第2章 デビュー準備

第9話 彼女の特技

 2Dモデルお披露目会から約3週間すぎた土曜日。


詩音しおんちゃん、今日はよろしくなのだ~」

「お邪魔します」


 美少女2名が玄関に足を踏み入れただけで、実質、ひとり暮らしの我が家の空気が変わる。一気に華やいだから、女子高生は怖ろしい。


「お、おう。自分の家だと思って、くつろいでくれ」

「……お言葉に甘えさせてもらうね~。詩音ちゃんの作業を見守ってるから~」


 細野ほその日和ひよりは豊かすぎる胸を張って、ドヤ顔を決める。


「それ監視じゃん⁉」

「うふふ」


 一方、神楽かぐら美心みこは脱いだ靴を整理しながら、微笑む。

 なお、今日の神楽は三つ編みではない。オーディションの時の美少女ムーブだった。


 なにはともあれ、彼女たちをリビングに通す。


「ほほぉ、なかなか立派なホームシアターですな~」


 細野は我が家自慢の設備を見て、おじさんみたいな口調で言う。


「いちおう、両親は音楽家だし。それなりの金をかけてるんだよね」


 一戸建てで防音工事もしているから、騒音の心配も大丈夫だ。映画や音楽を楽しむのみ、恵まれた環境かもしれない。


「まあ、最近は海外遠征が多くて、家にほとんどいなくて……。おかげで、僕専用のホームシアターってわけ」


 僕が苦笑交じりに言うと。


「……秦くんは寂しくないの?」


 神楽は小首をかしげる。


「2ヵ月前までは、うるさい姉もいたからな。むしろ、いまは気軽な生活を満喫してるというか」

「……そ、そうなんだ。お姉さん、うらやましいなぁ」


 神楽が寂しげな顔をする。


「神楽の家も親が不在がちなんだろ?」

「う、うん」

「親がいなくて、どうなんだ?」


 僕がフォローすると。


「あたしは慣れてるから」


 吹っ切れているように思えて、安心しかけていたら。


「子どもの頃は……おばあちゃんもいてくれたし」


 陰キャ同級生の声が微妙に暗くなって。


「中学に入ったばかりのときに亡くなったけど」


 彼女は青い瞳を軽く伏せた。


 空気が重くなった。

 細野が目で訴えてくる。「詩音ちゃんのせいだからね~」と言いたげだ。


「悪いな。辛いことを思い出させて」

「ううん、秦くんが聞いてくれて、気持ちが楽になったから」


 神楽は微笑を浮かべる。

 無理している様子もなく、胸をなで下ろす。


 雰囲気が柔らかくなった瞬間に、細野がコンビニ袋を持って立ち上がる。どこがとは言わないが、揺れた。


「プリンを買ってきたから~食べながら打ち合わせしよ~」


 さすが陽キャ。助かる。


 土曜日の午前中。わざわざ、神楽たちに来てもらったのには、理由がある。


「秦くん、PC、あたしが見てみるね」

「……助かる。僕、あまり詳しくないから」


 VTuber活動を始めるにあたり、手持ちのノートPCを神楽に見てもらった。

 すると、『配信をするには厳しいかな。ゲーム実況は無理だと思う』と、残念な答えが返ってくる。


 そこで、神楽に最適なPCを見繕ってもらった。

 数日前、新品のPCが届いた。OSやメールなど最低限の設定は自分でしたものの、そこから先がわからない。


 神楽にヘルプ要請を出した。

 新PCはデスクトップのゲーミングPCで、持ち運びできるサイズでない。


 他の準備も兼ねて、僕の家に集まることに。

 そうして、今に至る。


 PC関係は神楽に教わるとして、僕も彼女の役に立ちたい。


「あと、例の件も、やってくれるってさ」

「……秦くん、ありがとう」

「わたしからもお礼を言わせて~運営が紹介するのがホントだし~」

「ふたりとも気にすんな」


 僕は空になったプリンの容器を片づけながら、言う。


「じゃあ、神楽、PCを見てくれるか?」

「うん」


 珍しく神楽の声が弾んでいた。


 3人で僕の部屋に移動する。同級生の女子が部屋に入るなんて、人生初めてだ。


 軽く感動していたら。

 細野はベッドの下を覗き込んでいた。床に膝をつき、お尻を突き出して。


(おまっ、ミニスカなんだから、気をつけろって)


 幸か不幸か、見えてはいない。


「詩音ちゃん、夜のオカズはどこかな~?」

「おまえな!」


 心配して損した。


「マネージャさん、僕に機材のことを教えてくれませんかね?」

「わたし、機械は苦手なんです~。動画は見る専門なの~」


 頼りになるマネージャである。


「ん、あたしに任せて」


 逆に、普段は頼りない神楽が、自信満々に胸を叩く。


「お願いな」

「まずは、夢咲ゆめさきかなでちゃんを動かすね」

「おう」


 神楽はブラウザを立ち上げ、キーボードで文字を打ち込む。

 検索キーワードの履歴が出てきて、ドキリとした。


(良かった。エッチな単語が表示されなくて)


