第22話 指令官

 こぶしでドアを叩いていた爽平は、気配を感じてはっと振り向いた。


 こつり、とわずかな靴音がして、物陰から黒スーツが現れた。


 どこから――。


 疑問を抱くのと同時に、アサルトライフルの引き金を引く。


 発射された弾丸は、両手を上げていた黒スーツの脇腹に命中した。


 ぐっ、と黒スーツがうめいた・・・・


 黒スーツは壁を背にずるずると座り込む。穿うがたれた弾痕から、赤い液体・・が流れ出て来る。手で脇腹を押さえているが、気休め程度にしかなっていないようだった。


 仲間を撃ってしまったのかとヒヤリとした。しかし仲間なら、スーツを着ているはずがない。


「何者だ!」


 銃口を向けたまま爽平が怒鳴る。口に出してから、意味のない言葉だったと思った。だが――。


「落ち着け。私は武器を持っていない」


 ――黒スーツがくぐもった声で喋った・・・


「日本、語……?」


 スライムが言葉を話したという報告はどこからも上がっていない。鳴き声を発したということさえ聞いたことがなかった。


 初めにアメリカが対話を試みた時も、黒スーツたちは何の反応リアクションも返さなかった。


 意思疎通コミュニケーションは取れたのに、今まであえて取ってこなかったということなのだろうか。


 爽平の心臓は、どくどくと嫌な音を立てていた。単なるスライムを前にしているという以上の緊張がある。仲間を傷つけたと感じた時に流れた背中の冷や汗は、今は脂汗あぶらあせに変わっていた。


「何者だ……!」

「この船の、司令官だ」


 司令官? スライムの? だがスライムではないのは確かだ。司令官は別の生き物なのか?


「戸惑うのはわかる。だが話を聞いてくれ。時間はあるんだろう? そのために私はいるんだ。その後は……殺したければ殺してくれて構わない」


 弱々しい声で司令官は言った。流暢りゅうちょうな日本語だった。敵の言語を学ぶのは当然のことだが、そういう概念があることが驚きだった。これは非常に重要な情報だ。


 さらに情報を得られるのであれば、可能な限り探らなければならない。自ら明かしてくれるのだから乗る以外になかった。


「聞くだけは聞いてやる」

「ありがとう」


 司令官がヘルメットの中で微笑んだような気がした。微笑みという表情があるのかも知らないが。


 ヘルメットの中はどうなっているのだろう。頭でっかちな目だけ大きい灰色のぬめっとした姿か。タコのような姿か。鱗だらけの半魚人か。案外、血のような体液を流すだけの硬めのスライムかもしれない。


「我々の星は、資源の豊富な惑星だった――」


 そう、司令官は話し始めた。


「我々はその星の支配者で、豊かな資源をかてに繁栄した。文明は急速に発達し、宇宙進出まで果たした。だが、他種族から搾取さくしゅし、資源を身勝手に使い続けた結果、それまでの生活を維持できなくなるどころか、あと一歩で星が崩壊するところまで来てしまった。いつかそうなると分かっていたはずなのに、誰しもが豊かな生活を捨てることができなかった」

「それで、俺たちから奪おうとしたわけか」


 爽平は吐き捨てるように言った。身勝手だと分かっていながら、開き直って爽平たちの所に来たというわけだ。


「奪う、という言葉は厳密には正しくはないが、間違いでもない。君たちには悪かったと思っている。だが、我々にはこうするしか生き残る道がなかったことをわかって欲しい」


 かっと頭に血が上った。


「わかるわけがない! 平和的解決もあったはずだ! なのにお前たちは一方的に俺たちに攻撃を仕掛け、蹂躙じゅうりんした!」


 ドローンによる爆弾で、黒スーツによる光弾で、死んでいった隊員たちを思い浮かべる。この船に潰されて亡くなった人々、避難場所に踏み込まれて亡くなった人々。


 そして――美彩みさ。爽平の目の前で無慈悲に殺された。


「今はそうだろう。だが、いずれ君はわかってくれると思う」

「それだけは絶対にない!」


 司令官が肩をすくめた。人間臭い仕草が鼻につき、爽平の怒りを倍増させた。


 だが、ここで感情に任せて殺すわけにはいかない。情報を――こいつらを殺すのに有用な情報を聞き出さなければ。


 爽平はあごで続きをうながした。


「君たちは我々をスライム状の生物だと思っているだろうが、実はそうではない」


 いきなり言われた言葉に、爽平は驚いた。黒スーツの生態に迫る話が始まったのだ。棚から牡丹餅ぼたもちとはこのことだ。


「ここに来るに当たって、我々は体を作り替えた。ジャンプに耐えるために。元々は君たちと同じ、骨格としての骨と駆動体としての筋肉を持つ生き物だ」


 司令官は胸に手を当てた。


 黒スーツの形状からして、元は人類とひどく似通った姿をしていたということなのだろう。二本の腕と足が五本の指を持ち直立歩行をする生き物が惑星の支配者となるのは、進化の収斂しゅうれんの先にある必然なのかもしれない。


