第22話 てぇてぇ
背中が大変な事態になっていた。
7月の暑い日に10分以上も歩いている。汗ばんでも仕方ないのだが。
(考えるな、アカンことになるぞ)
考えなくても、背中は感じてしまう。
ぷにぷにした女子高生の弾力を。
『考えるな、感じるんだ』という名言がある。
この言葉に初めて僕は違和感を抱いた。
感じるだけで、僕のメンタルが崩壊しそうだから。
背中に当たるおっぱい。男子高校生を殺す、最終兵器。考えても感じても、勝てる気がしない。
夏の陽も傾き始めている。
オフコラボも終盤。あとは神楽を家まで送り届ければいいだけなのに。
僕は神楽の家を目指して、小川の脇の道を歩いている。親水公園と名づけられていて、小川の脇に遊歩道が整備されているのだ。
小川のせせらぎで心を落ち着けようとするも、ダイレクトな感触にどうしても意識も持って行かれてしまう。
(そろそろ歩くのも厳しい)
体力的な事情ではなく、生理的な理由で。
さっきから僕の息子が自己主張をしようともがいている。どうにかこうにか、なだめているが、いつまで抑えきれるか。
万が一、息子が原因で歩けなくなったのがバレたら……?
想像するだけで怖ろしい。ドルチェ解散の危機かもしれない。
「ごめんね、疲れたよね」
神楽が僕の耳元でささやく。
天然ASMRボイスが心身の疲労を一瞬で回復させる。
「……別の意味で疲れたけど、大丈夫だから」
「詩音くん優しいから、重いとは言えないよね?」
適当に誤魔化そうとしたら、勘違いされた。
僕がエッチなだけで、神楽には責任がない。さすがに、否定しないと。
「いや、神楽は軽いぞ」
「……じゃあ、なんで疲れてるの?」
墓穴を掘ってしまった。
「人をおんぶするなんて慣れてないから」
「そ、そうだよね」
適当な理由をでっち上げたのに、納得してくれた。
よかった。素直な子で。
「……そこに公園があるし、休まない?」
神楽が提案する。
助かった。
小川に沿った親水公園。途中に、広場があった。そこにベンチもある。
ベンチ前で、僕は神楽を降ろす。
神楽は近くの自動販売機を一瞥する。
「喉、乾いてない?」
「ん?」
「……おぶってもらったお礼をしたいの」
「いや、お礼なら充分すぎるくらいもらったし」
神楽は首をかしげる。
余計なことを言ってしまった。
「せっかくだから、驕ってもらうかな」
「うん、ありがと」
なぜか驕る方が感謝するという。それが神楽らしいところだが。
神楽はさっきまで歩けなかった。僕が買いに行くべきだろう。
「紅茶でいいか?」
神楽はうなずくと、財布から2人分のお金を出す。
自動販売機で紅茶と日本茶を買う。
神楽の近くまで戻りかけたとき、ふと足が止まってしまった。
傾いた太陽が、彼女の銀髪と小川を染め上げている。
自然と少女が、まぶしくて幻想的な美を生み出す。
「綺麗だな」
「そうね」
神楽が小川を指さす。
きっと風景を美しいと感じているのだろう。
「……神楽もな」
思わず、つぶやいてしまった。
神楽は言葉を発しない。
聞こえなくて助かったと思いきや。
神楽は耳たぶまで赤くなっている。
きちんと見れば、夕陽のせいではないとわかる。
「ほら、紅茶」
「うん、ありがとう」
どうにか空気を変える。
僕は神楽の横に腰を下ろした。
「……詩音くん、こうしていていいかな?」
ベンチに置いた僕の手に、彼女は自分の手のひらを重ねる。
おんぶのときは服越しに彼女を感じていた。
今度は素肌が直に当たる。
柔らかさこそおんぶが上回るが、温かさは素肌が勝る。
しかし、どちらも魅力的すぎて、脳がとろけそうになった。
(アカン。別のことを考えよう)
そういえば。神楽さん、また、僕を名前で呼んでいる。
マネージャに出された本日の宿題。
控えめな神楽は何度か達成しているのに、僕はできていない。
僕も神楽を真似て、自分を変えていこう。
そうしないと、いつか僕は神楽においていかれるかもしれない。
勇気を振り絞る。
「あのさ、美心」「ねえ、詩音くん」
被った。
「僕はどうでもいい話だから、神楽が先に言ってくれ」
焦って、また名字で呼んでしてしまった。
「で、でも……」
一瞬だけ神楽は怪訝な顔をしたものの、僕に青い瞳を向けて。
「夕陽が見える公園で、手を繋いでるんだから」
心臓が飛び上がりそうになる。
「あたしたちカップルに見えるのかな?」なんて言われたら、どうしよう?
