第8話 新たな王ヴィスコンティ
街の中央広場はいつもなら露店が軒を連ね、天幕まで張られて一つの商店街のようになっているのだけど、今日は様相が異なっている。
というのは、ミレニア王国の新たな王となったグリアーノ・ヴィスコンティが街の人々に向け演説をするからだ。
演壇が設置され、三本ローズの文様が描かれた紋章を鎧の胸に刻んだ兵たちが取り囲み睨みを利かせている。
その前段に縄で柵が作られ、槍を持った警備兵が等間隔で並んでいた。演壇より後方には二首龍の紋章を肩に刻んだ元王国騎士たちが控えている様子。
「そろそろだ。ほら」
「はい。万が一のこともございます。決して桔梗から離れぬよう」
応える代わりにお互いの腕が引っ付くくらいの距離にいる桔梗の手を握りしめる。
普段は黒装束姿の彼女だけど、今は異なる服装をしていた。
どこにでもいる街娘風と言えばいいのか、服屋で店員さんに勧められるまま買ったものだ。
彼女はお腹が空いた体にピタリと張り付く薄い青色のシャツに、タイトスカート、上からノースリーブの裾の長いチョッキのようなものを羽織っている。
対する俺は彼女のぴしりとした雰囲気と真逆のふんわりとした衣装に身を包んでいた。
桔梗の髪型を久しぶりに見たが、以前はショートカットだったっけ?
耳と同じロシアンブルーの髪色は彼女の怜悧できりりとした感じとよく似あっていると思う。
俺も一応クールと呼ばれる銀色の髪に青目なんだけど、どうもこう彼女のようなクールさを出すことは難しいみたいだ……。
女装するのにも慣れてきたけど、俺は一体どこを目指しているんだと自問自答してしまいそうになり、いやいやと首を振る。
彼女とお揃いの黒色のピンで前髪を同じように留めて、なんてこともしてみたんだけど、桔梗は表情一つ変えずにピンを装着していた。
変な気を回すもんじゃないな、喜んでくれたらと思ってやってみたのだけど、ね。
「新王グリアーノ・ヴィスコンティ様の御成り!」
お、始まったぞ。
完全に観客の気分で小さなリンゴをむしゃりとかじる。すっぱい。
ヴィスコンティの軍が入城してからもう三日になる。
トリスタンらと奴の交渉はうまく行ったようで、街の門、城門が開かれ整然と軍が行進していったことが記憶に新しい。
王家に対してまるで忠誠心を持たない俺だとて、この時ばかりは微妙な気持ちになった。
自分の国で起こったクーデターに対し、曲がりなりにも為政者側である俺が何もせず指を咥えてみているだけなんだからさ。
しかし、落日の想いもその日だけで今となっては、街に大した混乱がなかったことに安堵し野次馬気分を味わっているといった感じだ。
「イルマ様」
「まだ食べかけだし」
「それは私がいただきますので、ご安心を」
んーと眉間に皺をよせていたのを見られていたらしい。
さすがに酸っぱいリンゴを押し付けて食べてもらうわけには、と残りを自分で食べようとしたのだけど先んじて桔梗に新しいリンゴと入れ替えられてしまった。
いやいやと取り戻そうとした時には既に桔梗の口の中に食べかけのリンゴが……。
「酸っぱいだろ」
「いえ」
無表情に首を振る桔梗であった。
せっかくだから彼女から受け取ったリンゴをかじろうとした時――。
ドーン、ドーンと銅鑼の音が鳴り響く。
演壇を取り囲むのとは別の三本ローズを鎧に描いた騎士が先導し、黒い馬に乗った大柄な男が悠々と進んでくる。その後ろには四つ葉のクローバーの紋章を肩に刻んだ騎士団長トリスタンの姿もあった。
あの男がグリアーノ・ヴィスコンティで間違いない。
太い首、はち切れんばかりの肩回りに厚い胸板。顎髭を生やし髪の毛を後ろに撫でている。年の頃は四十代前半といったところか。
