすように舐め回したり、咥え込んで頭を動かしたり。

 髪を押さえて、チョコバナナを上目遣いで見つめる仕草もあって。


(BANギリギリなんですけど⁉)


 僕の視線に気づいた美心は。


「バナナおいしいね」


 頬をとろけさせて言う。

 無自覚に清純系エロスを振りまくとは、さすがです。


「チョコバナナを食べるシーン、録音したいんだが。あっ……今度の配信で使いたくて」

「……いいけど、普通に食べてるだけだよ?」

「それで人もいるんだよ」


 配信で思い出した。

 あくまでも花火大会はオフコラボ。配信のネタにするために来たんだ。

 美心が素晴らしすぎて、目的を忘れそうになった。


 食事を終えてしばらくすると、花火が始まった。

 川とビル群の先に、色とりどりの花が咲く。


「綺麗だな」

「……うん、おばあちゃんと来たとき以来かな」

「ん?」

「おばあちゃんが元気だったとき、ここで一緒に花火を見たの」


 暗くなりゆく空。

 彼女の青い瞳に影が射す。


「おばあちゃんが亡くなってからは、花火大会の日は家に閉じこもっていて。思い出すと悲しくなるから」


 僕は黙って、美心の声に耳を傾ける。


「でも、今年は詩音くんが一緒にいてくれる」

「……」

「だから、寂しくない」

「美心」

「詩音くんは……どこにもいかないでね」


 彼女の瞳が不安げに揺らめいていた。

 放っておけなくて。


「ああ。僕はずっと美心のそばにいるから」


 心の底から、しみじみとつぶやく。


「あたし、本当にVTuberになってよかった」


 美心の自然な笑顔が綺麗で。


「もう一度、大事な人と花火を見られたんだから」


 花火と比べても遜色がなかった。


「詩音くんに出会えて、ひびきちゃんとすごせて、あたしの人生変わったんだよ」


 空では、火薬が大輪の花を咲かせる。

 まるで、美心を祝福しているようだった。


 話しているうちに、気づけば膝と膝が触れ合っていた。

 それでも、まだ僕は彼女との距離を縮めたくて。


「僕もだ」


 物理的な意味ではなく。

 神楽美心という女の子と、もっと仲良くなりたくて。


 ただ、それには足りないものがあって。

 花火が打ち上がるたびに、もどかしくてたまらなくなる。


「美心のこと教えてくれないかな?」「詩音くん、あたしもっと詩音くんのこと知りたい」


 美心も同じことを感じていたのだろう。

 発言が被った。


「じゃあ、僕の話からでいいか?」


 つぶらな瞳孔が僕の口に向けられる。


「僕は去年の春にボーイソプラノを引退した。けど、なかなか気持ちの整理がつかなかったんだ」


 美心は切なげに眉根を寄せる。

 彼女を暗い気分にさせたくないので、僕はあえて笑顔を作った。


「夏休みになって、無理やり納得させたんだ。受験勉強も始めないといけなかったし。もともと音楽中心の生活で、勉強も遅れてたからね」

「本当にお疲れさまです」


 美心のささやき声が脳に染みる。


「勉強もやらなきゃ。友だちもいない。姉も大学受験がある。去年の夏は、花火大会なんて気にする余裕もなかったな」


 美心は真剣に首を振る。

 当時のモヤモヤした気持ちを理解してもらえて、うれしくなった。


「僕は一度失った。もうボーイソプラノとしては歌えない。でも……」


 僕は頭上の星を見上げた。花火と競演するかのように、夏の星座が輝いていた。


「結局、僕は諦めきれなかった」


 僕は星と、大切な女の子に向けて、言葉を紡ぐ。


「だから、もう一度歌いたくて」


 リアルでは叶わないけれど。


「VTuberだったらできるから」

「そうだね」

「受験も終わったし、VTuberのオーディションに申し込みまくった。けど、書類で落とされてばかり。そんなとき、偶然、チャンスが舞い降りた。いや、細野が仕組んでたから、偶然じゃなかったか」

