第9話 最強の“天使”ルルリエの忠告


オーレンシアの歴史博物館は、ウィッテン城の敷地内にある。

淡色の石と濃色の石が交互に積まれた壮麗な建物である。

大階段を登って中に入ると、丸天井のホールの壁面に沿って列柱と偉人たちの石像が並んでいる。

最も目立つところに設置されているのは、もちろん大英雄レオ・バロウの石像である。

石像の前には装飾の施された巨大なガラスケースがあり、そこには「勇者の剣」が展示されている。

剣は、その先端が黒々とした巨大な岩に突き刺さっていた。

<一億人の民を救いし大英雄は、この勇者の剣を用いて数々の伝説を残した>

と碑文が刻まれている。

まさにこれこそ亡きレオ・バロウの形見と言える品である。


テナン村から帰還したルッテは、レオ・バロウの像と「勇者の剣」の前にひざまずき、主神エルランに祈りを捧げた。


「神よ。どうか私の呪縛を解き放ち、私を冥界へとお導きください。私は、魔王アクゾディアスとの戦いに備えて、禁忌の魔法を使い、一度だけ死者を蘇らせる秘薬を作りました。しかし、魔法の術式を見て、まだ少しの改善点があると思い、オリジナルの術式修正を施しました。その甲斐あってか、薬の効果は向上しましたが、思いもよらない副作用も出てしまいました。一度秘薬を飲んだ者は死亡後の自動的な肉体蘇生の解除をすることができなくなってしまったのです。私はその不具合に気づかないまま、薬を飲んでしまいました。そして私は不老不死の肉体になってしまったのです。しかし、それは私の望んだことではありませんでした」


ルッテの頬を涙が伝った。


「神よ。私はもう死にたいのです。死んで冥界へ行き、レオ・バロウ様の魂と一緒になりたいのです。それをずっと夢見ております。いつ私にその時は訪れるのでしょうか。矢で心臓を射貫かれても、斧で首を切断されても、私は死ぬことができません。あとはもう神に祈ることしかできません。主神エルランよ、どうか、私に正しき死をお与えください――」


すると、白く輝く一羽の鳥が、壁の高い位置にめ込まれたステンドグラスをすり抜けて、展示ホールの中へと舞い込んできた。

白い鳥は細い光の糸を引き、輝く粒子を撒き散らして、レオ・バロウの石像の肩の上にとまった。

やがて黄金を溶かしたようにひときわ強く輝いたかと思うと、人の姿へと変容する。

頭上に光る円環を戴いたその神々しい姿は、まさに古文書に描かれた天使そのものであった。


「貴女が、大英雄レオ・バロウの想い人、ルッテ・フィオーナですね」


「あなた様は!?」


完璧な美しさを備えた天使の姿にルッテは目を奪われた。

そして畏敬いけいの念を抱き、厳粛げんしゅくな面持ちで再び祈りの姿勢をとった。


「あなた様は、どこのどなたでございましょうか?」


「私は天使ルルリエ。天界の使者です」


「ああ、なんということでしょう! 天使ルルリエ様、まさか私の声を聞いてくださったのですか?」


だが、天使ルルリエは冷然とルッテを見下ろした。


「いいえ。なぜ私が貴方のような罪深い女の願いを叶えてやらねばならないのです?」


するとルッテの顔が引きった。


「私は冥界を彷徨う大英雄レオ・バロウの魂の願いを聞き入れ、たまたまここへ訪れただけです。貴女のためではありません」


「レオ・バロウ様の!?」


「貴女は神の摂理を穢したのですから、もっと身の程をわきまえなさい」


「それはまさか、禁忌魔法の……」


「『輪廻の破壊ラプラス・デストラクション』は、世界の秩序を崩壊させる。故に地下神殿に封じられていたのです。それを許可なく発掘して使用したばかりか、あまつさえその禁忌魔法に独自のアレンジを加えて、自ら不老不死の肉体を勝手に手に入れてしまうなど、あまりに人間として逸脱いつだつした行為です。よって貴女が天界の保護を受けることはできないことになりました」


「そんな……!」


「それに、貴女の罪はそれだけではありませんよ?」


「……え?」


「ルッテ・フィオーナ、貴女のために、大英雄レオ・バロウは天界へ行くことを拒みました。彼は貴女の魂が冥界へ来るのをずっと待っているのですよ。今も、この瞬間も。それがどれほど残酷なことか、貴女にわかりますか?」


ルッテの瞳に涙があふれた。


「レオ・バロウ様も私を……!」


「彼は生前にあらゆる徳を積んだ男。今すぐにでも天界へ行くべき類い希な傑物けつぶつです。それを禁忌魔法『輪廻の破壊ラプラス・デストラクション』の効果によって邪魔していること。それが貴女の二つ目の罪です」