さあ、始まるぞ。
高い位置に登ったヴィスコンティは群衆を一目し、大きく息を吸いこむ。
「ミレニア王国の諸君。余は新たに王となったグリアーノ・ヴィスコンティである。前王ノヴァ―ラ・スフォルツァは重税を課し、民を苦しめ、農村では農民が幾度となく反乱を起こしていた。反乱に対し、無慈悲に焼き討ちを行う所業、余は許してはおけなかった。そうだろう、諸君」
歓声は起こらず、群衆は彼の様子を静かに見守っている。
いきなりやってきて自分が王だと宣言するんだ。街の者もどう反応すべきか決めかねているってところか。
構わずヴィスコンティは言葉を続ける。
「余は辺境にあって王国民を護るべく尽くしてきた。それが、護るべき民を前王は虐げたのだ。義憤にかられた余は前王に抗議すべく挙兵した。その結果、どうだ、諸君。前王は無責任にもドルムント帝国に逃亡したのだ。余は民を見捨てぬ。苦しむ農民たちを救いたい。彼らが飢えぬ国を作りたい。余に力をかしてくれ。必ずやミレニア王国へ福音をもたらすことを約束しよう」
兵士が拍手を行うと、それにつられて集まった民衆もバラバラと手を叩きはじめ、万雷の拍手となった。
彼の強い意志が民衆の心を動かした……とまでは言い切れないが、皆、新政権に対し期待を込めた視線を送っている。
平民にとって誰が王かなど遠い存在だ。誰がではなく、何をしてくれるかどうかだけを見ている。
前が酷いという言葉じゃ生ぬるいほどだったから、今よりはマシになるはずとでも考えているのだろう。
果たしてそううまくいくかな? ヴィスコンティ。
死に体の王国を立て直すことができたのなら、自然と民衆は彼を賢王と称えるに違いない。
彼には俺と違って貴族連中を黙らせる武力があるのだから、民衆さえ押さえることができれば自らの王権を築くことができる。
……とでも考えているのだろう。彼は。
お、宣言だけじゃなく、まだ演説を行うようだぞ。
「諸君。我々が食事をとることができるのは農民あってのこと。農民に重税を課すなど度し難い悪夢だ。重税の結果、農民は畑を耕すこともままならなくなっている。なら、彼らを救うにはどうすればいい? 我ら王国民全てで苦しみを分かち合わなければ、この困難を乗り切ることができないのではないだろうか?」
盛り上がっていた熱が急に冷め、辺りはシーンと静まり返る。
「もういい。行こう。桔梗」
「はい」
握ったままの桔梗の手を引き、演壇に背を向ける。
彼の演説はまだ続いているようだが、もう俺の耳には届いていなかった。
これ以上彼の演説に耳を傾けても時間の無駄だ。
まさか、ここまで政治感覚の無い者だとは思いもしなかったぞ。考え得る中で一番取ってはいけない手を彼は選択しようとしている。
前王は農村に重税をかけた。街の税は現状維持とした。
何も温情や既得権益から街の税率を維持したんじゃない。課したくても課すことができなかったからだ。
「もう少し時間的猶予があると思っていたんだけど……」
「桔梗は何をすればよいのですか? ご命令を」
独白したつもりだったのだけど、桔梗に聞かれていたらしい。
「一旦家に戻る。すぐに動いてもらうぞ」
コクリと頷きを返す桔梗は相変わらずの無表情だった。
ヴィスコンティだけが最初の壁だと思っていたが、悠長に構えていると機を逃しかねない。
椅子取りゲームはこの時をもって開始されたのだから。他がまとまる前に動く。
ギュッと桔梗の手を握った手に力を込めると、彼女も握り返してくる。
手に籠った圧が心地よく、不思議と俺の心が和らいだ。
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