第6話 脱出
翌朝――。
脱出の朝はメイド服に身を包み、ディアナのお付きのように振舞ってこっそりと抜け出すことを計画した。
しかし、俺はこいつの存在を完全に忘れていたのだ。
存在感たっぷりでうるさいこいつのことを。
「ディアナ様。そ、そちらのメイドは」
「デステ家のメイドです。王家に仕えていたわけではありませんの」
「お一人でデステ家に戻られるので?」
「はい。一人ですと何かと手が足りません。ですので、イルマが来てくれたのですわ」
「そ、そうなのですね」
さっきから俺の方をチラチラ見ていることは分かっているんだぞ。
あ、目が合った。
気が付いてない振りをして前を向くアレッサンドロであったが、頬が赤くなっているような気がする。
誰か、気のせいだと言ってくれ。
ディアナの半歩後ろを付き従っていたところ、中庭で番をしていたアレッサンドロとエンカウントした。
誰も護衛がいないなか、「イル様とディアナ様を王宮に留めておくことなどできない」と鼻息荒く憂いた彼は、寝ずの番をしていたのだ。
現時点で賊が押し入ってくる可能性は極めて低いのだけどね。王城に騎士団が泊まったようだし、ヴィスコンティ伯の軍が迫っていることから厳戒態勢が敷かれている。
衛兵も街中を巡回する警備兵もピリピリしていると報告を受けているし。
賊は目立つからまず俺の居室まで押し入ってくることはない。暗殺者なら枕元まで忍び寄ることができるかもしれないけど、暗殺者は金で動く。
ヴィスコンティ伯に処刑されると目論んでいる王族連中が俺に刺客を差し向けることはあり得ないし、ヴィスコンティ伯は俺だけがここに残っているということを知らない。
伯からしてみたら暗殺者を向かわせるにしても、王族の中で最も重要度の低い俺を狙うなんてことは万に一つもないのだ。
それにしても、この筋肉頭……ディアナの話が明らかにおかしいってのに納得して頷いているんだけど……。
変な壺を買わされないか心配だわ。
ちょんちょんとディアナの肩を後ろから突っつき、彼女の耳元に口を寄せる。
「サンドロまで一緒に行動していたら、万が一もある」
「畏まりました」
俺の意を汲んだディアナはアレッサンドロには見えぬよう小さく頷き、彼に顔を向けた。
「今後お会いすることもあるかもしれません。我がデステ家のメイドをご紹介させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ぜ、是非」
ちょ。何してんだよ。
ディアナに背中を押されアレッサンドロの前に出される。
「メ、メイドのイル……マです。以後お見知りおきを」
「イルマさんというのですか! なんと可憐な方なのだとお恥ずかしながら先ほどから気になっておりました。天から舞い降りた天使のようで」
アレッサンドロは白い歯を見せ不気味なことをのたまった。
ぞわぞわぞわと全身が総毛だつ。
も、もう無理だ。ディアナにバトンタッチしよう。
彼女の後ろに隠れるようにして、今度は俺が彼女の背中を押す。
「イル様よりご伝言です。『ディアナ、サンドロ、俺が共に王宮を脱出すれば目立つ』と。イル様はこっそりと今晩出立されるとのことです」
「確かに。イル様のおっしゃる通り。これは失礼いたしました。イル様の意にそぐわない行動、誠に申し訳ありません!」
「今ご伝言したのです。ご伝言するにはベルサリオ様にお会いしなくては、ですわ」
「ご伝言、感謝いたします。私はどのように行動すればと伝言を承っていらっしゃいますか?」
「騎士団長トリスタン様と共にあって欲しいとのことです。『親衛隊であり騎士であるサンドロにしか頼めない』と」
「承った! イル様直々のご伝達とあれば、奮起せぬわけにはいきませぬな!」
あ、まだ話が終わっていないってのに走り去って行ってしまった。
大丈夫かあいつ……。
王宮を護衛するんじゃなかったのだっけ。俺が今晩に出立するって情報を聞いたよね、今。
なら、元々の目的だった「護衛任務」を果たそうとするんじゃ……いや、俺の依頼で上書きされたってことだな、うん。
護衛はあいつの判断であり、依頼は俺の判断である。となると、あいつが優先するのはどちらになるのか明白だ。時期まで伝えていない俺に不備がある。
ま、俺はこれから脱出するので特に問題はないんだけどな!
そもそも、護衛なんぞ必要なかったわけだし。ははは。
「それにしてもディアナ。俺がデステ家のメイドだという話、サンドロ以外にはするなよ」
「は、はい……」
「矛盾だらけで変に疑われる。外に出たらすぐに俺は着替える。今メイド姿なのは、万が一誰かが見ていたらと思ってのことだ」
「畏まりました。お着換えは是非お手伝いさせてください」
ディアナ・デステ。彼女はデステ男爵家の令嬢である。デステ家は領地を持たぬ法服貴族で、王都に代々仕える官僚の一家だ。
ここはアレッサンドロも知る通りなのだけど、昨日の今日でいつ彼女がメイドをここまで連れてくる連絡をデステ家に送ることができた?
時間的に矛盾しているんだよ。アレッサンドロだから通じたが、他には通じない。
ま、王宮を出るまでだし、これ以上他の誰かと会話することもないだろ。王城に詰める騎士たちに見られたとしても、ディアナと彼女と行動を共にするメイドが出て行ったと思われるだけだ。
◇◇◇
城門のすぐ隣にある勝手口から外に出て、近くの繁みで着替えを行う。
ここからは俺一人で行動する。
「ディアナ。伯の軍が入城し、落ち着くまでは家でじっとしておいてくれ」
「イル……イルマ様にお仕えできないのですか……」
「そのうち桔梗か九曜を使いに寄越す。それまで待っていてくれ。そう時間はかからないさ」
たぶん、ね。
外で彼女やアレッサンドロと共に行動することは万が一もある。しばらくは桔梗と九曜を挟んで連絡を取り合う。
「イルマ……ってのは、まあいい。カツラを被っている時はイルマで通そう」
「イルマ様に着替えをお届けしたかったのですが、残念です」
「服は別途揃える。心配かけてすまんな」
見下ろせ……いや、目の高さが同じディアナに微笑みかける。
ディアナを見送り、彼女の姿が見えなくなってからパチリと指を鳴らした。
すると、音も立てずにしゅたっと九曜、桔梗の両人が俺の前で片膝をつき頭を下げる。
「セーフハウスの、そうだな三がいいか。三に向かう。今後、二人には表に出てもらうこともあるかもしれない」
「……了」
「はい」
中腰になり肯是する二人の肩を左右の手をそれぞれに乗せた。
「多くの事を、無茶ばかり頼んで、いつもいつも迷惑をかけている。二人が人に姿を見られたくないことも分かっているつもりだ。だけど、すまん」
「……問題無」
「桔梗はイル様の影。影の喜びは主の望みを実行すること。どうぞ、お申しつけを」
ありがとう。心の中で呟き、彼らから手を離す。
穏やかに吹く風がスカートを揺らし、ちょっと気になったことは秘密である。
追放ではなく、離脱されるという真逆の状況になってしまったが、これまで準備してきたことは無駄にならない。
行き先が変わるだけで、実のところやることは余り変わらないんじゃないかと思っている。
城壁を見上げると、王城の尖塔が目に入る。
真っ青な空に映える純白の塔は、ミレニア王国王都ミレニアの栄光を映しているように思えた。
目指す先は栄光かそれとも血か。
伯の、父の、思惑なんぞ俺が全部打ち砕いてやる。
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