「私は、どれほど待っても死ぬことはない……つまり、永劫にあの人を待たせるだけ……」


「天界へ行くことができなかった魂がどうなるか、貴女にわかりますか? 彼の魂は、地獄に墜ちたのですよ。あの果てしなき奈落の世界に……!」


「そ、そんな……!」


ルッテは劇薬を呑み込んだような異様な形相を浮かべた。


「私のせいで……レオ・バロウ様が! ああ、ああ!」


「彼は何一つ悪いことなどしていないのに。いえ、それどころか生前あらゆる善行に身を尽くし、一億人以上の民の命を救ったあの大英雄が! 貴女のために地獄に墜ちたのです! こんなことは決してあってはならないことです! そうではありませんか?」


ルッテは青ざめて絶望の表情を浮かべた。


「あの人が恐ろしい地獄に! なんということでしょう!」


「それもただの地獄ではありません。どんな大罪人でも滅多なことでは行くことがない特別な地獄です! その名も……」


「その名も?」


「『エロエロ地獄』!」


「……ん? エロエ」


「『エロエロ地獄』です!!!」


「んん???」


ルッテの目が白黒した。


「そこは大英雄レオ・バロウのために特別に作られた地獄のエリア――。天界へ昇る準備として貴女という女への未練を断ち切ってもらうためにです。そこでは地球と呼ばれる異世界の、エロゲなる殿方向けのエッチなゲームを下地に開発された萌えのテーマパークが営まれています。ここに集められた冥界の美少女達は、ひたすらにレオ・バロウの魂をやし、彼を満足させるためだけに存在しています。いかにかたくななレオ・バロウも、長くここで生活すれば、いずれ無数の美少女達の誰か一人くらいは気に入ることでしょう。彼が貴女を忘れるのも、もはや時間の問題と言えます。たとえどれほど二人が強く想い合っていたとしても、この『エロエロ地獄』のありとあらゆるバリエーションを揃えた萌え少女たちの前には無力なのです!」


天使ルルリエは余裕の笑みを浮かべた。


「は……?」


ビキビキと音が聞こえてきそうなほどルッテは怖ろしい顔になった。

毛先にまで怒りをみなぎらせて、天使ルルリエの顔を凝視する。


「随分と反抗的な態度ですね。どうやら私の話を、まだ飲み込めていない様子です。でしたら、貴女にも少しだけ向こうの様子を見せてあげましょう」


すると天使ルルリエは指先で宙に輪を描いた。

そこに鏡のような異質な物質が現れて、冥界でのレオ・バロウの様子が映し出された。


そこはどうやら日本の高校を模した場所のようである。

冥立めいりつドキドキ学園>

と刻まれた門がある。

そこへ二人の美少女に挟まれたレオ・バロウが登校してきた。

彼の両腕に組み付いているのは桃色髪の美少女ルーニャと、金髪ツインテールの狐娘シュナだ。


「あ、お兄ちゃん、肩に糸くずがついてるよ? お兄ちゃんったら、身だしなみはちゃんとしないとダメだよ? ホント私がいないとお兄ちゃんはダメなんだから」


「なあレオ、学校終わったら何して遊ぶ? そうだ、アタシと川に釣りに行かないか? どっちがたくさん釣れるか勝負しようぜ! な、いいだろ?」


レオ・バロウは少し困った顔をする。


「お、お前たち、あんまりべたべたと俺にくっつくな。もしこんなところをルッテに見られたらどうするんだ!」


ルーニャは少し意地の悪い笑みを浮かべる。


「フッフッフ。ここは冥界だよ、お兄ちゃん。生きてる人間に今の私達の姿が見えるわけないでしょ?」


シュナは尻尾を振って子供のように訴える。


「見られたからって何が困ることあるんだ? アタシは別に困らないぞ。それより今日何して遊ぶか決めようぜ。なあ、なあ、レオってばー!」


映像は不意にプツリと途絶えた。

天使ルルリエは勝ち誇った笑みでルッテを見下ろした。


「とまあ……そういうわけです」


「そういう? ……どういう? まったく意味が分かりませんわ!」


ルッテは目元をピクピク痙攣させた。


「ああ、そうそう、私もレオ・バロウから頼まれていたことを忘れるところでした。フフ、これを持ち帰れば、彼は天使である私のことをもっと必要とするでしょうね。もっと、もっと、この私を……」


