⑭
小学5年生の時にいじめられそうになったことがあった。
どの学校にもあると思うが、学校で大便をすると恥ずかしいという変な風習があった。その日は朝から腹痛でどうしよもない状態だった。何とか夕方まで持ちこたえたが、帰りのホームルームの前限界を超えて派手に漏らしてしまった。
異臭と異変にいち早く気づいたのは井口だった。井口は何も聞かずに、先生にはうまく行っておくから、このままさっさと家に帰れと言ってくれた。俺はクラスメイトの誰にも気づかれることもなく、家に帰り、次の日も変わらず何事もなかったかのように登校することができた。井口もそれ以降その日のことはからかうどころか、一言も聞いてこなかった。
学校の帰り道、最寄り駅の改札で井口と会った。彼は俺のことを待ち伏せしていたらしい。
「おう。中川」
「どうしたんだよ?」
「最近、お前、キャッチボールしてくれてないだろ?」
「あ、ああ」
「今日ちょっと時間あるか?」
「ま、まあ」
俺たちは当てもなく帰り道を歩いた。
「今日は彼女と会わないのか?」
気まづくないはずはなかった。井口とは二か月以上会っていなかった。
「今日はそうだな」
こうして井口と一緒に歩いていると、妙に自分がダサい感じがする。やはりこんな時も莉英と一緒に歩くことを考えている。莉英に会いたい。
「何だ。毎日会っていないのか」
何が聞きたいのだろうか。彼のことを煙たく思っていることを感じているのだろうか。
「いや、毎日は会っているよ。同じクラスメイトだし」
そっか。と言って彼は納得した様子だった。
「お前はどうなんだ? 莉英と会っているのか?」
「俺? 俺は会っていないな。メールもさっぱり」
「本当か?」
「何だよその顔」
一体どういう顔をして見つめていたのだろう。思わず彼から目を背ける。
「俺、シェア辞めようかな」
「え?」
「だから何だよその顔」
彼が変な顔をする。俺はまた向けていた顏を慌てて反らす。
「いや、楽しくないのかよ? それにお前が言い出したんだし」
「うーん。確かに彼女がいる気分は楽しいよ。彼女もいい奴だし。でも」
「でも?」
「でも、中川の方がお似合いじゃないかなと思ってさ」
「お似合い?」
「そう。あの子と俺だと彼女って気がしないんだよな」
お似合い。俺と莉英がお似合いなのか。井口、お前はそれで彼女との関係を切っていいのか。
「お前はそれでいいのか?」
「それでって?」
「そんな莉英といることが楽しいのにそれでいいのか?」
矛盾しているのはわかっている。ライバルは蹴落とさないといけない。いなくなることは願ってもないこと。ただ、俺は井口のことが嫌いになれない。
「良いも何も、友達が本気っぽいならそれを応援してあげる意味でも引かないとダメだろ?」
「本気? 俺はそんな」
「あれ? 内藤莉英のこと本気じゃないのか?」
本気と言われると素直にそうだと言えない。
「だってさ、俺の誘いを断って彼女会っていたりしていたしさ」
「わかっていたのか」
「それはわかるよ」
彼は何が言いたいのだろうか。
「俺がラグビー部を辞めた理由言っていなかったよな」
「ああ」
「俺、部活でいじめられたんだよ」
「え?」
「俺ってさ、運動神経いいじゃん? だからさ、高校からラグビー始めたけど一年でレギュラー取れたんだ。そしたらさ、先輩とかから嫌がらせとか受けるようになってさ」
冗談っぽく軽く語り始めたが、笑えるはずもなかった。
知らなかった。高校に入ってから彼と会っていても全く変わらなかったから気づかなかった。言葉が出なかった。
「そんなつまらない奴らといたくないと思って部活は辞めたよ。別に、ラグビーも凄い好きってわけではなかったし」
「そうだったのか。ごめん。気づけなくて」
「何で謝るんだよ」
井口には借りがあるはずだった。でも、彼が苦しい時に助けるどころか気づくことさえできなかった。
「だからさ、彼女のこともそうしようって思ったんだ。興味があって始めたけど」
「いや、俺はその」
井口をいなければいいと思ったことを後悔した。
「いいよ。無理しなくて。俺、飽き性だからさ」
これでいいのか。何か彼に言わなければならないことがあるのではないか。
「その代わり、時々でいいからキャッチボールしてくれよな」
「それは、おう。当たり前だろ」
そう言いながら、俺は彼と会うことができるのだろうか。次井口とキャッチボールできるイメージができなかった。
それ以降、俺はキャッチボールどころか井口と会うことはなくなっていった。
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