第3章 初配信
第12話 初配信【夢咲かなで】
僕の家に集まって準備をした日から、ちょうど3週間後の土曜日。
僕たちの大事な日は、梅雨雲に覆われていた。しとしとと雨が降っている。
けれど、舞台は防音仕様。雨音はまったく聞こえない。
時刻は午後2時58分。僕の部屋にて。
僕と、神楽、細野は、時計を眺めていた。
「あと2分で始まるし~緊張してるの~?」
細野が僕の頬を指でつついてくる。
僕はPCから目を外さずに、マネージャに答えた。
「いや、別に」
「強がらなくていいのに~お姉さん、特別サービスでムギュッとしちゃうぞ~」
つい、大きく盛り上がる胸元を見てしまった。
夏服になったおかげで、圧倒的な双丘はさらに暴力的になっている。
初配信を控えた僕にとって、それは究極の癒し兵器だった。
「あれ? どこ見てるのかな~」
「秦くんのエッチ」
しくじった。
神楽にまで、冷たい目で見られるし。
「とにかく、緊張はほぐれたね~」
爆乳だからこそ可能なモチベーションアップ術だったのか。おそるべし、おっぱい。
「じゃあ、マネージャは隣の部屋に待機してるから~」
それだけ言うと、
「あたしも、日和さんと一緒に――」
「いや、神楽には隣にいてほしい。僕のパートナーだから」
「パートナー」
神楽美心は意味深に繰り返したと思えば。
「……あたしでよかったら、お手伝いさせてください」
神楽はニッコリ微笑んだ。
今日の神楽は、三つ編みをほどいた美少女モード。VTuberの活動中は髪型を変えるから、心の中でVTuberモードと呼んでいる。
ちょうど3時になった。
僕は配信ソフトの「配信開始」ボタンをクリックする。
数秒後、金髪少女が現われた。彼女は口を開け、パクパクと何かを言っている。
少女の頭の上に、「準備中」と文字が表示されていた。
無事にオープニング動画が再生されている。それだけで感動した。
いきなり、話し出さないのには理由がある。リスナーさんの環境によっては広告が入るケースもある。なので、オープニング動画と呼ばれる動画を流してから、スタートするVTuberが多い。
僕も神楽に教わりながら、苦労してオープニング動画を作っていた。
1分ほど経ってから、神楽がマウスを掴む。慣れた手つきで、配信ソフトを操作する。オープニング動画から本編用へと画面が切り替わった。
動画枠の右に、僕の分身がいた。
夢咲かなで。金髪のゴージャスな美少女。燃えるような赤目が情熱的で、ピンクのドレスが豊かな体を覆っている。
いまここに、VTuber夢咲かなでがデビューを果たす。
動画枠の背景も問題ない。基本色はオレンジで、温かさを演出してみた。そこに、小さな星々の絵を被せて、親しみやすさも出している。
準備は整った。
僕は深く息を吸い込んで。
マイクの向こうにいるリスナーへ語りかける。
「みなさん、はじめまして。VTuberの
ボイスチェンジャーに繋いだヘッドホンから女の声が聞こえた。
よかった。完全に女子の声になっている。
「今日は、ワタクシの初配信に来てくださいまして、ありがとうございますですの」
よし。挨拶は無事に乗り越えた。実は、挨拶の練習だけでも100回ぐらいはしている。少しでも理想の女子に近づくように、できるかぎり声の調整をしたつもりだ。
なお、変な言葉遣いも、僕が考えている。
「では、まず自己紹介からするのですわ」
神楽がPCを操作する。
誕生日などのプロフィールが画面に映し出された。
「夢咲かなで。15歳。ブリッランテ星から来ましたの。3歳のときから歌をやってますわ」
架空の設定と、実際の僕の経験を混ぜ合わせて言う。
最初は、キャラのイメージだけで設定を考えようとした。
でも、人気VTuberたちの配信を見て、思い直した。作られた設定を演じるだけの子なんていなかったから。彼女たちはリアルとバーチャルの折り合いを上手につけていた。
設定重視で進んだら、絶対にボロが出る。
そう感じた僕は、秦詩音と夢咲かなでが近づくように頭を振り絞った。
何日か考え続けて、単純な真実に気づく。
僕には音楽がある。3歳から歌ってきた、僕の経験だ。
「ブリッランテ星では、歌手は15歳までに引退しないといけませんの。でも、ワタクシは歌を愛しております。どうしても、歌を忘れられず、星を出ることにしました」
歌に年齢制限がある設定は、ボーイソプラノをベースにしている。本人の意思とは無関係に、ある条件に達したら引退するしかなくなる点が共通しているから。
「地球に来たワタクシはVTuberを知りましたですの。VTuberになれば、失われた歌を続けることができる。そう思って、VTuberになりましたの」
VTuberが不可能を可能にした。
夢咲かなでと、秦詩音の感情は、一致する。
おかげで、僕は心の底から夢咲かなでになりきれる。