「うふっ」


 美心がクスリと笑う。


「ごめんなさい。それ、あたしが日和さんに頼んだの」

「えっ?」

「日和さん、最初はあたしに声をかけたの。『知り合いの会社で、VTuberのオーディションやるから受けてみない~?』って」

「そうだったんだ」

「あたし、VTuberになって自分を変えたかった。でも、ひとりじゃ不安で……」


 美心は胸に手を添える。


「だから、『秦くんも受けるなら。それが条件だから』と答えたの」


 まさかのネタばらしだった。


「ありがとな、美心」

「へっ?」

「おまえが細野に言ってくれたおかげで、僕は手を伸ばせた」

「手を伸ばした?」


 美心の純粋な瞳が僕を捉える。


「知らない会社の怪しいオーディション。でも、僕にとっては、偶然のチャンスが舞い降りてきたのも同然で、そこに僕は手を伸ばしたんだ」

「詩音くんは偶然を掴んだんだね」

「そうかもな」


 うなずいたものの、まだ、言葉が足りない気がした。


「僕、VTuberになって、女性の声で活動できた。おかげで、失ったものを取り戻せた。ううん、ちがうな」


 考えを言葉にすることで、自分でも気づいていなかった思いが浮かんできた。


「僕は昔を取り戻しただけじゃない。前よりも、もっと充実しているんだ」


 美心の銀髪が風になびいて、僕の頬をくすぐる。

 心地よくて、勇気が湧いてきた。


「ドルチェで美心と仲間になれて、リアルも楽しくなった」


 膝に置いていた手を美心の方へ近づける。

 彼女も手を伸ばした。


 指と指が触れ合う。その瞬間に、空が光った。


「僕の心にある隙間を、美心が埋めてくれたんだ」

「詩音くん」

「本当に美心と出会えてよかった」


 美心の手の甲に、僕は手のひらを重ねる。

 夜とはいえ、真夏。触れ合って、暑いはずなのに、穏やかな気分になる。


 花火が何発か打ち上がっても、彼女は手を動かそうとしなかった。


「だって、自分を変えようと常に一生懸命で、まぶしくて、純粋で。見てるだけで、心が洗われるというか」

「……」

「美心は大切な人だから」


 美心が上目遣いで僕を見つめる。


「だから、同じ箱で活動できて、ホントにうれしい」


 花火と神社という特殊な環境だから、恥ずかしくもなく言えたのかもしれない。


「あたしも、詩音くんがいてくれてから……救われたの」

「美心」

「詩音くんが心の支えだから。あっ、今では対等の仲間なんだった。依存しきゃダメなのにね」


 美心はペコリと舌を出す。


(本当にかわいいな)


「でも、あたし……納得できないよぉ」

「納得できないって、なにが?」


 初めてかもしれない。美心が怒るのを見たのは。


「あたしたちの関係」

「う、うん?」


 ドキリと心臓が跳ねそうになった。


「あたしたち、仲間だけど、仲間じゃないでしょ?」


 VTuberはソロ活動。同じグループだからと言って、完全な仲間ではない。

 しかし、美心が言いたいのは、そういう意味ではないのだろう。


 美心が何を言いたいのか知ろうと、彼女を見つめる。


 しばらくして、美心は意を決したように大きくうなずいて。

 瞳を閉じ、顎を上向かせる。


 ほんのりと頬を染めて。

 王子様のキスを待つお姫さまのように。


(…………あれ?)


 僕たちの関係に納得がいかないからの展開について、考えてみる。

 もしかして――。



 でも、僕と美心は仕事仲間。


 てぇてぇ関係は、女性同士で適度な百合をしているから成り立つわけで。

 配信の裏で、美心と恋愛するのは難易度が高すぎる。


 そもそも僕はバ美肉勢だ。美心とコラボしたときに、リスナーさんに気取られたら炎上間違いなし。


 一方で、僕たちはリアルに生きる高校生でもある。

 男子高校生としては正直、美心の魅力はたまらない。


 美心が顎を上向けてきている。

 桜色の唇は魅力的で。


 ゴクリと唾が鳴る。

 この雰囲気でコクって、あわよくばキスも。


 勇気を出すなら、今だ。


 そう思ったとき――。

 2台のスマホが同時に音を鳴らした。


「えっと、僕たち共通の知り合いって、細野しかいないよな?」

「しょ、しょうかも」


 美心は照れまくりだった。


 スマホを取り出す。

 やはり、細野からだった。LIMEが来ている。


『ごめん、デート中。緊急事態よ。すぐに電話して』


 川から吹く真夏の風が、冷たく感じられた。

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