第6話 キャラお披露目会

 放課後。

 僕は細野、神楽と一緒に事務所へ向かっていた。


 金曜日の午後4時。平日なのに、オタクとグルメの街は賑わっていた。

 改札を出ると、甘い香りが鼻孔をくすぐる。


 次の瞬間。


「ねえねえ、チーズタルトを買っていこうよ~」


 担当マネージャに腕を引っ張られた。

 近い。というか、胸が当たりそうなんですけど。


(こういうとき、爆乳は困るな)


 内心ヒヤヒヤしていたら。


「大丈夫。お金は経費で落とすから~」


 お金の問題だと勘違いされた。

 さらに、


「ふぁ……おいしそうです」


 神楽まで頬を緩ませる。

 言えない。ラキスケの期待と心配で戸惑っていたなんて。


 結局、女の子の意見に逆らえない。僕はチーズタルトの箱を持つ係に任命されました。


 ジャンク屋やオタクショップが軒を並べる通りを歩く。メイドさんがビラを配っている。


 興味がないフリをして、やりすごすこと数分。古ぼけた雑居ビルに到着する。

 やたら速度が遅いエレベータに乗り、5階で降りる。


 出たところに、『マナブル興業』の看板が出ていた。

 細野が鍵を開け、事務所に入る。よどんだ空気が漂っていた。

 誰もいないらしい。細野が窓を開ける。


「会社の人は?」

「みんな、昼間は営業に出てるの~」

「……会社なのに無人なんだ?」

「基本はね~。社長の奥さんが週1で事務作業をしにくるけど」

「社長って、細野の親戚なんだっけ?」


 オーディションのときにいた中年男性である。居眠りしか印象がないけど。


「そう。母の兄のお嫁さんの従兄弟の旦那さんのお兄さんが、社長の越智おち武雄たけおさんなの」

「よくわかんない関係だな」


 そもそも、『の』が多すぎて、日本語として理解できない。


「実は、わたしも覚えられないのだ~」

「なぜ断定したし⁉」


 細野はペコリと舌を出して笑う。


「会議の前の雑談でリラックスしようかな~って」


 細野は片手でノーパソを持ちながら、会議室の手前で立ち止まる。

 僕はマネージャのところに駆けより、ドアを開ける。


詩音しおんちゃん、プロジェクターの準備して~」


 細野は僕の手を握って、上目遣いでねだってくる。


(陽キャは距離が近いんだよな)


「わたしたちはコーヒーを入れるね」


 数分後。僕たちはデザートとコーヒーを前にして。


「じゃあ、お披露目会をしちゃうぞ~」


 和気あいあいとした雰囲気で、2Dモデルのお披露目会が始まった。たった3人だけの内輪な会だが、妙にテンションが上がった。


 細野も右手を天に突き出し、ノリノリだ。

 それだけでブレザーの膨らみが揺れ、僕の鼓動がさらに速くなる。


(いや、画面を見よう)


 白い壁に映し出されたPCの画面を見る。


「ポチッとな」


 細野がマウスをクリックする。

 すると、BGMとともに、2次元の少女が現われた。


 金髪の少女だった。前はアシメロール、後ろはふんわりウェーブロングにしている。

 目は燃えるような赤。金色の髪と相まって、華やかな印象を受けた。


 胸元も相当ゴージャスだ。

 薄いピンクのドレスに包まれた胸は、豊かな曲線美を描いている。


 少女を評するなら、絢爛豪華なオペラ歌手といったところか。

『夢咲かなで』とテロップが出て、動画が終わる。


 細野が口を開く。


「彼女は、夢咲ゆめさきかなで。魂は、詩音ちゃんだから~」


 魂。VTuberの世界で俗に使われる言葉で、VTuberを演じる人のことを指す。

 つまり、夢咲かなでは――僕である。


 僕は、金髪巨乳美少女にバ美肉するわけだ。


 バ美肉。これも、VTuber用語である。『バーチャル美少女に受肉する』を略して、『バ美肉』と呼んでいる。一般的には、男性が女性のアバターを使って、バーチャル美少女になることを指す。


「どうかな~?」

「気に入った。ありがとな」


 感想を聞かれたので、まず感謝の言葉を述べてから。


「でも、僕に巨乳キャラを演じられるかな?」


 懸念点を表明すると。


「そこを突っ込むの~⁉」

「……秦くんのエッチ」


 女子ふたりに引かれてしまった。

 細野はまだしも、神楽に手で胸を隠されてショックである。


 説明不足だった。釈明しよう。


「真面目な話、巨乳と貧乳で音の響きは変わるんだ。胸が空気の流れに影響を与えるから」

「ふーん」「へ~」


 胸の豊かな女子2名は感嘆の声を漏らす。


(やっぱ、ふたりとも巨乳声だよな)


