第18話 勉強会

 土曜日。朝から僕の家に神楽と細野が来ていた。

 2時間ほど勉強したところで、昼になる。


「あの、僕、腹が減ったのですが」


 勉強で頭を使っていて、やたら疲れる。


「じゃあ、あたしお昼ご飯作るね」


 神楽さん、天使である。料理も美味いし、神だ。神楽美心は、天使なのか、神なのか。僕の中で論争が始まりかけた。


「じゃあ、料理ができるまでに、もう10問ぐらい解こうか~?」

「鬼」

「なにか言ったかな~?」

「なんでもありません」


 マネージャは容赦ない。リビングで勉強すると、キッチンから料理の匂いがする。空腹を我慢するのがしんどかった。


 しばらくして、料理ができあがる。

 メニューはチャーハンと麻婆豆腐。


 神楽美心嬢お手製チャーハンを一口食べる。


「このチャーハン、普通に店で出せそうだぞ」


 ごはんはパラパラしていて、卵は黄金色。具の炒め加減も、塩味も絶妙すぎる。あり合わせの素材で作ったものとは思えないほどのクオリティだ。


「そうね。麻婆豆腐も本格的だし~」


 今度は細野が感想をつぶやく。


 僕も麻婆豆腐を食べてみる。豆腐の熱さと、香辛料の軽いしびれを舌が感じた。ピリピリする割には、辛くなくて食べやすいのが、助かる。


 なんだが。

 梅雨の時期。ただでさえ蒸し暑いのに、熱くて辛いものを食べた。汗が止まらない。


 女の子たちも同じで。

 首筋から流れる滴が、落ちていく。落ちていく。胸元へ。


 透けるほど濡れてはないけれど、ふたりとも胸が大きい。

 汗の動きと、双丘のインパクトに目がつられてしまう。


 話をそらさないと。


「うちにある材料でも、こんなに美味い料理が作れるんだな」

「……良いスパイスが揃ってたから」

「親が海外で買ってくるのはいいんだが、僕ひとりでは使いこなせなくて」


 歌音かのん姉さんがいたときは、まだよかったんだが。


 ひとりで一軒家に住んでいると、地味に家事が大変だ。

 特に、VTuberになってからは、時間が足りない。どうしても料理が手抜きになってしまう。


「だったら、秦くんの家、学校からも近いし……あたしでよければ、料理をしに通うね」

「いや、神楽も配信あるし、忙しいだろ」


 申し出はありがたいが、そこまで迷惑はかけられない。


「あのさ~おふたりさん」


 マネージャがブラウスの胸元を手で仰ぎながら、口を挟んできた。


「そろそろ、名前呼びしたら~?」

「ぶはぁぁっっっっっっっっっ!」「あうぅぅうぅっっ!」


 神楽とふたりして叫んでしまった。


「そんなに驚く~? 配信中は、普通に名前呼びしてるでしょ~」

「あれはキャラを演じてるからで」

「あたしが秦くんのこと……下の名前で呼ぶなんて、恐れ多すぎですぅっ」


 僕は照れて、神楽は出会った頃みたいに卑屈になってしまった。


「メチャクチャ良い雰囲気なのに~名前呼びぐらいで恥ずかしがって、ウブなんだから~」


 マネージャが無茶ぶりする件について、どこにクレーム言ったらいいんだろうか。


「まあ、運営としてはリアルでも距離を縮めてほしいんですけど~」

「なぜに?」

「オフコラボって知ってるよね~?」

「ああ。普通のコラボは配信に2名以上のVTuberが集まるんだが、オフコラボは……神楽、教えてくれ」


 僕よりもVTuberに詳しい神楽に話を振ってみた。


「たとえば、数人のVTuberが集まって、闇鍋をしながら配信するのもオフコラボに入るかも」

「闇鍋は怖い」

「そのときの配信面白かったわ」

「だろうな」

「……お、お、おパンツが入っていたときには驚いたけど」


 斜め上の方向だった。

 恥ずかしそうに、「おパンツ」を言う神楽が予期せぬサービスだった。


「美心ちゃん、配信しないオフコラボもあるわよね~?」

「……VTuber同士が普通に遊ぶケースね。食事や遊園地、温泉に行ったり。そのときの出来事を雑談枠のネタにする人もいるの。VTuber同士が仲良いアピールすると、リスナーさんが喜ぶから」

「そうそう~。リスナーさんが見えないところで、軽めの百合をするとね~妄想がかき立てられるかもね~」


 そう言いながら、細野は神楽の手を握る。


「てぇてぇ……か」


 つい、女子の様子を見て、つぶやいてしまう。


 てぇてぇ。『尊い』がなまったネットスラングだ。VTuber同士が仲よさげな様子を指す言葉らしい。


「オフコラボで、てぇてぇ空気を発したら、もっと人気が出ると思うんだよね~」

「「うっ」」

「先輩VTuberとオフコラボして、胸を揉まれたって~あるVTuberが言ってて大盛り上がりだったよ~」

「ぶはぁぁっっっっっっっっっ!」「あうぅぅうぅっっ!」


 またしても、神楽と揃った。


「詩音ちゃんが美心ちゃんの胸を揉んだら~セクハラだし~そこまでは要求しないけど~」


 その言い方で読めた。


「せめて、名前呼びしろってか?」

「そうそう。交渉の基本だしね~」


 無理なことを言ってから、現実的な要求をすると、相手はイエスと言いやすい。たしかに、交渉の基本だ。


「とにかく、ふたりは仲いいアピールをしてほしいの~」

「努力はするけど、少しずつな」


 リアルで顔を合わせると、どうしても同級生だと意識する。同級生女子を名前呼びするのは抵抗がある。


 恥ずかしいので、逃げることにした。


「じゃあ、午後の勉強するか」


 今日、集まったのは、期末試験の勉強をするためだし。

 ところが、10分後。


「うーん、数学がわからん」


 僕は苦手の数学に苦しんでいた。


「美心ちゃん、詩音ちゃんを助けてあげられる~?」

「……あ、あたしでよければ、お願いします」

「お、おう。こっちこそ頼みます」


 なぜ、教える方が頭を下げてるんだか。

 余計に申し訳なくなる。


 神楽が僕の隣に移動する。僕が広げた教科書とノートを横から覗き込んできた。

 神楽は文字を見ようとしているのか、予想以上に距離が近い。

 さらさらの銀髪が首筋を撫でる。甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「……この問題はね」


 神楽が自分のノートに公式と解法を書いていく。

 角度的に、豊かな胸元を斜め上から見下ろす格好になってしまい。

 彼女の言葉も耳に入ってこない。


「秦くん、数学に苦労してるんだね」


 集中できてなかったのを、理解不足だと勘違いしたらしい。


(一生懸命に教えてくれてるんだ、邪なことを考えるな)


「ごめん、気合い入れるから」

「あたしでよければ、力になるからね」

「お願いします」


 それからも密着したまま、数学を教えてもらう。

 神楽の説明は丁寧で、わかりやすかった。


(自信ないだけで、神楽ってスペック高いよな)


 料理に、機械やゲーム、数学。自分で気づいてないだけで、良いところはたくさんある。


 嫌いな数学と、天然ASMRのささやき声。

 神楽特有の癒しボイスが、苦手意識を少しだけマシにしてくれた。

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