第7話 喰えないネズミ頭
王都ミレニアは人口30万にも及ぶこの世界屈指の大都市だ。
ミレニアから30キロくらい南西に進んだところは入り江になっており、ここに王国第二の都市ピケがある。
ピケとミレニアは太い街道で繋がっており、人の往来も盛んだ。
広大なミレニアは遥かな古代に作られた城壁が残っていて、その城壁を元に新しく城壁を作り拡大してきた。
こうした背景から街全体が堅牢な城壁に囲まれている。このため、王都は別名城塞都市と呼ばれていた。
辺境に追放されたとしても、ミレニアとピケにある豊富な物資を活かさない手はない。なので、俺はその時に備えてミレニアとピケに隠れ家――セーフハウスを準備していた。
セーフハウスはミレニアに三軒。ピケに二軒構えている。政務とは別のところで副業してためた小銭を分散しセーフハウスに溜め込んでいるんだ。
なので、生活をしていく分には問題ないし、セーフハウスで副業をそのまま続けることができるように準備済み……いや、実際にもう稼働している。
ここで副業のため、密かに人と会ったりしていたからな。
「変わってないな」
ミレニアの北東部の外れ、蔦に覆われた洋館の前で立ち止まる。
洋館と言えば聞こえはいいけど、庭の手入れがされておらず雑草が生えっぱなしになっていた。
館も広いものではなく、貴族のお屋敷に比べたらほんのささやかなものだ。
ギギギギと鉄柵で作られた門扉を横にひき、中に入る。
苔むした洋館まで続く石畳を一歩踏みしめたところで、桔梗がすっと行く手を塞ぐように姿を現した。
「イル様。人の気配がいたします」
「誰だろう。気配で分かるか?」
「お待ちを」
桔梗は両膝と右手を地面につけ、目を閉じる。
ロシアンブルーの猫耳をピクリさせた彼女は、左の指先を血色の悪い唇につけた。
「斬……?」
「いや、相手を確認してからだ。こんなボロ屋敷に泥棒はこないだろ」
桔梗の隣に降り立った九曜がぶっそうなことを口にする。
彼に泥棒がとは言ったものの、ごろつきどものたまり場になっている可能性はある。
ここは目立たないし、それなりの広さもあるからな後ろ暗いことをするに適しているだろうさ。
俺がそうだからな、ははは。
動き出そうとする九曜を手で制していると、桔梗の探査が終わったらしい。
彼女は地面から手を離し、真っ直ぐ俺を見上げてくる。
「ネズミです」
「そうか。ならそのまま行くとしよう。全く抜け目のない奴だな」
「桔梗がネズミにイル様が連絡を取りたいと伝えました。そのことが原因で……」
「いや。会談の場をわざわざ準備する必要もなくなった。時は金なり。あいつと俺に共通する考え方だな」
コロコロと笑い、軽い調子で段差を登った……のだが、慣れないブーツということもあり前につんのめってしまう。
そうだった。そうだった。このブーツは厚底になっていていつもと様相が異なる。
歩き始めた時に転びそうになってから、注意して歩いていたのだけど、油断していた。
お、呑気に振り返っている場合では。
ぽふん。
桔梗に抱きとめられ難を逃れる。
「すまん」
「いえ。イル様。方向が異なります」
桔梗の肩に乗っかった顔をあげると、九曜が指で方向を示していた。
「地下か。わざわざそんなところに。九曜。ランタンを持ってきてくれ。桔梗はこのまま俺を先導して欲しい」
彼女の体から離れ、ふうと息を吐く。
枯井戸にかけてある縄梯子をくだると、人ひとりが通ることができるくらいの穴がある。
穴をくぐると、六畳くらいの部屋になっていて、奥に鉄の扉がはまっていた。
九曜がランタンを灯し、部屋の壁に打った杭へそれを引っかける。
明るくなったことで、古ぼけたテーブルに並んだ椅子に腰かけるネズミ頭の姿がハッキリと浮かんできた。
「ネズミ。息災か」
「みゅ、みゅ。ぼちぼちみゅ」
独特の相槌を打ちながら、ネズミ頭がひょいっと椅子から降り右腕を上から胸元に持ってくるおどけた様子で頭を下げる。
彼はネズミをデフォルメして擬人化したような感じで、毛色は茶色。