 思ったけど口には出せない。

 個人的には発声理論について語りたい気持ちはあるが、今は話を進めよう。


「僕が演じても巨乳っぽく聞こえるように、ボイスチェンジャーの調整も必要だな」


(あとで、姉さんにアドバイスをもらおう)


 姉さんには声のことで、他にも相談したいことあるし。

 僕は神楽を見て、ちらっと考えた。


「じゃあ、巨乳声の習得と、キャラの設定作りが詩音ちゃんの宿題ね」

「キャラ設定も僕なの?」

「そう。自分で設定を考えた方が納得できるだろうし、ボロも出にくいから」

「そういうものなんだ?」


 純粋な疑問を口にすると、神楽もコクリとうなずく。


「もちろん、先にキャラデザや設定があって、オーディションで演者を決めるケースもあるわ~。キャラにぴったりの演者を探すのに苦労するって、どこかの会社の運営が言ってたし~」


 業界の内部事情を語る、お姉さん系同級生。


「だから、キャラデザだけは先にさせてもらったけど、それ以外は自由にしていいから~」

「自由にって……」

「エルフとか、魔界から来たとか、天使だとか、メイドとか。VTuberには、いろんな子がいるでしょ~。参考にしつつ、他の子と差別化してくれるとうれしいわね~」


 さらりと難題をふっかけられた気がする。


「善処します」


 そうとしか、僕は言えなかった。


「じゃあ、次は、美心ちゃんの番ね~」

「ひゃ、ひゃい」


 神楽、メチャクチャ緊張してる。


「まあ、甘い物でも食べて、落ち着け」


 神楽はチーズタルトを頬張る。リスみたいな食べ方だ。「はむはむ」の音だけで妙に癒される。


 主役が食べ終わるのを待って、動画の再生が始まった。


 現われたのは、巫女服を来た銀髪少女だった。

 横に流れた銀髪は神々しいばかりに輝いている。ブルーサファイヤの瞳は透明感があふれていた。


 僕、似てる子を見たことある。


(神楽じゃねえかぁぁっ!)


 オーディションのときの神楽だった。

 あのとき、神楽は地味な三つ編みをほどいていた。髪型が変わり、瞳が見えるだけで、完全に別人だった。

 そのときの姿にそっくりである。


「……これが、あたし?」

「そう。名前は、舞姫まいひめひびき~」

「……舞姫ひびき。あたしの名前」

「美心ちゃん、本名の時点で、『かぐらみこ』だし。普通にVTuberでいそうな名前だよね~」


(『神楽』と『みこ』だもんな)


 いかにも天才巫女っぽい。


「ホントに美心ちゃん、綺麗な名前ね~」


 細野は神楽の名前を褒める。

 ところが。


「……名前負けしてるし」


 本人は違ったようだ。卑屈な態度で答える。

 フォローしなければと思った。


「良い名前だと僕も思うよ」


 たった、それだけで、神楽の顔が明るくなる。


「ふたりがそう言うなら、いまは気にしない」


 僕と細野に言われたからという理由が引っかかる。自主性がないというか。

 まあ、それでも立ち直ってくれるなら、文句は言えない。


「そうそう。ひびきちゃんは~美心ちゃんの素材の良さを活かしたデザインにしたんだから~」

「どうりで、神楽髪型変えたバージョンに似てたよ」


 納得しつつも。


「でも、身バレしないかな?」


 僕は疑問を口にする。

 なにかの拍子で三つ編みをほどいた姿を見られたら危険だ。


「そこは大丈夫だと思う」


 細野が胸を張って言う。


「あくまで、美心ちゃんの雰囲気を参考にしただけだから~。2Dモデルとしてアレンジしてるから、よほどのことがないとバレないわ~」

「それもそうだな」


 別バージョンの神楽を見た人がいても、2次元と結びつける人はいないだろう。


 なにはともあれ。

 無事にVTuberの肉体と名前が決まった。


 デビューに向けて、テンションが上がっていく。

 と思ったのも、つかの間。


 会議室の外から、誰かの足音が聞こえた。営業に出ていた人が戻ってきたのだろう。


 現実に引き戻されるが、僕たちとは関係ない。

 目の前のことに集中しよう。


「じゃあ、次は契約関係の話をするわね」


 細野が話を進める。


「わたしは立場的にはバイトだけど、会社を代表して説明させてもらうわ~」


 細野が書類に手を添えたときだ。


 会議室のドアが、いきなり開かれた。

 人の良い中年男性が、僕たちを見て、ニッコリする。

 社長だ。ノックもしないとは。


「盛り上がっているところ悪いが……」


 壁に映し出された2Dモデルを、社長は指さすと。


「請求書が来たんだけど、予算オーバーなんだよね。もうお金は出せないから」


 背筋が凍った。

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