神楽に目で合図を送った。頼りになる相棒は、スライドを切り替える。
「では、趣味を言いますわ」
「ワタクシは音楽一家ですので、音楽鑑賞が一番好きですわ。地球の音楽は最高ですの。クラシック音楽からロック、アニソンまでバラエティ豊か。まさに、文化ですの」
「食べ物は和食が好きですわ。お刺身はグレイトですの。ブリッランテ星では生魚を食べる文化はありませんので、びっくりしました。特に、納豆。納豆は究極の刺身ですの」
自分なりのボケから。
「ごはんの上に、マグロと納豆、とろろ。あれは完全宇宙食ですの。あれさえあれば、1億光年宇宙の旅にも耐えられそうですわ」
そこで、間を取る。
コメント欄が目に入った。
『納豆は刺身なのか』
『マグロのスタミナ丼が好きなんだなwww』
『スタミナ(意味深)』
『助かる』
『さす歌手。チョー声かわいい』
『かなでたん、攻めと受け、どっちが好き?』
零細事務所の初配信なので、量は少ない。しかし、好意的な反応ばかりで安堵する。
なお、最後のは気にしないでおこう。ひどかったら、マネージャがブロックしてくれるはず。
神楽に操作してもらって、配信を進めていく。
「では、次に配信内容に参ります。最低でも週に1回は歌いたいですの。他には、ゲーム実況や雑談なんかにも挑戦したいですわ」
「ワタクシのファンネーム、つまり、みなさんのことは、『かなで衆』と呼ばせていただきますわ。みなさん、よろしくって?」
『おけまる水産』
『かなで臭な、良い香りしてそうw』
『オレ、かなで衆1番組隊長を任された』
コメントも大丈夫そう。
「ファンアートには、『#夢のアルバム』とハッシュタグをつけてくださいですの。サムネイルなどに使わせていただきます。ご了承くださいね」
(ファンアートもらえるといいな。お願いします、イラストレーターさん)
僕のVTuberデビューは、いよいよクライマックスにさしかかる。
「最後に、1曲歌わせていただきますわ」
神楽がPCを操作すると、配信画面の背景が変わった。
薄暗い背景に、オレンジ色の無数の棒。サイリウムだ。
美術部に書いてもらった特製の背景である。
裏話がある。
お金がない僕たちは、背景素材もフリー素材で調達する必要があった。
著作権的にも問題のないフリーのイラストサイトを探しまくる。通常の配信に使う素材は見つかった。
が、歌うときには凝ったものを使いたかった。そうなると、無料のサイトにはなさそうだった。
マネージャに相談したところ、『お姉ちゃんに任せて~』と頼もしい答えが返ってきた。
数日後。背景素材が届く。
美術部に頼んで書いてもらったらしい。
『女子の友だちを連れて、美術部男子とカラオケに行ったの~。みんな、喜んでくれたわ~』と、うちのマネージャはおっしゃった。さすがは陽キャです。独特の報酬なんですね。
なにはともあれ、アニソンを1曲披露した。有名な曲で、人気VTuberたちも頻繁に歌っている曲だ。
コメント欄を確認する。
『マジ、かなでたん最高の歌い手』
『すげえ、魂はプロの歌手かよ!』
好評なようで、安心した。
「最後に、ワタクシが所属するVTuberグループについて紹介しますわ」
「『ドルチェ』といいますの。イタリア語で、『甘美な』『柔らかい』などを意味しますわ。一般的には、スイーツをイメージする人が多いと思いますけれど」
「ワタクシ的には、ドルチェは音楽用語です。『柔らかく』表現するという意味ですの」
僕たちがVTuberになって、何を提供したいか。
僕たち3人は、何日もかけて、さんざん話し合った。
僕は、安らぎを。
神楽は、癒やしを。
「ドルチェは、リスナーのみなさんに、『甘くて』『柔らかくて』『安らぎ』を感じられる場をご提供できれば、と思っておりますわ」
幸い、僕と神楽の想いには重なる部分も多かった。
ドルチェという言葉に、僕たちは願いを込めた。
「ドルチェには、もうひとりVTuberがいます」
夢咲かなでの横に銀髪少女が現われた。
「紹介しますわ。舞姫ひびきさん。ワタクシの大切な友だちですの」
そう言ったとたんに、神楽
「えへっ、えへへへへ」
笑ってしまった。
(ふぇっ? なんで声を出して笑うかな)
ノイズ抑制の設定が入っていたが。
『今の笑い声、誰?』
『女子の声だから、セーフ』
『てぇてぇ』
ダメだった。配信されていた。
「今のが舞姫ひびきさんですわ。笑い声でコラボしましたですの」
機転を利かせた。
「いま、隣にいるのですわ。このあと、すぐ、ひびきさんの配信が始まりますので、よろしくお願いしますですの」
どうにか、うまいことまとめた。
最後に挨拶をして、配信を終える。
もう一度、僕は女子の声でデビューできた。
言いようもない達成感だった。
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