第7話 運営さん……

 社長は薄くなった髪をかく。額の汗がテカっている。


(中年男性を敵に回すつもりはないが、汚いおっさんだな)


 会議室に入る際に、突拍子もないことを言い放ったのも重なり、つい睨んでしまう。


「いやぁ、2Dモデルって金かかるんやなぁ」


 細野と神楽も、口をあんぐりと開けている。


「ちみぃ、元ショタだと聞いてるぞ。なのに、目が怖くて、困っちゃうなぁ……いっそのこと歌で身体能力を強化して、熊を倒してきなさい。熊を素手で倒す動画をアップして、我が社に金を入れてくれ」


(ウザすぎる)


 バイト先の社長なので、文句を言えないのが困る。

 僕の代わりに動いたのが。


越智おち社長、どういうことですか?」


 社長の遠縁でもある細野だ。

 いつもニコニコしている癒やし系同級生も、露骨に眉をひそめている。


 温厚な普段とのギャップが怖すぎる。

 ところが、社長は顔色ひとつ変えなかった。


「だからさぁ、VTuberに使える予算、もうなくなったんだよね」

「「「……」」」


 僕たちは呆然とするが、いち早く我に返ったのはマネージャだった。


「予算がなくなったって……まだ2Dモデルを作っただけですよ~。これからデビューに向けて、宣伝もしていかないといけませんし」


 素人の僕でもお金が必要だと理解している。

 

 高性能なPCだったり、マイクなどの音響機材だったり、配信に必要なソフトウェアだったり。機材一式を揃えるだけでも、それなりの投資が必要だろう。


「VTuberって、簡単にお金が稼げるんじゃないの?」

「「「……」」」

「適当にしゃべっていれば、リスナーはウルチャで銭を投げる。知り合いの社長が、そう言ってたぞ」


 ウルチャとは、ウルトラチャットの略で、いわゆる投げ銭である。


 ライブ配信中に視聴者はコメントを投稿できる。

 コメント自体は無料ただでもできるのだが、人気者のVTuberになるとコメントが猛烈な速度で流れていく。


 VTuberたちは人並み外れた動体視力でコメントを見ながら配信している。とはいえ、追いかけるにも限界もある。


 そんなときに使われるのがウルチャ。

 ウルトラチャットでお金を払ってコメントを書く。すると、コメントに色がついて目立つ。あと、一般のコメントに比べて長時間表示される。


 つまり、課金することで、自分のコメントを推しのVTuberに見つけてもらいやすくなる。


 配信中に、『詩音さん、ありがとうございます』と、呼んでもらえるまである。

 ウルチャは、お気に入りのVTuberとコミュニケーションが取れるすばらしい発明品だ。


 トップレベルのVTuberになると、年間のウルチャ収益が1億円を突破するから怖ろしい。


 VTuberの話術やパフォーマンスは大金を生むのだ。天才クラスに限った話ではあるが。


(社長は金を儲けたいんだな)


 企業なので否定はしないけれど。

 わりと理解を示していたつもりだったのに。


「VTuberって、キャバ嬢だよね」

「は、はい?」


 場にそぐわぬ発言を受け、僕は首をかしげた。


(女子高生がいるんですけど⁉)

 

 神楽は首をかしげ、細野は苦笑いを浮かべていた。

 幸いにも、神楽は意味がわからないらしい。


「君たちわかっとらんようだな」


 社長が得意げに話し始めた。


「キャバクラとはな、接待を伴う飲食店で、この世の楽園なんだよ」


(こいつ、絶対にはまってるな)


「だがな、客を接待する女の子もドリンクを飲みたいときもある」


 社長は咳払いすると。


『旦那さま、あたし~ウーロン茶が飲みたくなっちゃった❤』

『よーし、パパ、超高級ウーロン茶を驕っちゃうぞ』

『わーい、パパ、だいしゅき』


 嬢のマネをしているらしく、普通にキモい。


「とまあ、客は2000円のウーロン茶を喜んで払うわけだ。ダメだ。俺、マミちゃんに驕りたくなってきた」


 ニヤける社長と、ため息を吐く細野。


「動画サイトでも、客はVTuberに2000円のウルチャを普通に送るだろ」

「そ、そうですね」

「キャバクラ嬢に貢ぐのと、VTuberに課金すること。どちらも、応援したい、好きな相手に金を使う点では同じだろ」


 キャバクラに行ったことないから、理解できないんですけど。


「お客さん相手に調子良いこと言ってるだけで、お金がもらえるんだ。良い商売じゃないか」


(ときどき、こういうタイプの人いるよな)