 ところで、神楽さん、通常の3倍速で動いている。赤い服を着てないはずなのに。

 てきぱきとWebカメラをPCに接続し、神楽は言う。


「秦くん、カメラを見てくれる?」

「おう」


 画面を見たら、夢咲かなでが映っていた。


「なにか話してみて」

「わかった」


 すると、夢咲かなでの口が動く。


「カメラが秦くんの動きをとらえて、夢咲かなでちゃんのアバターを動かすの」


(すごい、僕、美少女になった)


 首を傾ける。ゆさゆさ。かなでの金髪がなびく。

 面白いので、飛び跳ねてみた。


 ぽよんぽよん。


 かなでちゃんの爆乳がダイナミックに揺れた。

 感動した。僕に、おっぱいが実装されたんだから。


 思わず、揉んでみた。

 手応えはない。ただの、まな板のようだ。


「……秦くんのエッチ」


 神楽に引かれた。

 ぴえん。


 とりあえず、話題を変えよう。


「神楽、PCにホントに詳しいよな」

「ボッチだから」


 斜め上の答えが返ってきた。


「どういうこと?」

「ボッチは遊ぶ人がいないの」

「お、おう」

「放課後、まっすぐに家に帰っても、親もいない。宿題と予習、復習をしたら暇になる」


 予習、復習までしてるんだ。


「やることないから、PCで遊んでたら少しだけ詳しくなったかな」

「軽く言うけど、すごいことだぞ」

「しょ、しょんなことないにょ」


 神楽は噛み噛みで、困ったように下を向く。


「なにか気に障ること言ったか?」

「ううん、褒められるの慣れてなくて」


 微妙な雰囲気になった。


 細野に助けを求めよう。どうせ、僕の部屋を探索しているだけの暇人だ。


 振り返ったら、いなかった。

 自室に女子とふたりきり。緊張してきた。


「次に進もうか」


 作業に集中しないと、変なことを考えそう。


「じゃあ、配信ソフトの設定をするね」

「配信ソフトって、なに?」


 僕が首をかしげると。


「ライブ配信を簡単にするためのソフトかな」


 神楽先生が教えてくれる。


「VTuberさんのゲーム実況とかで、ゲーム画面の他にVTuberさんが表示されるじゃない?」

「ああ。右下とかに小さく出るアレか」

「それ、配信ソフトで設定してるの」

「そうなんだ」


 数分後。わけもわからないうちに、神楽の作業が終わっていた。

 ゲーム画面が大きく表示され、その右下に夢咲かなでが映っている。


「ボイスチェンジャーとマイクもつなげたから、しゃべってみて」

「ああ」


 僕は軽く咳払いしたあと、マイクに向かって。


「こんにちは、夢咲かなででーす」


 とりあえず、挨拶してみる。すると、スピーカーから女子の声が流れてきた。


(すげぇ、これがバ美肉)


 オーディションのときもボイチェンボイスチェンジャーは使っていたけど、アバターと声を同時に使ったのは初めて。


 感動したが、すぐに違和感を覚えた。

 声が機械っぽい。自然な人間の声とはかけ離れている。


「このままでは使えないな」

「うん、ボイスチェンジャーと配信ソフト、両方の設定を見ないといけないの。けっこう大変かも」

「まあ、声については自分でなんとかしてみるよ」


 声のことなら時間さえかければ、なんとでもなる。

 と、そこでマズいことに気づいた。


「いろいろやってくれて、助かったよ。けど」

「けど?」

「僕、このままじゃ、自分で配信できない」


 神楽がいなかったら、操作できない自信がある。配信のたびに来てもらうのは非現実的だ。


「あたしでよければ、教えさせていただきます」

「お、おう」


(なんで、先生が卑屈なんだ?)


 神楽と場所を交代し、僕がPCの前に座る。


 神楽は僕の真後ろに立つと、しゃがみ込んだ。

 僕の首筋を、彼女の吐息が撫でる。


(近い、近いんですけど)


 思わず振り向く。

 豊かな双丘が椅子の背もたれに当たり、形を変えていた。


 神楽先生の授業が始まる。

 説明を聞いていても、彼女との距離感が近すぎて、集中できない。


 彼女がマウスを動かそうと手を動かす。

 避けようとして、彼女に触れてしまい、体が硬くなる。


「ご、ごめん」

「……あたしこそ」

「……」

「ひととおりの説明は終わったから」

「そ、そうなんだ」


 気まずい空気が流れ始めたときだ――。

 突如、Web会議システムのポップアップが表示された。

 勢いで、「承認」ボタンを押してしまう。


 直後、姉の顔が映っていて。


『詩音ちゃん、カノジョを家に連れ込むとはやるじゃん』


 盛大に勘違いされ。


「ひゃぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっ!」


 恥ずかしさが頂点に達した神楽が、悲鳴を上げるのだった。

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