第5話 膝枕と陰キャ女子の願い
僕は世界の真実に気づいてしまった。
下から見る、メカクレ少女がすばらしい、と。
普段は拝めない瞳を間近から鑑賞できて、貴重まである。透明感ある青い瞳に、いくら課金しましょうか。
今月の予算を脳内で計算していたら。
彼女の瞳孔が僕を捉えた。
目が合ってしまった。至近距離で。
恥ずかしいので、視線をそらす。
すると、豊かな丘が目の前に屹立していた。丘ってより、山だな。
おっぱいを下から見上げているということは。
(膝枕⁉)
状況を理解したとたんに、飛び上がりかけ、すんでのところで思いとどまった。
(勢いに任せたら、下乳に顔面ダイブしていたな)
先日、神楽のパンツを事故で見てしまった。
それから、2週間。気まずい関係が続いていた。つい、数分前までまともに話せなかったわけで。
胸に触れようものなら、絶交されてもおかしくない。
ということで、膝枕されたままがベストだと判断した。
「あれ、さっきのギャルは?」
「……青葉さん、『今日のところは、こいつに免じて許してやる』と言って、すぐにいなくなったの」
「そうか」
「ごめんなさい」
なぜか、神楽が謝る。
「なにを謝っているんだ?」
「あたしのせいで巻き込んだから」
神楽は心底申し訳なさそうに、眉根を寄せる。
「拙膝で恐縮ですが、枕にでもお使いください。奴隷にしてくだされば、膝も喜ぶと思います」
(拙膝って、何だよ⁉ 新しい謙譲表現?)
ものすごい卑屈すぎる発言をしてらっしゃる。
拙膝って、ぜんぜん粗末でないし。むしろ、人をダメにする、極上の安眠枕なんだが。
後頭部に彼女の体温を感じつつ、そう思った。
名残惜しいが、内気な彼女が膝枕までした。いつまでも、好意に甘えていたくない。
それに、この状態が続いたら、僕は廃人になりかねない。
「でも、膝枕されるのも恥ずかしいし、人に見られたら困るんじゃ」
「ううん、ここ。校舎の端だし、人が来ないの」
「よく知ってるんだな?」
「……青葉さんたちに何度か呼び出されて」
神楽はしゅんとうなだれる。目が潤んでいた。
僕は迷ったすえに彼女と向き合うことにした。
事件を起こさないよう注意して、彼女の膝から離れる。
彼女の横に腰を下ろすと、勇気を出して僕は聞いてみた。
「青葉たちに、なにかされてるのか?」
「……あたし、陰キャだから」
ボソボソした、消え入りそうな声で、神楽は言う。
「
「和風っぽい、綺麗な名前だな」
「そうかな?」
褒めたつもりだったのに、悲しそうな顔をされる。
「でも、あたしの中身は陰キャ。完全に名前負けしてる。バカにされて当然だよね」
「……」
「人を眠くする声の持ち主で、自己肯定感も低いし」
彼女の言葉に、僕は黙って相づちを打つ。
彼女を受け止めようとした僕の気持ちが伝わったらしい。
神楽は少しだけ口角を上げる。
「中学のとき、友だちはひとりもいなくて、暗い子だと思われていたの」
「そうなんだ」
「ずっと、自分を変えたかった」
「自分が嫌いだったんだね」
僕が感じた、神楽の気持ちを伝え返す。
すると、神楽は青い瞳を大きく開いた。
「そうなの。自分を変えたくて……あたしは高校デビューを目指したの」
「あー、どんなことをしたんだ?」
「たとえば、美容院に行ったわ。野暮ったい自分から卒業したかったし」
高校デビューか。
僕も高校に入ったら、歌に変わるものを見つけたいと思っていたな。
高校デビューではないけど、新生活を機に自分を変えたくなるのはわかる。
「でも」
神楽の口から、ため息とともに、逆説の接続詞が吐き出された。
会話の流れから彼女の気持ちを想像する。オーディションのとき、彼女は疑いようのない美少女だった。
しかし、学校で見かける彼女は、つねに三つ編みである。
あのときの姿で学校にくれば、高校デビューできたかもしれないのに。
「神楽、なにがあったんだ?」
「あたし……豆腐メンタルだから」
またしても、卑屈な言葉が返ってきた。
「入学式の日、真新しい制服を着て、髪型も変えて家を出たの」
「うん」
「駅についたら、ものすごく人に見られて」
「そ、そうなんだ」
「『もしかして、あたし失敗した? 変な髪型なのかな?』そう思ったの。急に不安になってきて、電車に乗るのが怖くなった。慌てて、駅のトイレに駆け込んだ。三つ編みに戻してトイレから出たら、視線を感じなくて…………すごく安心したわ」
