場の空気を読む。

 集団行動。

 人をシラケさせない。

 個性が強調される時代になったとは言え、結局は外へ一歩踏み出せばどんな場所にいても要求させられるスキルだと思う。そしてそれができないやつは結局は、嫌われて、ハブかれて、孤独になる。中には孤高に生きるみたいなことを決めて生きる人間はいて、そういう人は別だが、俺にはそんな生き方は到底できず、やりたくもなく、しっかりと最低限度のそのスキルを身に着けて生活に支障のないようにはできているつもりだ。

「おう!」

 学校の昼休み、いつもの光景が広がる。クラスメイトの一人が同じくクラスメイトの篠原の肩に殴る。そのパンチはふざけてこずくというよりは、少し勢いがあって、かと言って、喧嘩で相手を倒そうとするほどの威力はないくらいのものだった。

 そのパンチを受けて篠原が顔を少し歪ませて殴られた方を抑えて笑みを浮かべる。

 彼を殴ったクラスメイトが何かどうでもいい話をしていると三人クラスメイトが二人に近づき、二人も篠原の肩を殴る。それに対し、篠原は今度は苦痛の表情で二人を悲壮感一杯の顔で見つめる。

「何だよ!」

 殴ったクラスメイトの一人が喧嘩腰ではないが、しかし相手を威嚇し怯ませるくらいの絶妙に声を荒げている。それに篠原は、怯んだのか視線を彼らから落としてまた引きつるような笑顔を見せていた。

 それから三人のクラスメイトと篠原は昨日のテストの点数や教師の悪口やそれに対する篠原の言動やらを突っ込みを入れるなど本当にどうでもいい話をしていた。俺は絡んでいる三人とはそれなりに仲良くしているが、ああいうことには興味がなく、無視してカバンから弁当を取り出して昼ご飯でも食べようと準備に入っていた。

 そうだ。思えば、この日のこの出来事から俺は内藤莉英という女子生徒を意識し始めた。

「おい! 中川!」

 そのクラスメイトの一人が俺に手招きをしている。いやな予感がした。行きたくはなかったが、そこで無視したら面倒なことなりそうだったのでゆっくりと席を立つ。

「中川。篠原が奢ってくれるってさ」

「え? そんなこと言ってないよ」

 クラスメイトが言うと、篠原が困惑の表情を浮かべる。

「俺たちには奢るって言ったじゃねえかよ。それで中川には奢れないのかよ」

「いや、それは何て言うか」

「お前、ケチだなあ」

 こういう話になるまでの会話は聞いていなかったが、どうせ、三人の中の一人が篠原に友達なんだから時々はジュースくらい奢れよなんていうことをたきつけたんだろう。

「わかったよ」

 しぶしぶ篠原はカバンから財布を取り出す。

「だよな。篠原」

「おい、てか、お前、金だけ渡す気? 奢るってことはお前が買ってくるんだろ? 普通」

 ちょっとやりすぎだと思った。これではいじめだ。だが、それに気づいてもそれを指摘することはできない。もし指摘なんかして、決まづい雰囲気になって、それ以降の高校生活がギクシャクなるリスクを負いたくない。

「わかった」

 篠原はうつむいていたから顔こそ確認できなかったが、声は震え、泣いているのではないかと思った。心は揺らいだが観ているしかできない。

「ねえ」

 篠原が立ち上がろうとした時だった。教室の教壇から集まっているこちらへ内藤莉英が歩み寄ってきた。

「それっていじめじゃない?」

 近づくなり、彼女は俺の言いたかったことを簡単に言い放つ。その言葉に、周りいたクラスメイトも反応しこちら視線を向けている。

「はあ? 違うし。俺らは友達。篠原だって良いって言っているんだよ」

 一人が焦ったように真顔で彼女に言い返す。

「ったく。何言っているんだよ。俺らが悪者みたいだし。なあ。篠原」

 彼らなりに必死だ。別に、篠原は目立たなくて大人しい存在だが、みんなから嫌われてもいないクラスメイトだ。そんな彼をいじめているなどというレッテルを貼られたら、彼らの評価が下がってしまうのを恐れているのは見え見えだ。

「あ、うん」

 篠原も不器用な奴で、嫌とも平気そうな演技もできずに、曖昧に返事を返すことしかしなかった。

「いい加減にしなよ。そんなところを周りから観ていて気分が悪いんだよね」

 全くその通りだった。正論だ。ただ、そいういうことを言える人間はおそらく、クラスメイトいや、日本中の高校生を探しても内藤莉英と数えるくらいしかいないだろう。

「おいおいおい!!」

 完全に焦り出していた。仲間の一人が声を張り上げていたが、目は動揺してあちらこちらに向いていた。

「もう今日はいいだろ。まずいだろ。この雰囲気」

 一人が周りを見渡し囁く。

「わかったよ。でもはっきりさせておく。篠原! 俺らはいじめてないよな?」

 篠原は答えない。

「そんな言い方したら、篠原君、、、、」

「お前、黙ってろよ! おい、篠原どうなんだよ!」

 もはや喧嘩腰だった。彼女が言いかけたのを無理矢理制すると篠原を睨みつける。

「あ、あの、内藤さん。僕は大丈夫だから」

 彼にとってそれが今できる一杯一杯のセリフだったのだろう。

「良かった良かった。じゃあまたな。篠原」

 一人がそう言うと、俺を除く篠原の周りにいた三人は彼の元から去っていった。

 俯いている篠原を見つめ、大事にならなくて良かったと安堵して顔を上げると、こちらを軽蔑の眼差しで睨みつけている内藤莉英の姿が目に入った。彼女からどうしてそんな視線を送られているのか理解できなかった。

 後ろから篠原を絡んでいたクラスメイトが俺の名前を呼ぶ声がする。

 返事をして彼女から背を向けた。歩きながら気のせいかまだその背中に視線が送られている気がしたが、それを確認するために振り返ることはできなかった。

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