第1章 リアルとバーチャル

第4話 授業

 ボーイソプラノ。ざっくり言うと、声変わり前の少年ボーイが、女性用の高い音域ソプラノで歌うこと。


 変声期前の少年は、女性とほぼ同じ高さの声が出る。

 とはいっても、本物の女性よりも透明感あふれる声を出せる。


 少年だからこそ可能な芸術美。

 それが、ボーイソプラノだ。



 しかし、音楽は永遠の芸術ではない。

 演奏が終わったら消えてしまうのと同じく、演奏者の時間の流れで変化していく。


 特に、少年においては悲劇をもたらす。

 声変わり。すなわち、声が低くなったら、ボーイソプラノはできなくなる。


 もっとも、数百年前のヨーロッパでは、去勢してまで歌い続ける歌い手もいたらしいが。

 現代では倫理的に許されず。

 が来たら、ボーイソプラノを引退するしかない。


 3歳から歌い始めた僕も、例外ではなかった。


 中3の春、ちょうど1年前。僕は、平均よりも遅い第二次成長期に襲われた。

 喉仏が飛び出し、声がガラガラになった。


 ボーイソプラノとしてオワコンである。

 僕は少年合唱団を辞めた。


 音楽をやめて、毎日に張り合いがなくなった。

 が、幸いにも高校受験があった。音楽漬けの毎日で勉強はしていない。必死に受験勉強しているうちに、歌えないフラストレーションは消えていた。


 高校受験が終わるまでは、なんの問題もなかった。

 春休み。時間を持て余した僕は、適当にVTuberの配信を流して時間を潰していた。楽しそうに歌うVTuberを見て、僕はうらやましくなった。


(また、歌いたいなぁ)


 そう思って、僕はVTuberになろうと思った。

 オーディションを受けて、2週間。まだ実感は湧かないが。


「おい、秦詩音。貴様、いい度胸してるな。覚悟しておけ」


 突然、名前を呼ばれて、我に返った。


 そういえば、音楽の授業中だった。

 考えごとに夢中になっていたのがバレたらしい。


「秦、せっかくだ。クラスメイトのお手本になってみせろ」

「……」

「おまえ、歌は得意だろ?」


 美人の音楽教師が冷たい目で僕を見る。20代後半とおぼしき彼女は黒髪ロングで、胸が大きい。見た目は相当の美女なのだが、口が悪く頑固だ。芸術家に多いタイプである。


「なにしてる。早く歌え」

「……」

「貴様、歌を冒涜した罪で、校庭100周の刑を言い渡す」


 無茶苦茶である。


「すいません、すぐに歌います」


 歌おうとするが、近くの女子生徒のひそひそ声が聞こえてきた。


「中学のとき、彼、女の子の曲を歌ってたんでしょ?」

「うん、うち同中だからね。○○坂49とかマジやばかった」

「でも、男子高校生が女子の歌とかチョーキモいんですけど」

「せやな。ウケる」


 文句を言いたいが、女教師に睨まれそうだ。


 仕方なく歌い始める。


 課題曲は、30年ほど前に流行った歌謡曲だ。

 最近では、声のかすれが消えてきた。1年ほど喉を休ませたおかげで、安定しているぐらいだ。男声としてなら普通に歌える。


 僕が歌うにつれ、教室の雰囲気が変わっていく。

 音楽教師も口元を緩ませていた。


 もうひとり、熱い視線を感じた。

 斜め前に座るは僕の方を振り返り、固まっていた。


 歌い終わる。


 座ってからも、彼女、神楽かぐら美心みこは、僕をじっと見ていた。

 前髪で目が隠れていても、視線を感じるって……。


 今や素人になった僕の歌声を熱心に聴いてくれて、うれしい。

 会釈したら、神楽と目が合った。

 すると。


「はうぅっ!」


 神楽はタコのように真っ赤になり、机に突っ伏した。

 まだ、例の件を気にしているのかな。ゴールデンウィークを挟んで、2週間だというのに。まあ、パンツをモロに拝んでしまったし、仕方がないか。


 絶景を思い出していたら。


「おい、神楽。貴様、授業中だぞ」

「ひゃ、ひゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁいいいいいいいいいいっっ!」


 神楽はビクンビクン震えながら、飛び上がった。


(ごめん、僕のせいだよな)


「良い度胸してやがる。ひとり《ソロ》で歌ってみろ」


 理不尽な命令が教師から出されてしまった。

 ひどい。ひどすぎる。でも、かばったら、僕までとばっちりを食う。


(悪い、耐えてくれ)


 まあ、神楽なら大丈夫か。

 VTuberをやる子なんだ。人前で歌うぐらい大丈夫なはず。


 結論から言って、先入観だった。

 神楽はうつむいて、全身を小刻みに震わせている。明らかに緊張していた。


(マジで?)