(美少女すぎるからだと思うけどな)
神楽は勘違いしているだけ。
そう思っていても、指摘に困る。
神楽が経験から感じたことが、彼女にとっての真実である。
現場にいなかった僕が自分の意見を述べても、反感を買うかもしれない。
そもそも、セクハラになりかねないし。
どう返すか困っていたら、神楽は話を続けた。
「やっぱり、あたしにイメチェンは無理なのかなって。高校デビューする勇気をなくしちゃって」
「う、うん」
「入学式の日は泣きたい気分だった。我慢して、ずっとうつむいていたら、クラスの人たちに暗い子認定されちゃって」
「……そりゃ悲しいな」
「でも、事実だし。第一印象が大事だから」
神楽は苦笑いを浮かべる。
「入学早々、失敗したから、あたしは高校でも陰キャなの。たった1ヵ月でスクールカーストの底辺確定かな」
現実は変えられない。
ボーイソプラノを引退するしかなかった僕には、痛いほどわかる。
同じ
「あたし、リアルの高校生活は諦めたけど、諦めたくないの」
「心のどこかで、現実を認めたくないってこと?」
「そうかも。青葉さんたちに何度かいじめられて、本当の自分は情けなくない。あたしでもやれるんだって証明したくなって」
神楽は前を向く。その横顔に力が感じられた。
「それで、オーディションを?」
神楽は首を縦に振る。これまでのゆったりした動きとは異なり、キビキビしていた。
僕もリアルで挫折して、バーチャルに可能性を見いだしたわけで。
まるで、彼女が僕自身のように思えてくる。
「VTuberには前から憧れていたから。ボッチは動画を見る時間も多いしね」
「それには納得だ」
企業系の人気VTuberは毎日配信することも多い。推しが何人もいたら1日が50時間ぐらいほしくなる。
VTuberの推し事をするには、ボッチは有利なのだ。
「VTuberになれればいいかなって漠然と憧れていたときに、マナブル興業のオーディションを知って」
「神楽も細野から?」
神楽はコクリとうなずいた。
理由はわからないけど、細野が仕組んで、僕と神楽にオーディションを受けさせた。
「『うちの遠い親戚が社長だから、安心していいよ』って、細野さんに言われて、思い切って受けることにしたんだ?」
「それだけで信じたの?」
「うん、細野さんの目、ウソついてるように見えなかったし」
すごい理由だ。
神楽、友だちいないって言ってたよな。なのに、クラスメイトの話を簡単に信じるとは。
まあ、僕も人のことを言えない。
というか、僕の方がおかしいかも。机の上にチラシがあっただけで、受けてみたんだから。今になって思えば、危険だったかもしれない。
「あたし、いじめられっ子だし、悪意があるかどうか気配でわかるの。それだけは自信あるから」
「すごいところに自信があるんだな」
言われてみれば、納得できる。子どもとか、そういうのに敏感だっていうし。
「だから、ダメ元でオーディションを受けてみたの」
「……」
「自分を変えられる可能性があるなら、少しでも賭けてみたくて」
神楽の横顔が凜々しく見える。
さっき同級生にいじめられていた子と同一人物とは思えなかった。
太陽の位置が変わる。5月の陽光が、彼女の銀髪を照らし出す。
僕は彼女の美しさに見とれそうになった。
覚醒前の三つ編み状態なのに、不覚である。
なにはともあれ、僕と神楽はオーディションに受かった。
VTuberデビューに向けて少しずつ準備をしている。
ちなみに、オーディションのあとに聞いた話なんだが。
面接に進んだのは僕と神楽だけだったらしい。
VTuber全盛期。企業がVTuberを募集して、2人しか面接に残らないことに不安はあるが、まあ同級生の細野を信じよう。
気づいたら昼休みも半分近くすぎていた。
「そうだ。パンあるんだった。よかったら、食べる?」
「ありがとう。でも、あたしもパンあるから」
食べ終わったころ、僕と彼女のスマホが同時に音を鳴らした。
細野からのLIMEだった。
『今日の放課後。事務所に来て。2Dモデルが完成したの』
胸が高鳴った。
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