「元の体のままジャンプしてきたことで、私の中身はもうボロボロだ。君に殺されなくても、近いうちに死ぬ運命だった。だから私のことは気に病まなくていい」

「心配しなくていい。全く気にするつもりはないからな」

「そうしてくれ」


 白い床に赤い液体が広がっていく。


「ここに、注射器が入っている。私が死んだら、これを首筋に打ってくれ。それで体がスライム状に変わる。君以外に素顔を見られたくないんだ。頼む」


 司令官は、自分の太もも辺りをぽんぽんと叩いた。


「残念だがその頼みは聞けない。お前はこのまま俺がここから連れ出して、研究所送りだ。注射器の中身も調べさせてもらう」

「注射器は二本ある。一本は持って行っていい。だが、もう一本は私に使ってくれ。頼む」


 頼む、だって? 俺の唯一の願いは聞き入れなかったくせに。


「嫌だね」

「そうか……」


 司令官は残念そうに言った。


「私が、彼らをひきいて君たちの所に来たのは、誰が何と言おうと、これが最善だと思ったからだ。彼らも――スライムとなった同胞たちも、みな自分の意思でそうした。自ら薬を打ったんだ。私と同じように、守るべき愛する者のために、これが最善だと判断した結果だよ。私はかつての恋人まで見殺しにした」

「愛する者のためなら他者を犠牲にしてもいいってことか」

「君もそうするさ。その正義感がそうさせる。皮肉なことにね。私には断言できる」

「知ったような口をくな! 俺はお前たちとは違う! そんなことはしない!」


 いちいち気にさわる物言いだ。どうしてこいつはこんなに俺の神経を逆なでするのか。こいつらは俺たちとは根本的に違うのだ。


 体の構造を変えてまでして使命を果たそうとする姿勢は、命令のもとで行動してきた爽平にも理解できる。だがその使命は他者の命を踏みにじる行為であるならば別だ。許されるはずがない。


「いいことを教えてやろう。そこの司令官席、その操作パネルの左上角のキーだ。それを五秒以上押すといい」

「そんな見え透いた罠に乗るものか!」


 自爆でもされたらかなわない。


「ははっ、罠か。自爆キーとでも思ったのか? それならとっくに私がやっている」


 図星を指されて、爽平はかっとなった。


「今さらお前が何をやろうと、この船はやがて制圧される! お前たちは皆殺しだ! そして、俺たちが成功したように、各地で同様のことが起こる。お前たちは失敗したんだ!」

「失敗、か……」


 急に声が弱くなった。流れ出た体液は相当な量に達しているだろう。人間ならばこれだけの血液を流せば助からない。体の構造が似ているのであれば、司令官も限界だと思われた。


「我々は……失敗などして、いない……」

「どういうことだ?」


 爽平にはどうでもよかったが、黒スーツたちの目的は、地球の資源だと考えられていた。その目的はすでに達成されたということなのだろうか。それとも、別の目的があったのか。


「ああ、私ももう駄目か……何も見えない……」


 司令官の言葉はうわ言のようになっていた。


「おい! お前たちの目的は何なんだ!」

「我々の……もく、目的は…………人類、を……虐殺ぎゃくさつ、すること。目的は……すでに……果たし、た……」


 人類を虐殺することが目的だって?


 まさか、この後、資源を回収する別部隊が現れるのか? せっかくここまで来たのに? まだ戦わなきゃならないのか!?


「おい! どういうことか説明しろっ!」


 爽平は銃を降ろし、司令官の肩を揺さぶった。


「あとは……頼んだ、ぞ……」


 がくり、と司令官の頭を落とした。


「待てっ! おいっ! おいっ!!」


 何度揺さぶっても、司令官はそれ以上何も言わなかった。


「くそっ」


 爽平は銃を放り投げた。司令官の体を床に横たわらせる。


 蘇生術をほどこせば、まだ助かるかもしれない。


 爽平の頭からは、相手が地球の大気に順応できていないという考えは吹っ飛んでいた。


 首の後ろのボタンを押す。


 一拍おいて、ヘルメットとスーツに隙間ができた。そのわずかな時間さえ惜しかった。


 早く。早くしないと……!


 爽平は乱暴にヘルメットをはぎ取った。

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