ワレモコウ

秋も深まった頃。

未だに俺は名前も知らない彼女と関わり続けていた。

彼女は、本当に病気で死ぬのかと思わせるくらいの元気ぶり。


「ねえねえ、今度お出かけしない?」

「また?」

「いいじゃーん。バイトの量と使う量が合ってなくて、お金大量にあるって言ってたじゃん」


知ってるんだぞ、と彼女は笑った。

けどその笑顔を見る度に毎回思う。

彼女は俺の秘密を知ったらこんなにも笑ってくれるだろうか、俺が死んだ時に笑顔を浮かべてくれるだろうか、と。


「あるけどさ」

「ちゃんと自分の分は負担するからあ」

「って言いながらだいたい八割負担させてるのは、どこのどいつでしたっけ?」

「あっはっはっ」


つい最近だ。なんとなく彼女との会話が楽しいと思うようになってきたのは。

初めてな気がする。生きていて楽しいと思えたのは。

死にたいのは変わりないし、彼女に心までもを許した訳では無いけれど。

彼女だけは、醜いという言葉だけでは片付けてはいけない気がした。


「しょうがないじゃん。バイトも何もしてないんだから」

「今までどうやって生きてきたの?」

「親」

「察し」


ニートだったのか、学生なのか。

どのみちそれを尋ねることは無い。

単純に俺が興味無いというのもあるが、何となく、お互いのことについては踏み入らないというような雰囲気が漂っている。


「とにかく行こうよ〜。腐るほどあるって言ってたじゃん」

「そんなこと言った覚えないぞ」

「いや言ってた」


よく思い出したら確かに言ってたわ。

けど、腐るほどあるのは事実。

彼女と出会う前は、コンビニバイト時給何百円で、それを毎日十二時間という生活を送っていた。

家はローン払い終わっていたし、水とか火とか電気も最低限しか使わない。欲しいものも何も無い。飯は安いコンビニ弁当。そして、諸事情のお金。

そりゃ溜まりに溜まる。


「わかったよ」

「やった!」

「どこにする」

「東京行きたい」

「また」


この前も言ったばかりだ。

俺の服を買いに。

家には彼女に選んでもらった服が大量にある。


「何回言っても楽しいよ。割と近場だし」

「わかったわかった」

「よし!じゃあ、今度の週末ね」


そして一週間後に、俺と彼女は最寄り駅で待ち合わせをした。



「楽しみ〜」

「ほんと好きな、出かけるの」

「君とだからだよ。君とじゃなかったら、こんなにも楽しくはない」


彼女は切符を取りながら笑った。


「…………なんか無いわけっ」


俺が黙っていると彼女は振り向いて怒ったような表情をする。

あくまで怒ったようなだから、可愛さも混じっている。


「そこ言うとこだったんだ」

「そうだよ」

「お前以外まともに喋ったことないから、なんもわかんないんだよ」


すると彼女は嬉しそうな表情を浮かべる。


「………顔に出てるぞ」

「うっそ!も、もういいよ。ほら、早く君買いなよ」

「はいはい」


俺は素早く切符を買って、顔を赤らめている彼女の手を引っ張って、既に来ていた電車に乗る。


「君って素直すぎ」

「お前もな」


どっちも素直だ。


「なんか楽しい」

「それは良かったな」


話しながら、空いていた二人席に座る。


「楽しいなあ」


彼女は言いながら俺の方に寄りかかってきた。


「どうしたんだよ、急に」

「え、あ、なんか………目がね、クラクラする」


クラクラ?


「それとね、息が出来ないの」


そして彼女は眠るように黙った。


「おい、おい………おい」


揺さぶった。必死に。

けれど彼女はなんの反応も見せない。

余命一年。

その事実が頭をよぎる。


俺は彼女を抱えて外に出た。


「救急車………」


何番だっけ。

幸い近くに駅員が居たので救急車を呼んでもらう。

その間に俺は、彼女に一生懸命呼びかけた。


「おい、おい…………」


そして気づく。

名前を聞いておけばよかった、と。


「…………名前も、知らなかったのか」


何も知らない方がいいと思っていた。

けれど、こうしてあったものを失いかけた時、途端に知らなかったことが知りたくなる。

あれってなんだっけ、とふと思う。それと同じ感覚。


「っ…………」

「お、おい、大丈夫か?お前」

「…………君?………大丈夫。ちょっと、苦しくなっただけだよ。ビックリさせて、ごめんね」

「すみません、救急車来ました!」


駅員が俺に向かって叫ぶ。


「救急車、呼んだの」

「だって…………」

「ありがとう」


そして救急隊員が来る。

彼女は担架に乗せられて車内の中へ。

同行するか迷った。

多分、彼女の両親も来るだろう。

そこに俺が居たら変な事になるかもしれない。

彼女を困らせるかもしれない


「同行して欲しいと仰っています」


救急隊員が俺に言った。

彼女が俺を望んでいると。


「………行きます」


救急車の中はとても白くて、機会がたくさんあった。

彼女はとても苦しそうな状態。


「ねえ」


その状態の中、彼女は俺に言った。


「なに?」

「私たち、お互い、名前も、知らなかったね」


彼女も俺と同じく気づいたらしい。


「多分、病院で、知っちゃうとおも、うからさ、教える、ね」


苦しい顔を必死に崩して彼女は教えてくれた。


「みず、き、だよ」


そして彼女は、目を閉じた。


「おい………おい…………み、みずき………」


みずき。

彼女の名前を初めて言葉に発した。


「俺の、名前…………」

「………なに」


微かな声で彼女は問うてくれた。


「お、俺は…………」


誰だっけ。


迷っているうちに、彼女は、彼女の力は、抜けてしまったように感じた。

触れてはいなかった。指さえも。

けれど何となく、感覚的に。

彼女の意識はもうここには無いとわかってしまった。


「みずきさん、みずきさん?」


救急隊員がみずきに向かって呼びかける。

生きているのは機械を見ればわかる。

だからほっとした。


ほっとした。


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