 僕が余計なことをしなければ。

 なにかフォローできないか。


 そう思った矢先、神楽の前にいた女子が動いた。

 細野ほその日和ひより。オーディションで面接官をした同級生だ。桃色の髪と爆乳が人目を惹く、お姉さん風同級生である。


 細野は振り返ると、神楽の手を握った。「大丈夫」と言っているように見えた。


 すると、神楽の震えが収まった。

 豊かな胸に手を添え、呼吸を整え。

 神楽は歌声を発した。


 声量は小さく、今にも消え入りそう。

 しかし、上手かった。素人以上、プロ未満といった感じか。


 技術は拙くても、独特な声に魅力を感じる。

 心地よくて、眠たくなる。バラードなので、曲にも合う声質だ。

 まさに、天然ASMRだな


 しかし、半数以上の生徒が眠っていた。


(リラックス効果抜群だし、眠くなるのも当然だ)


 納得していたのに。


「おい、貴様ら。居眠りをするとは、たるんでるぞ!」


 音楽教師は通用しなかった。せっかくの美人が台なしなほど、青筋を立てていた。


「全員、命がないと思え‼」


 その後の授業は悲惨だった。居眠りした生徒たちはひとりずつ歌わされる羽目に。しかも、歌詞を間違えるだけで、指摘が飛んでくる。泣き出した女子もいた。あとで生徒の親からクレームが来ないか心配になる。



 地獄だった音楽の授業が終わり、昼休みになる。

 音楽室を出たあと、僕は売店でパンを買う。購買の塩パンは美味い。


 5月の穏やかな日。外でボッチ飯をいただくとしよう。

 売店から玄関に向かう。人通りの少ない廊下を通りがかる。

 階段の方から、女子の話し声が聞こえた。


「あんたのせいでヒドい目に遭わされたんだけど」

「ひゃ、ひゃう……」


 うわっ、いじめか。女の子の世界って怖いな。


 と思っている場合じゃなかった。

 知り合いの声だったから。

 

 足音に注意して、近づく。

 階段の裏に、彼女たちはいた。


「あーし、睡眠魔法は使うなって言ったよね?」

「ひゃ、ひゃい」

「なのに、なんでクラスの半数を眠らせてるのさ。みんな、睡眠耐性のアクセサリーも、スキルも持ってねえっての」


 さっきの件か。たしかに、神楽の声は眠くなる。

 ゲームに例えるのは上手いが、言い方はキツい。遊びって感じでなく、ガチのクレームっぽいし。


「あーし、睡眠耐性は持ってないんだよね。通常攻撃が睡眠魔法な陰キャはロックじゃねえ。ずばり、嫌いじゃん」


 さすがに言葉がすぎる。陰キャうんぬんは関係ない。


「ってか、寝た方が悪いんじゃね?」


 僕は割って入った。

 すると、神楽を責めていた女子が僕を睨む。


 見覚えがある顔だった。たぶん、同じクラスの人だ。名前はなんだっけ?

 僕、ボッチだし。クラスメイトの名前を覚えるなんて無理。


「おま、元男の娘の歌手だって、みんな噂してたぜ」


 いつ僕は男の娘になったんだろう。正確には元ショタなんだけど。

 訂正したいが、相手はギャル。苦手だ。

 名前を思い出した。青葉あおばだ。陽キャグループの人間である。


(怖いんですけど)


 僕の心は繊細なの。ギャルとは住む世界が違うの。まだ、音楽の厳しい先生の方がマシ。


 ここは神楽をつれて、戦略的撤退をすべきだ。

 神楽の手を取り、回れ右をしかけるが――。


「!!!!!!$%&*@@@@@」


 突然、僕が触ったものだから、神楽は奇声を発してしまった。


(セクハラと思われた?)


 慌てて釈明しようとしたものの。


 つるっと。

 滑ってしまった。


 頭から床に激突。痛くて、目を閉じたまま、しばらく悶えていたのだが。


 ふと、頭が宙に浮いて――。

 後頭部にポカポカする温もりを感じて。


(なにごと⁉)


 目を開くと、絶景があった。

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