「おい圭!!」

 大学の図書館へ入ろうとすると後ろから声がして振り返る。

 大塚だった。彼は同じ学科の大学で知り合った友人だ。

「また図書館か。勉強熱心だな」

「そういうお前は単位大丈夫なのか? 今日もバイトか?」

「仕方ないだろ。金ないんだから」

「でも、留年した大変だぞ。ただでさえ、サボりがちだし、時々授業出ても寝ているし」

「大丈夫。何とかなるって」

「じゃあ、俺のノート見せなくてもいいんだな?」

「そ、それは困る!!」

 彼の周りの環境に惑わされず、マイぺースなところはどこか井口に似ていた。

 大学に入学してから一カ月くらいは誰とも話さない日々が続いていた。そんな俺に声をかけてくれたのが大塚だった。

「でも、お前が友達で良かったよ」

 ノートを渡しながら彼がそう言うと、俺もだよと心の中で呟いた。

 彼のお陰で彼と元々仲が良かった同じ学科の三人の学生とも仲良くなった。それからの俺は、大学生活を楽しめるようになった。

「あのさ、最初、俺に声をかけた時ってどういう印象だった?」

 入学したての頃の日々の顔は、どういう顔をしていたんだろうと覗きたくなるくらい暗い顔をしていたんだろうと思う。ふと訊いてみたくなった。

「どうって、ネクラだよな」

「ネクラ!?」

「冗談だよ。ただ、入学当初から教室行くたびにいつもいたし、同じ学科に友達いなさそうだったから、コイツならちゃんと授業でいそうだし、ノート貸してくれと言いやすいと思った」

「何だそれ? 俺を利用していたのか?」

「そうなるな」

「じゃあ、俺が授業を時々しか出ない不真面目な生徒だったらどうしたんだよ」

「それはない!!」

「どうしてそういうこと言えるんだよ」

「勘!!」

 やはり彼は井口に似ている。

 今頃井口は何をしているのだろうか。井口には半年くらいずっと会っていない。最近では特別会いたいとも思わなくなっていた。

 大塚と一緒にカフェテリアに行くと仲間の三人が雑談をしていた。その中に俺たちも加わる。

「そうそう。俺、通信高校だったんだ」

 仲間の一人が高校の話題をしている。

 通信高校。そういえば、篠原ともあの日以来連絡をしていない。彼もどうしているのか。少し気になったが、こちらから連絡する気にはなれなかった。

「お、男ばかり。むさ苦しい集団だね。相変わらず」

 と、そんな俺たちに話しかけてきたのは奈央だった。

「何だよ。俺は学科の奴らと楽しんでいるんだから、悪態をつくの止めてほしいなあ」

 そう煙たそうに言ったのは大塚。

「何よ。せっかく次の曲の楽譜持ってきたのに」

 彼女は楽譜を一瞬見せてすぐに引っ込める。

「ああ、そうだった。ごめん。ありがとう」

「調子よすぎじゃない? サークルに顏見せないのが悪いんだから」

 大塚は彼女と同じ軽音サークルに入っていて、二人はバンドを組んでいる。彼女がボーカルで彼がドラムだ。

「だから謝っているじゃないか。しつこいなあ」

「しつこいって、表現間違っていない?」

 奈央は乱暴に楽譜に渡す。彼いわく、彼女は天才的に歌が上手いとのことだった。そしてルックスもいい。

「ホントごめんな。ありがとう」

「この曲なんだけど、キー一つ上げてもいい?」

「おお、いいよ。いいよ。奈央の歌いたいようにしてくれ」

「そう? まあ、細かいことはサークルで演奏しながら決めよう」

「はい」

「ちゃんと練習来るのよ」

「はい」

「毎日ね」

「ええ、、、はい」

 それだから、彼女には抜けてもらっては困るらしくバンドのことになると頭が上がらずいつもヘコヘコしている。俺たちには見せない彼の別の一面である。

「あ、また中川君にノート借りているの?」

 そう彼女に言われると大塚は手に持っていた俺のノートを慌てて隠す。

「授業も出ない。サークルもサボる。一体、何しているんだか」

「うるせえなあ」

 弱々しく大塚が反抗する。

「中川君もさ、貸さなくていいよ」

「いいよ。減るもんじゃないし。すぐに返してくれるし」

「優しいなあ。中川君は」

 彼女が目を細める。少しそのしぐさに動揺する。

「だからうるさいって」

「うるさいと言っている、あんたがうるさい黙ってろ」

 彼女はぼやいている大塚をチラッと睨んでまた俺の方を向く。

「中川君がいてくれて良かった。こいつが単位落としたとか留年になったりしたら余計にサークル来ないから。これからも不本意だと思うけどよろしくね」

 そう言って、俺の手を優しく包み込むように握った。それにまた動揺を隠せず思わず彼女から目をそらした。

「止めろよ。困っているだろ。中川は良い奴なの」

「だから、お前は黙れ!!」

 横やりを入れる大塚に奈央は少し声を荒げる。それに完全に大塚は縮こまって話さなくなった。

「ねえ。中川君は彼女いたことあるの?」

「え?」

 握っていた手を離しながら聞かれたその質問を投げかけられた瞬間、ふと莉英の顔が思い浮かんだ。

 シェア彼女。

 そんなことを高校時代にしたことは誰にも言っていないしこれからも言わないだろう。あれは世間一般的に恋人がいたことになるのだろうか。

「勿論いたよね。中川君優しいし」

 奈央は俺が答える前にそうすぐに付け加えた。

「どうしてそんなこと聞くの?」

「何となく。ていうか、彼女いたりして。それだったら今の質問失礼だったね」

「いや、いないいない。いないよ。大丈夫」

「そんな慌てて否定しなくても」

 慌てて否定したつもりはなかったが、多少の動揺していたのが声に移ったのか早口になったかもしれない。奈央に笑られた。

「じゃあさ、今度、遊ばない?」

「え?」

 以外な展開に驚く。

「そんな驚かなくてもいいでしょ? ああ、もちろんこいつも一緒にね」

 と言って、大塚の方を指さす。

「勝手に決めんなよ。バイトが、、、」

 言いかけて彼女が睨むと、また大塚は黙った。

「ねえ。いいでしょ?」

 莉英と奈央。名前も似ているからか、どこか気になる存在になっていた。現に今、俺と二人きりではないのが少し落胆していた。

「うん。いいよ」

 ホントに? と喜ぶ彼女に彼女が今何を考えているのか気になった。

 人が何を考えているのか気になる。それは莉英以来の久しぶりの感情だった。また、あの時のような感じになるのだろうか。

 そう。初めてではない。初めてではないことは俺の中で大きかった。そう思えるだけでもあの妙なシェアという経験が生かされているのではないかもしれない。

恋愛経験ない=年齢ではない。

自分が少し大きくなった気持になる。

レベルの高い人間になれた気がする。

 こうして改めて自分の周りを見ると、高校最後に感じていた不安や絶望感がばかばかしく思うくらいに新たな世界が始まっていた。

 しかし、物語には初めと終わりがある。そして終わるのが怖い。

 こうして流れ、流れた先には何があるのだろうか。

 経験がある分、その怖さを知ってしまって新しい世界に飛び込むことにさらに臆病になっている自分がいた。

 

 

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