第3話
3.
神様がいるのなら、願いを叶えて欲しい。
一つだけ、どうしても望んでるものがあるんです。
お母さんが、死んだ日の朝に戻してください。
*
その日、初めての家出をした。
父と口論になった原因は覚えていない。
ほんの些細な、本当にくだらないことだったと思う。
頭に血が上った私は感情に任せて家を飛び出した。
それが朝。
そして昼過ぎ。
お腹が空いたというくだらない理由で家に戻った。
「いつき! よかった、帰って来たのね!」
庭先にいた母が、飛びつくように私を抱きしめた。
雨が降っているにも関わらず私も母も傘を差していなくて、家臣の人が慌てて私たちに大きめの傘をかぶせた。
「心配した、心配した……」
震えている母の身体が、寒さのせいだけじゃないことはわかっていた。
その時はまだ、確かに、温もりがあった。
「……お父さんは?」
だけど素直になれず、無表情のまま淡々と尋ねると、母は私を抱きしめたまま「探してる」と言った。
「いつきを探しに行ってる。よかった……本当によかった。おかえり、いつき」
「え?」
「帰ってきてくれてよかった、おかえり」
ぎゅぅーっと私を握りしめる母のか細い腕。
華奢な身体を抱き返そうとしたその時、
「いつき!」
背後に、父の声が聞こえた。
怒られる……そう思った私は母を突き飛ばし、屋敷の中へと逃げ込んだ。
父や母、家臣の人たち、たくさんの人が私を追って名前を呼んでくる。
全て無視して、自分の部屋に駆け込んだ。
机の上にあったランドセルが目について、それを乱暴に肩に担ぐ。
「待て、いつき! どこ……学校行く、のか?」
庭に飛び出ると、怒鳴り気味だった父の声が呆けたものに変わった。
「え、今日って平日?」
「平日だけど……待って、いつき! 今日は行かなくても……」
「皆勤賞狙ってるから!」
適当な嘘を吐き、全力疾走のまま屋敷の門をくぐり抜けた。
嘘は見抜かれていたと思う。
皆勤賞なんて狙えない。
学校は嫌いだ、先週だって半分は休んだ。
「い、いってらっしゃい、いつき!」
それでも、母は優しい声で私を送り出してくれた。
「待ってるからね。今晩はいつきの大好きなものにするから、美味しいご飯作るからねっ!」
美味しいご飯なんかいらない。
そう言えばよかった。
買い物になんて行ってくれなくてよかった。
家臣の人に任せておけばよかったのに。
家に居てくれたら、待っていてくれるだけで。
それだけで。
なぜ母がその日、家にいたのか。
なぜ体調の悪い母を、買い物にいかせたのか。
なぜ誰もついていかなかったのか。
『いつきの大好きなものはお母さんが作る。買い物から全部、お母さんが一人でやるからね』
なぜ。
聞かなくてもその答えは全てわかった。
私のために母は、体調を崩していたにも関わらず無理して買い物にいって、父や家臣の人たちも母の意を尊重して一人で送り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます