第13話 初配信【舞姫ひびき】
【神楽美心視点】
マウスを触る指が震えてしまう。マウスカーソルが思った位置に当たらない。
これから、初配信が始まるというのに、情けない。
(ホントに、あたしってダメな子なんだから)
思えば。
15年の人生。ホントに惨めだった。
大人からみれば、わずか15年。
でも、15歳の本人からすれば、永遠にも等しい全人生。
振り返ってみると、子どもの頃から、暗い道を歩んできた。
なにをしてもトロくて。
人見知りで、周りの大人も、子どもも怖くて。
保育園でも、先生や他の子どもとなじめない。
友だちは、本と、ゲームと、おばあちゃん。
あたしがダメな子でも、けっして否定しないから。
あたしという存在を受け入れてくれたから。
本当に、ホントに、大好きだった。
なかでも、おばあちゃん。
本やゲームは楽しいし、時間や嫌なことを忘れさせてくれる。
でも、おばあちゃんとちがって、あたしに語りかけてくれない。
唯一、おばあちゃんに不満があったとすれば――。
あたしが中学に入った直後に、ひとりだけで天国に旅立ってしまったこと。
大好きな人を失った、あたしはまずます本やゲームにのめり込んだ。
1日1時間以上ゲームして怒られるかもしれない。けれど、潰れないでいられたのは、ゲームのおかげ。絶望から救ってくれたのだから。
おばあちゃんが亡くなったあと、両親はあたしを心配してくれた。
両親の気持ちはうれしい。
けれど、申し訳なさで、罪悪感に苛まれた。
父は会社を経営している。母も父の仕事を必死に支えている。
あたしのことだけでなく、社員や社員の家族、取引先の生活も両親は背負っている。
親に迷惑をかけられない。
朝ごはんのときしか両親とは会わないけれど、そのときだけは無理して笑顔を作った。
空虚だった中学校での生活。
暗い顔をするよりは無表情の方がマシ。周りにも迷惑をかけない。
あたしなりに、そう考えた。憂鬱な感情を顔に出さないよう、我慢した。
けれど。
『あんた、顔が暗くて、むかつくんだけど』『いまの時代、陽キャ以外は生きている資格がないっての』『あんたの声のせいで居眠りしたら怒られたんだけど、二度としゃべるな』
クラスで人気のある子たちは、陰キャなあたしを徹底的に蔑み。
『神楽、人間は明るい性格を好む生き物なんだぞ。ちょっとは周りの子と話したらどうだ?』
先生も、もっともな理由をつけて、あたしを否定する。
あたしだって。
あたしだって。
陰キャに生まれたくて生まれたわけじゃない。
ならば、自分を変えればいい?
実際に、そう言って、あたしに近づいてきた人も何人かいた。
その人たちの話を信じた。
惨めな自分を変えたいと願った。
でも…………………………。
結局、自分を変えられなかった。
変える勇気が持てなかったのだ。
入学式の日。駅のトイレに逃げ込んだように。
自分を変えられないことに、あたしは深く絶望した。
両親に迷惑をかけたくないので、学校も休めない。逃げ場は本とゲームだけだった。
そんな中2のクリスマス、あたしは彼を知った。
男子なのに、性別を超越する彼。
あたしは彼のことをネットで調べた。彼が出ているCDも買った。
何度も何度も、彼の歌を聴く。
心を癒す歌声に、あたしは励まされた。毎日を生きようと勇気をもらえた。
あたしにとって、彼はヒーロー。
手の届かない遠いところで輝く星のような存在だった。
しかし、彼にも限界があると思い知らされる。
中3の1学期。声変わりで彼は引退してしまう。
仕方ないことだと納得しつつも、心にぽっかりと穴が空いた。運命の過酷さを呪った。彼が出演したCDを聴くのも苦しくなる。
絶望から逃れようと、勝手にもあたしは彼から遠ざかった。
高校に入って、彼の名前を見つけたとき、複雑な気分だった。
憧れの人が近くにいる興奮と、彼を裏切った罪悪感。
彼に話しかけられないまま、入学から1週間ほどした、ある日。
放課後、ひとりで歩いていたら、日和さんに話しかけられた。
『神楽さん、いい声してるよね~』
信じられないことに、眠くなる声を気に入ってくれたらしい。
『神楽さん、いい声なんだし、VTuberになってみない?』
あたしは、つい言ってしまった。
『秦くん……がいるなら』
自分でも、なんで彼の名前が出てきたのかわからなかった。
いまにして思えば、憧れの人が近くにいるなら、自分を変えられると思ったのかもしれない。
次の日。日和さんは秦くんの机にオーディションのチラシを置いた。秦くんが申し込んでくれたのは幸運だった。
あのとき、秦くんが動いてくれなかったらと思うと、怖くなる。
(ううん、日和さんだし、別の手を使ったよね)
と、まあ、そんな経緯があって。
あたしはVTuberになろうとしていた。
オーディションを受けてから、信じられない日々の連続だった。
初めて、友だちもできて。かけがえのない1ヵ月半だった。
楽しかった。うれしかった。
なのに、肝心なところで、弱気になっている。
ホントにダメな子だよね。
ダメな自分を変えたいのに。
いざ変えようとすると。
陰キャな自分に安心していて。
このままでいいと思ってしまうのだから。
会社にも、日和さんにも、秦くんにも迷惑をかけてしまう。
悪いことだとわかっていても。
本能には抗えなくて。
心臓はバクバクし。
手は冷や汗で汚れ。
不安が全身を呑み込もうとする、そんなときだった――。
えもいわれぬ温もりが、あたしの手を包んだ。
じわっとした優しい肌触り、一瞬だけ、おばあちゃんを思い出した。
けれど、大きくて頼りがいがあって、繊細な感触は……。
「大丈夫。神楽なら、できるから」
憧れの彼だった。
「僕、知ってるから。おまえが、どれだけ努力してきたか」
「っつ」
「だから、僕の仲間になってくれないか?」
涙がこぼれてきて、彼の手に落ちる。
彼は気にすることなく、指であたしの頬を拭ってくれた。
1秒にも満たない時間が、あたしの人生を変えた。
15年のなかで染みついていた不安や恐怖が、一気に引いていく。
「ありがとう。もう大丈夫だから」
ウソじゃない。
彼が勇気をくれたから。
彼が見せてくれたから。
肉体的な限界に敗北しても、別の手段で勝利したのだから。
いまなら、奇跡を信じられる。
(彼がいれば……あたしもできる!)