らんらんとした赤い目が小動物らしからぬ不気味さを醸し出し、それとは逆にえんじ色のチョッキと緑のズボンがコミカルさを演出している。
「今日は『仕入れ』じゃあない」
「みゅーの耳は地獄耳。ヴィスコンティ伯と王族のこと、既に聞き及んでいるみゅ」
「さすが、俺のパートナー。そうじゃなくっちゃな」
「みゅ、みゅ」
「ははは」
笑い合いながら、座ってくれと促す。
彼は俺が座るのを待ってから椅子にちょこんと腰かけた。
彼は通称「ネズミ」と呼ばれている。獣人の中でも珍しいネズミ頭の商人だ。俺の知る限り、この街で成功している数少ない「獣人」の商人の一人である。
「ところで、前に長髪は嫌いだと言ってたのに何でカツラをかぶってるみゅ?」
「これは変装だ」
「みゅ? 人間ならカツラで欺けるみゅ?」
「そうだな。ネズミの目は誤魔化せなかったみたいだが」
「『目』じゃないみゅ。みゅは種族柄、人間や人間の顔をした獣人の区別をつかないみゅ。チミもネズミ頭の区別はつかないみゅ」
「確かに。言われてみるとそうかもしれない」
「もし、みゅがチミを密告すれば、チミは処刑台みゅ」
「ははは。そうかもしれないな」
九曜と桔梗から不穏な空気が流れたが、手で制する。
彼に裏切られるかもしれないから、ここで消そうなんて気は微塵もない。
彼が心変わりして、俺に背を向けるのなら、俺はそれまでの男だったってこと。
俺は彼を無条件に信用も信頼もしていない。彼だってそうだろうさ。
「全く。チミには敵わないみゅ」
「俺もネズミに勝てる気がしないよ。その肝の座りよう。俺の影が殺気立つのを分かっててやっているだろ」
「お互い様みゅ。チミだって」
「挨拶はこの辺にして、本題に入ろうか。と、その前に。ネズミ。忠告ありがとう」
「既に織り込み済みみゅ? 要らぬお世話だと思ったけど、一応、みゅ」
ネズミの言う通り、変装すると決めた時に既に彼のような人間と顔つきが根本から異なる者たちのことは考慮していた。
ヴィスコンティ伯が俺の捜索を行う可能性は五分五分。どこからか俺だけが王族と共に逃げずに取り残されていたという情報を得るかもしれない。
そして、彼が捜索を行わせるとしたら彼の連れてきた配下の者が行うことは確実だ。
いくら騎士団や文官が友好的に接してきたとしても、いきなり彼らや街の人に重大な役目を負わせることはないだろうさ。
もう一つ確定的なことがある。
彼の配下に獣人は一人たりともいない。
王国は貴族と平民に別れた身分制度のある国だ。更に種族によっても上下がある。
これには歴史上の紆余曲折があるのだけど、現在の王国で最も下に扱われているのが獣人なんだ。
それ故、ヴィスコンティ伯の信頼できる部下たちの中に獣人はいない。王都の文官、騎士団、親衛隊にだって獣人が一人たりともいないように。
俺に前世の記憶がなければ、身分制度も種族による上下も当たり前のものとして認識していることだろう。
だが――。
「この格好ならまず見つかることはないよ。捜索するかどうかも怪しいけどな」
「いつもながら自信たっぷりみゅ。でもチミはいつもいつも有言実行してきたみゅ」
「買い被り過ぎだ。失敗したことだって何度でもある」
「それでも損失を出さないところがチミみゅ」
「……会えるように頼む」
誰がとは言わない。これだけでネズミに伝わる。
「既に動いているみゅ」
「だと思っていた。だけど、こういうのは直接言ってこそだと考えているんだ。効率的じゃあないけどな」
「そういうところ、嫌いじゃないみゅ。みゅもだからこそここを選んだんだみゅ。チミと初めて商談した場所を」
「いろいろあったな。まずは新王の手腕を拝見しようじゃないか」
ニヤリと口端をあげ、パチリと指を鳴らす。
対するネズミは鼻をひくひくさせ、みゅ、みゅと声を出して前歯を打ち鳴らすのであった。
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