㉒
思えば、俺から井口をキャッチボールへ誘うことはなかった。
誘うのはいつも彼からで、自然とそれを受け入れて拒否することもなく自然に集まり当たり前のようにやっていた。
随分変わったな。
彼をキャッチボールに誘ってOKを貰ってから家で一年以上使っていなかった埃のかぶったグローブの手入れをしながらため息が出た。
キャッチボールはグダグダだった。
投げるコントロールもボールの強さも以前とは比べものにならないほど低下して暴投をウ繰り返していた。キャッチングも、正確に投げられたボールをポロポロ度々落としていた。
「大丈夫か? おい」
「ごめん。全然だめだ」
井口と言えば、変わらないように思えた。投げる球も勢いがあった。どうしてここまで俺だけ変わってしまったのか。
「今日はありがとう」
「何だよ。それ。俺は待っていたぞ」
ずっとなと小さく井口が言う。
「ごめん」
「嬉しいよ。でも、何かお前変わったな」
「変わったって、キャッチボールが下手になったってこと? 」
「いや、そうじゃなくて言葉では言えないけど、まあいいや。内藤莉英とはどうなんだ?」
「彼女とは、、、、」
聞かれて言葉に詰まる。気が付けば莉英とはしっかり何も話さずこれまで来ていた。
「別れたか」
「うん」
別れたことにしておいた。
「そうか。残念だったな」
井口にまで取り繕うような嘘をつくようになった。
「で、どうして今日はキャッチボールする気になったんだ?」
「それは、気分かな」
また嘘。違う。取り戻すためだ。何もかも失いかけているのを少なくとも親友くらいは元通りにならないかと思った。
「何か違うな」
「え?」
「返ってくるボールがシュート回転している」
「それは繰り返すけど、俺が下手になったと言いたいのか?」
握り方がおかしいくなったのかと思い、思わずボールを握っていた手を見つめる。
「それもあるけど、まっすぐじゃないんだよ。向かってこない」
ギクッとした。
「いいんだけどな。久しぶりにお前と一緒に汗をかける」
最近、暇で読んだ小説で親友同士が同じ相手を好きなって奪い合う物語を読んだ。主人公はその戦いに勝利し意中の相手と付き合えることになるが、付き合った相手がすぐに浮気をする最低な奴だった。恋人とはすぐに別れて、最後はその親友の大切さがわかり親友と仲直りするというものだった。
それを読んだ影響なのは明らかだった。
俺もそんな未来になるのではないかと思った。未来にしたいと思った。
でも、現実はわかった時にはもう遅かった。もう彼とは違う気がした。
夜のキャッチボールがこんなにも寂しいと思ったのはもちろん初めてだった。
「止めるか」
突然井口がキャッチボールを止めて俺の方へ歩いてくる。
「え? どうして。まだ少ししかしていないぞ」
彼は何も答えずに笑った。
「気にするなよ」
そう言って、板ガムをそっと差し出した。
「楽しかったって。また機会があればやろうな」
機会があれば。それは機会がないかもしれないと悟っているようにも感じさせた。
「ああ」
何か大事なものを失った気がした。それを取り戻すことはできなかった。
「そうだ。進路は決まったのか?」
「うん。前言っていた大学に行く」
「良かったじゃんか。おめでとう」
彼は心から喜んでくれている様子だった。莉英と一緒だ。
どうしてこんないい奴を邪魔だとか、嫉妬だとかしたのだろうか。莉英と会わなければこんなことにはならなかったのだろうか。
「いいなあ。大学生活」
これも莉英と一緒のことを言う。
全然良くない。言いたくなったが、笑って黙っていることにした。
冬の夜は長い。
その夜道を彼と一緒に歩きながら、今の俺は何もない気がして、この夜がこれから永遠に続くのではないかと、これから歩いていくだろう道がどんな道か全く見えてこなくてこの先を歩みたいとは思わなくなっていた。
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