上手くいかなくてもいい。あたしはあたし。どうせ陰キャだ。
ならば、他人と比べるのでなく、あたしにできることをすればいい。
すっきりした頭で時計を見る。
15時30分。配信開始予定の時間になっていた。
「はじめまして」
声が震えてしまった。
けれど、秦くんが手を握っていてくれるから、怖くなかった。
「VTuberグループ『ドルチェ』所属の
今度は自然と声が出た。
秦くんにボイトレを教わって、半月。嫌いだった自分の声をスピーカーを通して聞く。練習の成果が出て、安堵する。
それでも、自分の耳が信じられなくて、コメント欄を確認した。
『声が安らぐ』
『助かる』
『ママになれる逸材かもよ』
声は少ないけれど、みんなの反応がうれしかった。
(あたし、やれる)
「舞姫ひびき。15歳。カルマート星から来ました」
「カルマート星人は声に魔力があります。あたしは声の魔力を使って、人々に『安らぎ』を届けたい。そう願って、旅をしています」
魔力には毒がある。
あたしの声は人を眠らせる。
しかし、毒と薬は紙一重。
秦くんや日和さんは、あたしの声を認めてくれて。
いまでは、眠くなる声は、毒にも薬にもなると理解できた。
欠点は強みにもなる。
あたしは声を「安らぎ」の薬にしたい。
「好きな食べ物は紅茶とケーキ」
「趣味はゲームと読書」
自己紹介も無難に終わり。
「配信内容なんですけど……」
ここからが勝負だった。
陰キャな神楽美心ではなく。
「安らぎ」の舞姫ひびきとして。
「あたし、天然のASMRらしいんです。いまも特別な機材を使ってないんですよ」
切り札を出す。
すると。
コメント欄にさっそく反応があった。
「ウソ、マジで」
「AS100を使ってたんじゃないの?」
AS100。バイノーラルマイクの製品名。100万円もするのに、ASMR用の定番マイクとしてVTuberに人気がある。
「AS100ではないですよ。地声じゃないですけど、特別な機材は使ってません」
地声じゃない。
お姉さんにノウハウを教わった秦くんが、あたしのボイトレの先生だ。
何回目かのときに、秦くんは。
『眠くなる地声で配信したら、神楽美心だとバレるかも』
そう言った。
それから、あたしは声を変える訓練をした。
いま、舞姫ひびきとして話しているのは、昔とは別のあたしだ。
『マ?』
『天才ここに現る』
『魂、声優なんじゃ』
秦くんのおかげで、みんなが喜んでくれている。
初配信も残りわずか。
ここにきて感極まって、頭が真っ白になりかける。
不安になったとき、秦くんが手をぎゅっと握ってくれた。
すぐに落ち着いてくる。
ホントに天使だ、秦くん。
と、思いかけたところで、我に返る。
あたしと秦くんは同じ箱の仲間だけど、あたしたちは独立したVTuber。
彼に依存しちゃダメ。
彼にもらった勇気で、リスナーさんを喜ばせよう。
「あたし、ひびき民さんに安らぎを届けたいの」
軽く息を吸い込んで。
マイクに、ふうっと息を吹きかける。
すると。
『助かる』
『さっきから捗りすぎて、納期がヤバいんだけど』
『よしよし……して』
陰キャなあたしに期待してくれる。そんな人がいるとわかって、勇気が湧いた。
「よしよし……いい子、エラいエラい」
隣にいる秦くんの頭を撫でながら、言ってみた。
『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!!!!!』
『ひびきたん、オレのママ認定』
コメントが大変なことになっている。
(あたし、ひびきちゃんになって生まれ変わりたい)
配信が終わるまで、不思議な感覚が続いていた。
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