天使ルルリエは背中の羽をパタパタと振りながら、当たり前のようにガラスをすり抜けて、ショーケースの中の「勇者の剣」を抱えた。


「こら! 何をするのです! それは……!」


すると天使ルルリエは平然と言い放った。


「おや? レオ・バロウの形見なんて、貴女にはもう必要ないはずです。貴女と彼の魂は二度と会うことはないのですから。貴女もレオ・バロウのことは忘れてしまいなさい」


「待ちなさい!」


ルッテは制止しようとしたが、天使ルルリエはすぐに白い鳥に変化して飛び立ってしまった。

元来たようにステンドグラスをすり抜けて空の彼方へと飛び去っていく。

ガラスのショーケースの中に目を戻すと「勇者の剣」はすでに忽然こつぜんと消えてしまっていた。


ルッテの肩がわなわなと震えた。

いつも冷静沈着な彼女の、息が荒い。

ちょうどそんなところへ騎士団長が駆け込んできた。


「ルッテ様、何やら声がしましたが、何かありましたか? もしやまたもや不審な輩が!?」


ルッテはすぐに冷たく澄んだ瞳になると、振り返って爽やかに言った。


「騎士団長、そう言えば北の山岳地帯にゴブリンの巣ができつつあると言っていましたね?」


「は、はい。調査隊の報告によると予想以上に大規模とのこと。今集めている冒険者だけでは少々厳しいやもしれません」


騎士団長はいつも通りに受け答えしながら、なぜか戦慄が走って身がすくんでしまった。

ルッテの澄まし顔が、どこが、とは言いにくいのだが、まわりの空気に触れただけで火花を散らしそうな物凄い形相に感じられたからだ。

これが人間の第六感というやつだろうか。


「討伐作戦は中止にしてください。誰も北の山岳地帯には近づかせないように」


「はい? しかし――」


と言いかけて、ゴクリと騎士団長は生唾を飲み込んだ。


「今決めました。ゴブリン達は私が直々に討伐します」



◇◇◇◇◇



オーレンシアの上空には黒雲が渦巻き、不穏な空気が流れていた。

ルッテは聖堂のバルコニーに立つと、遠い北の山岳地帯を眺めて、呪文を唱え始めた。


「聖なる天空の神々よ、その理力によりて忌まわしき者どもを払いたまえ――」


やがて、天変地異の前触れのように雲に裂け目が生まれた。

光のカーテンが玄武岩の鎧を着た大地に降りかかる。


「我に真理と裁きの力を! ――セレスティアル・スーパーノヴァ!!!」


それは魔王アクゾディアスを魔界の門に封じたのと同じ最高位の光魔法だった。




◇◇◇◇◇



「ゴブ? ゴブゴブ?」


山岳地帯の地下要塞では戦の準備をしているゴブリン達が謎の震動に襲われていた。

ガタガタとまるで地震が起きたかのように床が揺れている。

やがて分厚い岩盤にピシッと蜘蛛の巣状の亀裂が走った。


「?」


突如として、無数の光の矢が天井からキュンキュンと降り注いできた。いたる方向から大きな岩が壊され転がり、粉砕される音が響いてくる。

暗いはずの地下空間は、真昼のような明るさに包まれた。

光魔法による容赦のない絨毯爆撃じゅうたんばくげきである。

地下砦のゴブリン達は、連鎖爆発している火薬庫の中にいるような状態になった。


「ゴブーーー!!!」


瞬時にして、あたりは阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図と化した。

砦の太い木枠は木っ端微塵に砕け散り、ゴブリンロードの巨体はゴムまりのように弾け飛んだ。岩のえぐれた部分は白熱してアイスクリームのように溶けて蒸発する。天井は剥がれ落ち、細い無数の坑道も次々と岩盤が崩落して埋まっていく。もはや彼らにはどこにも逃げ場がない。

ひたすら無差別に天空から襲いかかるまばゆい閃光に晒され続け、待てども待てどもそれは一向におさまることはない。

目の前のあらゆるものが物質から光に変わっていくのを彼らはただ恐怖と絶望の中で見つめていることしかできなかった。



◇◇◇◇◇



バルコニーから遠い山岳地帯を見つめるルッテの目にはさらに一段と凶暴な色が宿った。


何よ!

何よ……!


「レオ様の、レオ様の、バカちんがあああああ!!!」


ドグアァアアアァアン!!!


北の山岳地帯に巨大な光の柱が立ちあがり、ぶ厚い岩盤に守られていた地下世界は、風に無抵抗な紙くずのように地上へとめくれあがり大気中に浮き上がった。

ポップコーンのように宙へ放り出されていく武装ゴブリン達は天空の壮麗な光に包まれる。そして彼らの脳裏には、人間への圧倒的な敗北感が刻みつけられたという。

二度と楯突いてはならないと――。


ルッテは歯を食いしばり、口惜し涙を流した。


「浮気なんて、浮気なんて……私は、絶対に許しませんからああああああああああ!!!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る