第33話 佐枝子
本来会うはずだった待ち人は、残念ながら本人がくることができず使者だけだった。
それでも彼なりに精一杯の人物を送ってくれたから良しとしよう。
手が離せないんだろうな……。彼の激務ぶりを想像し、頑張れと心の中で敬礼する。
「待たせた。実際に会うのは初めてだな。私がイル・モーロ・スフォルツァだ」
「その節はお世話になりました。主の不敬、お許しください。我が主、ロレンツィオ・リグリアから書欄を預かっております」
使者が平伏し、くるくると巻いた羊皮紙を俺に向け掲げた。
蝋の封を切り、中を改める。
『ちょっと、無理。すまん。例のは何とかなりそう。ロレンツィオ』
死んだ目でこれを書いたんだろうなあ……。
一応本人であることを示す、鶏と卵の紋章印が押されている。
協力すると言ってくれたのだけど、無茶を言い過ぎたかもしれん。
一国の王である俺に対し、辺境伯の次男である彼がこのような文面を寄越すなど不敬の極みであるが、俺と彼にとっては普通のことだ。
どちらかと言うと、俺が無理矢理頼んだ立場だし、彼がちゃんと任務をこなそうとしてくれているからこその返答である。
あ、眉間に思いっきり皺を寄せたせいか、使者が死んだような目になってきているな。
「ロレンツィオには了解したと伝えてくれ。もう一つ、ヴィスコンティ領が帝国領になったことで、苦労をかけると彼とリグリア辺境伯に伝言を頼む。俺からの書状も持っていってくれ」
「ありがたき幸せにございます」
安堵した様子で使者が深々と頭を下げた。
リグリア領はトイトブルク森の北にあるミレニア王国最北端の領土である。
右隣りにはヴィスコンティ領があって、そこが帝国領になった今、リグリア領が北に突き出た形になっていた。
周囲が帝国領で、頼りになる武闘派のヴィスコンティもおらず、中々にヘビーな状況ではある。
政治的にはプレッシャーの激しいリグリア領ではあるが、経済的には順調そのものなんだ。
帝国との玄関口として、お互いに交易をしているからな。王の商隊も、ちゃんと噛ませてもらっている。
使者を立たせ、彼に書状を手渡す。
「ロレンツィオが領地を手伝っていなければ、彼を俺の相談役に是非とも招聘したいところなんだが。優秀な者はどこでも必要とされる。俺は会えなかったことを全く気にしていないから、次もしもこのような事態になったとしても、安心して使者だけでも来てくれ」
「そのお言葉、我が主がどれほどお喜びになられることか」
「君もだよ。ドナテロ。できることなら君も招きたい。優秀な文官が不足していてね」
「勿体なきお言葉でございます! 私は未だ我が主の右腕としても実力不足の身であります」
何を言ってんだか。
使者の青年ドナテロは、まだ二十を少し超えたくらいなのだけど、俺とロレンツィオの無茶ぶりを滞りなくこなしてくれていた。
そうなのだ。俺が亡命先というか、逃げ先として準備していた地こそ、リグリア領だった。
ロレンツィオにも協力してもらって下準備をしていたのだが……ミレニア王国を治めることになったので、スローライフ予定地は塩漬けになっている。
ドナテロは調整力とスケジュール管理に優れた職人と言う感じなのだけど、ロレンツィオは切れるタイプの為政者だ。
彼らがいてくれたら、判断の必要な政務も任せることができるんだよなあ。
もう少し、俺が頑張るしかない。
幸い、残された文官たちは優秀だ。数が少ないので、激務になっちゃっているけど、ね。
人員補充も徐々にではあるが進めている。
さてと、それじゃあま、政務に戻るとしますか。
残された時間は限られている。その時までにできうる限りの準備をしなきゃ。
◇◇◇
「
「その名前で呼ぶなし! ねね、あなたの名前も教えてよ」
「俺はイルだってば。あ、今はイルマだったか」
「もう。まあいいわ」
ウラドこと前世の名前が
以前彼女と会ってから、はや二ヶ月が過ぎようとする頃、ひょっこりと彼女がやってきてさ。
政務の調整をつけた後、カボチャの馬車に乗って、ウラド領までやってきた。
頭の無い馬が信じられないほど早くて、たった一日でウラド領までついたのだ。
そこまではいい。
オークたちが集まっていて、対話の道が開かれていたのも「よくやった」と言いたい。
だけど……。
じとーっと佐枝子ことウラドを見やると、彼女はどこ吹く風と言った様子で世間話を続ける。
現実逃避をしたい気持ちは分からんでもないが……。
「それはそうと、結局あなた、男の娘を否定していたけど、そっちの趣味じゃない」
「そのまま外に出たら、王だし、まずいだろ。それでだよ」
お外に出る時は、いつもながらの女装である。
趣味じゃなくて、必要に駆られてなのだ。その辺、勘違いしないで欲しい。
「ふうん。そうなのお。イルマちゃあん、かわいいー」
「何だよ。その目は!」
「もう、怒らない怒らないって」
「むぎゅーとするな!」
「嬉しいくせにー」
柔らかい体の感触より、ひんやりとした彼女の体温にゾクリとする。
バンパイアって体温を奪うのかってくらい、夏場はいいけどこの寒い季節に野外で抱き着かれるときつい。
「じゃ、馬車を出してくれ」
「何、帰ろうとしているのよお。オークよ、オーク」
カボチャの馬車の扉を開けようとしたところで、ぴーぴーうるさいウラドに腕を掴まれる。
もう、仕方ないなあ。
傍らにいる桔梗に目を向け、一言。
「桔梗、何か言ってやれ」
「ウラド様。イルマ様がお帰りになりたいと」
そうだそうだ。俺はもう帰るのだ。
「う、桔梗ちゃんを使うなんて卑怯だわ。わたし、この子のすっとした目に弱いの」
「そうだろう。じゃ、馬車を出してくれ」
「うん。って。まだよ。まだ。オークよ、オーク」
「っち。しゃあねえな。かなり気が進まないのだが。いや、佐枝子は転生者に会いたがっていただろ?」
「佐枝子って言うなー! もう、ほら行くわよ」
堪忍袋の緒が切れたらしいウラドが俺の首根っこを掴み、ひょいっと姫抱きする。
「一ついいか、ウラド」
「何よ。お姫様抱っこはやめろっていうの?」
「いや、それは確かにそうだけど。一つ聞きたい」
「うん」
「交渉の途中で奴らのことに気が付かなかったのか?」
「全く……オークは五軍に別れていて、それぞれに軍団長がいるの。その上に立つのがアレ。わたしが交渉したのはあいつ」
「……知ってたら、俺を呼んでなかったよな?」
「……」
そこで無言をやめろ。
歩く速度が速くなっているし、こいつ、絶対に俺を呼ぶことになっていてラッキーと思っている。
「あとはよろしく!」
「仕方ねえ……」
オークたちとの距離、だいたい50メートルといったところで彼女がようやく俺を地面に降ろしてくれた。
向かう先にはオークたちの群れと、大きな旗が二つ。
その旗には日本語で「夜露死苦」「エルフの嫁」と書かれていた……。
オークの首領が転生者かその息子なのかは分からないけど、碌な者じゃないだろうな。
もう、頭痛が痛い状態だよ。
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