第25話 ボイスチャット

 驚いた美心さんの叫び声。

 配信中だったら、助かるリスナーさんも多かっただろう。


「美心、どうしたんだ?」


 呆けている相方に問うと、彼女は無言でスマホを指さした。


「見ていいのか?」


 美心はコクリとうなずく。

 本人の許可を得たので、ウェットティッシュで手を拭いてからスマホを触る。

 ロックのかかっていないスマホには、SNSのアプリが表示されていた。


『舞姫ひびきちゃん、清純なのに声がえちえちなんだじぇ。ボク、おっぱい揉みたいなぁ』


 変態なダイレクトメッセージDMでした。


(この手の奴、僕のところにも送られてくるんだよな)


「セクハラはいつも放置してるだろ?」


 いまさら驚くのは変だ。

 なにかあると思って、注意深くスマホを見る。

 DMの送り主に気づいたとたん、僕まで絶句した。


「まさか、偽物だろ?」

「詩音くん、あたし指が震えてて……確かめてくれるかな?」

「おう、わかった」


 騒ぎを聞きつけた細野が会議室に戻ってきた。


「ふたりとも、どうしたの~?」


 いま起きた出来事を細野に話す。

 いつも余裕綽々のお姉さんも叫んだ。なお、それだけで胸が揺れた。


「アカウントは間違いなく、本人なんだよね~?」

「ええ、間違いないわ」

「ありがと。なら、わたしからDMに返事を書いておくね~」


 細野が美心のスマホを使って、文字を打ち込む。

 その後、とある人とアポを取ってから、食事に出かけた。


   ○


 翌日の昼すぎ。

 ひとりで自宅待機中。約束した時間になったとたんに、ボイスチャットアプリが着信音を鳴らした。


『みなさん、こんしゃん』


 PCのスピーカーから、の挨拶が聞こえてきた。


『ひびきたん、ボクのために、ありがとうなんだじぇ』


 美心の反応がない。

 通話に参加しているのは画面で確認取れるのだが、様子がわからず不安になる。


 美心の性格を考えると、固まっているんだろう。

 けれど、今日の僕は脇役なのだ。ごめん、助けてやれない。


『このたびは、弊社所属タレント舞姫ひびきにお声がけいただき、ありがとうございます~』


 細野がかしこまった挨拶をする。高校生なのに言い慣れてる感がして、年齢詐称しているのではないかとすら思ってしまう。


 なお、細野が話している相手は――。


『はじめまして、星空シャンテさん。いつも配信見てますよ~』


 大手事務所所属の星空シャンテである。

 3ヵ月でチャンネル登録者数50万人を突破した、大物VTuberだ。

 昨日、セクハラ紛いのコンタクトを取ってきた人でもある。


『マネちゃん、堅苦しい挨拶は抜きなんだじぇ。んなことより、ひびきたそのパイオツ見せて』


 星空シャンテさん、気さくな人らしい。


『ですが、他社の方ですので~』

『大丈夫だじぇ。いちおう、うちのマネージャに相談したんだけどさぁ。公式な打ち合わせじゃないってさ。あくまでも友だちとの交流ってことで』

『おお、さすがイルミネイトさん。わたしも助かります~』


 ちょっとした会話で空気が柔らかくなった。

(コミュ力高い同士だと、雰囲気作りがすごいんだな)


 なお、『イルミネイト』は星空シャンテが所属する会社のことだ。


『じゃあ、マネージャはお邪魔なので抜けますね~』

『マネちゃん、ちょっと待つんだじぇ』


 なぜか、シャンテが待ったをかける。

 主役の神楽美心舞姫ひびきが不安で止めるのなら、わかるのだが。


『マネちゃん、名前は?』

『細野です~』

『ふーん、細野さんか。いのに、爆乳なのは反則なんだじぇ』


 予期せぬ会話の流れに噴き出しそうになった。


(名字と胸のサイズは関係ないだろ⁉)


 どうして細野が爆乳だと見抜いたんだろうか。


『ボク、なんでもわかるんだじぇ。だから、細野ちゃんが爆乳お姉さんJKだって、知ってるんだぞ』


(偶然だよな?)


『あはははは、VTuber事務所のマネージャは女子高生ですか~面白い冗談ですね~』


 笑って受け流す細野もすごい。

 リアルを知らない人が聞いたとしても、まさか本物のJKだと思わない。そんな言い方だ。


『細野ちゃんと楽しんだところで』


 一瞬で空気が引き締まる。

 音声だけのやり取りなのに、人気VTuberが完全に場を支配していた。


『さっきからしゃべってくれないけど、ボク、ひびきちゃんと話がしたいんだじぇ』

『……すいません、緊張しちゃって、えへへ』


 美心を心配していたが、彼女は苦笑いで応じる。


『だって、大好きな星空シャンテさんと話せるんだから』


 美心はさりげなく相手を持ち上げる。


(美心、3ヵ月弱でホントに成長したよな)


 僕は安心して美心を見守ることにした。

 立ち会ってほしいと頼まれたけど、僕いらない子だったかも。


『おおっ、うれしいこと言ってくれるじぇ』


 人気VTuberは気を良くしたと思えば。


『ボク、ロックンローラー志望の女子高生だし、普通がいいんだじぇ』

『……そ、そうですね。あたしも女子高生ですし』

『同級生なんだし、タメ口でいいじゃん……けど、ひびきちゃんの敬語で癒されるしなぁ』


 まさか、星空シャンテまで美心の癒しボイスを評価してくれるとは。

 ところで、『同級生』と聞こえた気がするけど、適当に言っただけだよね?