ドキドキしていたら。
「てぇてぇ……かな?」
「えっ?」
「いまのあたしたち……てぇてぇかな?」
ほっとしたような、残念なような。
「てぇてぇだろ。少なくとも、僕たちのリスナーさんは喜びそうだな」
「そうだね」
「いまの会話も配信で使ったら受けそう」
会話を続けながら、僕はふと思った。
僕たちは、同じ箱のVTuber。仲良くするのが求められるが、あくまでも仕事仲間として。
恋愛を意識したら、リスナーさんが期待する
そもそも、
今日の出来事を振り返る。
商店街でかんざしを買って、食べ歩きして。モールで下着を買って。
数時間の経験は、秦詩音と神楽美心のものでもあり、夢咲かなでと舞姫ひびきのものでもある。
「ありがとな。今日は良いネタができた」
「こちらこそ、ありがとう。あたし、雑談枠が苦手だから、すごく助かった」
僕たちは顔を見合わせて、笑う。
「ところで、マネージャからの課題が解決できてないな」
「……そうだね」
美心の頬に朱がさす。
「美心は頑張ってるけど、僕はできてなかった」
「……詩音くん?」
おんぶしていたときと変わらないぐらい、体が熱い。
マネージャに課題を出されたからではなく。
彼女との距離を縮めたくて。
ガチ恋距離にならない程度に。
仲間として。
僕は彼女の近くにいたい。
「美心?」
彼女が目を見開く。
徐々に口元が緩んでいく。
自然な笑みを見ていたら、恥ずかしさなど吹き飛んだ。
「……美心のおかげで、僕は励まされた」
「えっ、あたしなんかが……」
「そうやって、また謙遜しすぎる」
「あうぅっ、青葉さんにも怒られたのに」
美心はうなだれる。
「僕、美心のこと、すごいと思ってるんだからな」
「そ、そうなの?」
「普段は控えめで自信がないのに……ひたむきに自分を変えたいと願っている。行動もするし。そんな子、滅多にいないぞ」
「そ、そうなんだ」
「多くの人は自分を変えたいと思っても、実際には動けない。わかっていても、できないんだ」
入学式の日。髪型を変えて登校できなかった美心のように。
「けど、美心は恐怖を乗り越えた」
美心の純粋な瞳が、僕の口元を見つめる。
「さっきも青葉に自分のことを話せたじゃないか。青葉との関係も変えてみせた。だから、もう――」
そよ風が美心の銀髪をなびかせる。夕陽が、青い目に降り注ぐ。
彼女の澄んだ瞳に向かって、僕は語りかける。
「美心は昔の美心じゃない。おまえは変わったんだ」
「……あたし変わったの?」
「自分では信じられなくても、僕が証人だ」
美心は首をかしげる。
普段は素直なのに、たまに頑固になるんだから。
「神楽美心という女の子は――」
「……」
「2ヵ月前よりも、ずっと魅力的になっているぞ」
息を呑む音がした。
「……詩音くん」
彼女の瞳から透明な液体が流れる。
僕はハンカチを取り出し、白い頬を拭く。
「僕も美心みたいになりたい」
「えっ?」
「僕、過去を取り戻したくて、VTuberになったんだ」
ボーイソプラノができなくなった僕。
VTuberになって、
「でも、それは無理だった」
「……無理?」
「どんなに頑張っても、過去には戻れない。僕たちには、今と未来だけしかないから」
「そうだね」
「美心は自分を変えようと、未来を見ているよな」
はにかむ美心の頬が上気する。
「そんな美心が、僕にはまぶしくて――」
「う、うん」
「僕は美心に憧れてるんだ」
僕は過去を取り戻したいと願い。
美心は未来を変えたいと動いていた。
僕たちは真逆なのに。
なぜか、僕は美心に共感できて。
やがて、僕は気づいた。
「僕は美心みたいに、未来を掴みたいんだな」
元ボーイソプラノ秦詩音が、VTuberに転生するのではなく。
「夢咲かなでとして、新たな道を探していきたい」
美心は真剣に僕の言葉に耳を傾け。
「あたしたち、同じかもね」
「美心?」
「VTuberの活動を通して、未来とリアルを変えたいと願ってるのだから」
美心と繋ぐ手が温かった。
彼女を感じるだけで、勇気が湧いてくる。
ひととおり言いたいことを話したら、急に恥ずかしくなった。
話題を変えよう。
「そういえば、もう少しで収益化が通りそうだな?」
「そうだね」
「金になれば、社長も僕たちを認めるだろう」
「そうなるといいね」
「不安にさせるなよ」
VTuberの運営なのに、「VTuberはキャバクラ嬢」とまで言い放つ人間だ。収益化が通っても、変なことを言ってくる可能性はある。
「ただ、美心と一緒だったら大丈夫な気がする」
「あたしも」
「美心には教わったから」
「なにを?」
「諦めないで挑戦すれば報われるって」
美心と見つめあう。
「あたしも同じ。詩音くんはVTuberとしてやり直した。綺麗な歌声でリスナーさんを喜ばしている。なにかを失っても取り戻せるって、あたし信じられるようになったから」
ふたりで手を繋いだまま立ち上がる。
いつのまにか、空に星が出ていた。
美心みたいな子と、同じ箱でVTuberになれたことを、僕は星に感謝した。
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