 歌なんて、誰にでもできるとか言い放った人も見てきたし。

 VTuberのトークにもスキルはいるはずなんだが。


 こんな人間が社長をしている会社でデビューしていいんだろうか。

 そう思い始めたときに。


「というわけで、君たちが収益化するまでは、金の援助はできないから」


 最初の話をあらためて持ち出してきた。


「社長、お言葉ですけど~」

「じゃあ、これから接待だから」


 細野が反論しかけるが、社長は有無を言わさず発言を遮る。


「君たちのせいで、キャバクラに行きたくなったじゃないか」


 社長は背を向けて、会議室を出ていく。


 1分ほど沈黙が続いて。


「ごめんなさい、遠い親戚が変なことを言い出して~」


 最初に口を開いたのは、細野だった。申し訳なさそうに頭を下げる。


「頭を上げてくれ」

「……いいの?」

「だって、細野さん悪くないし」


 神楽が慰めるように言う。


「そうね。いまは、これからのことを考えないとね~」

「そうだな。問題は金なんだよな?」


 細野と神楽は首を縦に振る。


 しばらく3人で考えること数分。僕は案を思いつく。


「細野、バイト代の前借りとかできないか?」

「バイト代?」


 細野が首をかしげる。


「今日の打ち合わせとかバイト代が出るんじゃ――」

「ごめん」


 細野は謝ると、ため息を吐く。

 それだけで、胸が上下に動いた。深刻な話が続くなか、少しだけ気分が明るくなった。


「ごめん、変なこと考えてた」


 2つの意味で。ただ、胸を見てたなんて言えないので。


「僕のバイト代を使うのは、まずいよな。売れ残ったクリスマスケーキをバイトが自腹で買うのと似てるし」

「ううん、あの社長だったら、バイトに払わせるからね~」


 やっぱ、ここはブラック企業だったか。軽い気持ちで、オーディションを受けて後悔した。


「そういうことじゃなくって~」


 細野はノリツッコミぎみに言う。


「あなたたちはバイトじゃないから~」

「どゆこと?」

「あなたたちには個人事業主だから~」


 そう来たか。


「あっ、それ聞いたことある」


 神楽が反応した。


「企業勢のVTuberさん、バイトとか社員でなく、個人事業主が多いみたい。運営会社とは、仕事の契約をしてるだけで……。PCやマイクとかも自費で買ってるとか。先日、とあるVTuberさんの配信を見てたら、『100万円のマイクを買おうとしたら、クレジットカードを止められた』って、話してたの」


 珍しく神楽が饒舌に語る。

 学校では絶対に見かけない楽しそうな笑顔。VTuber愛が伝わってくる。


「そういうことよ~。今日、これから契約書を渡そうと思っていたの~」


 細野はバツが悪そうに舌を出す。


「本当はもっと早くにしたかったんだけど、契約書だからね~。弁護士にチェックをしてもらってて」

「いや、不勉強だった僕も悪いし」


 個人事業主は、雇われている人間ではない。会社から独立して働いている人だ。今、流行のフリーランスである。


 クラシック音楽家も個人事業主が多いから僕にはイメージしやすい。うちも父が指揮者で、母はオペラ歌手。どちらも個人事業主だ。


 個人事業主は、いわば社長。一国一城の主である。

 だったら、機器を自分で買うのも理解はできる。


「もちろん、お金のこともあるから~機材は会社が買って、収益化してから返してもらう方法を考えてたの~」

「助かる」

「でも、さっきの社長の発言で無理そうで、ごめんなさい~」

「いや、細野が気にすることないし」

「ありがと~」


 細野が僕と神楽を見て言う。


「ここからは相談なんだけど?」

「ん、なんだ?」

「うちの会社では満足な支援ができない。せいぜい、わたしがマネージャとして雑用するぐらいかな~」


 マネージャは肩をすくめる。


「今だったら、契約前。なかったことにできるから~」


 僕と神楽に決断を迫っているのだ。


(運営に期待できないとわかったし、気持ちはありがたい)


「あいつ、キャバクラで女遊びする金はあるのに、ケチなんだから~」


 神楽が真っ赤になって、「女遊び?」とボソボソとつぶやく。キャバクラ=そういう遊びと気づいたのかも。


 女子ふたりが困っているので、いたたまれなくなり。


「金のことなら、心配するな」


 僕は胸を叩いてみせる。


「歌手時代に、ちょっとした収入があった。PCぐらいは買える」


 すると。


「あたしも」


 神楽まで前髪をかき上げて言う。露わになった青い瞳は、やたらと力強かった。


「うち、両親が会社を経営してるの」

「へえ、そうなんだ」

「仕事が忙しくて、あたしの面倒が見られない分、お小遣いはたくさんくれて」


 たどたどしい声は寂しそう。


「でも、あたし、お金を使わないから。貯金だけはあって」


 僕と細野がか弱い口を見守っていると。


「あたし、やりたい」


 こぢんまりした会議室に、陰キャな少女の決意が響き渡った。

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