『ひびきちゃんの天然ASMRボイス。ボク、マジで好きなんだじぇ』

『……あ、ありがとうございます』

『助かる。いまので、ごはん3杯食べられる!』


(そこまで⁉)


『ひびきちゃんさぁ』

『は、はい』

『いつかコラボしようじぇ』

『……ふぇっ』


 固まる美心の姿が目に浮かぶ。


『言っとくけど、社交辞令じゃないじぇ』


 大手事務所の子が、収益化間もない美心とコラボしたいだなんて。ちょっと信じられない。


『じゃあ、ここからが本題なんだじぇ』


 今のが本題じゃなかったんだ?


『ボク、ひびきちゃんと仲良くなりたいんだじぇ』

『ありがとうございます』

『いまはいてるパンツの……どこを愛してるのかな?』


 意味がわからない。


『清楚とか、彼が喜びそうとか、クマさんがかわいいとか。女の子がパンツを選ぶのには理由があるんだじぇ』

『……』

『さあ、ひびきちゃん。今日のパンツの志望動機を答えなさいだじぇ』


 変態だ。変態すぎる。

 さすがの美心も言葉を濁すだろう。

 ところが。


『……大切な人が褒めてくれたから』


 僕の相方はバカ正直に答えてしまった。

 さらに。


『ピンクで……横が紐なの』


 神楽美心嬢は大爆弾を投下する。


(僕とオフコラボしたときに買ったのだよね⁉)


『紐パンきたじぇ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』


 星空シャンテは大興奮だった。

 僕としては恥ずかしいから、話題を変えてほしいのに。


『カレシに選んでもらったの?』


 シャンテは追及し。


『ふぇっ……あ、あたしなんかが恐れ多すぎて……ぷしゅぅ』


 美心は顔から湯気を出した。音だけでわかる。彼女の状態が。


(しばらくクールダウンが必要だな)


 ここはマネージャのフォローに期待しよう。

 と思っていたら。


『ドンッ!』


 スピーカーの向こうから物が叩かれる音がした。


『ごめんだじぇ。つい、壁を殴っちゃった。てへっ』


 星空シャンテが言う。


『ひびきちゃん……あたしは卑屈すぎるじぇ。ロックじゃない』


 声に凄味がある。怖い。


『すいません』

『すぐに謝るのが、ホントに……クリソツだじぇ』


 そういえば、同じクラスのギャルに似たようなことで怒られてたな。

 美心は変わってきたとはいえ、染みついたクセは簡単に直らないのかもしれない。


 そろそろ僕がフォローしておくか。全然、しゃべってないし。


「連れがごめんなさいですの」

『あなた……たしか、ひびきちゃんの――』

「ドルチェの夢咲かなでですの」

『あなたの歌、ロックだじぇ』

「ありがとうございますですの」


 人気VTuberが配信を見ていたことに驚きつつ、態度には出さないよう気をつける。


「ひびきちゃん、自己肯定感が低いだけで、悪意はありませんの」

『ボクも悪かったじぇ。ボク、ロック魂的にマズい発言聞くと、スイッチが入っちゃうんだじぇ』


 幸いにも、シャンテが謝ってくれた。


『ごめんなさい。クラスの子にも同じことで怒られたのに、クセでつい……』


 美心も丁寧に謝る。

 特別に落ち込んでいるようには感じられなくて、僕は胸をなで下ろした。


 これにて一件落着かな。


『ところで、かなでちゃん?』

「なんですの?」

『歌はプロ級なんだけど……』


 なぜか背筋が寒くなる。


『声が、どこか不自然なんだじぇ?』


 思わず言葉を失った。

 初配信から1ヵ月半。誰からも疑われたことはなかった。それが、シャンテには見破られたというのか。

 意図的に性別を偽っているわけではないが、バラすタイミングでもない。


「ボイチェンで調整してますの」


 ウソを吐くわけではないが、曖昧に受け取れる答えをした。

 女性VTuberがボイスチェンジャーを使って、地声を調整するケースも普通にある。そう受け取ってくれることを願って。


『なら、納得なんだじぇ』

「ワタクシの声もまだ甘いですわね。もっと、もっと、精進しませんと」

『心意気がロックだじぇ』


 怒らせなくて助かった。


『ところで、ボクたち4人は女子高生なんだし、女子トークしようじぇ?」


 山の天気並みに変わりやすい子だ。


『みんなは学校で、どうしてるんだじぇ?』

「ワタクシは孤高の歌い手ですの。ひとりでいますわ」


 僕もボッチとしてのプライドがある。胸を張って答えた。


『あたしは陰キャだから、友だちはほとんどいなくて……人と目を合わせられないし』

「そもそも、目が……」


(隠れてる時点で、目を合わせられませんわ)


 そう言おうとして、思いとどまった。

 舞姫ひびきはメカクレではない。非公開の通話とはいえ、バーチャルと異なる情報を不必要に出すのは良くない。


『ふたりとも自虐はやめようよ~』


 マネージャにやんわり注意される。


『まあ、今回は自虐ネタとわかってたし。笑ったからいいんだじぇ』


 地雷を踏まなくて、助かった。


『それと面白いことに気づいたし』


 人気VTuberは愉快げに笑った。

 通話が終わるまで、楽しいが続いた。

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