第4話 最強の“妹役”ルーニャ登場!

ここは冥界のどこか。

松明の炎に照らされた仄暗い一室がある。

黒いローブに身を包んだ背の高い女と、それにかしずく娘が一人。

二人ともフード付きの黒いローブに身を包み、見るからに妖しい雰囲気を醸し出している。


「わかっていますね、ルーニャ。これから冥界史上最高ランクの大英雄が、この『エロエロ地獄』にやってきます。これは我々にとって千載一遇のチャンスですよ」


「はい。わかっておりますわ、お母様。その男のパートナーに選ばれれば、我々は念願の天界へ行けるばかりではなく、天界へ行ってからも超VIP待遇は間違いなし」


「そうです! そして、お前のその美貌! 知謀! 一族の中でお前ほどこの男を籠絡ろうらくするに相応しい逸材はおりますまい」


「ククク。お任せください、お母様! 必ずやこのルーニャが、大英雄レオ・バロウを愛の奴隷に仕立て上げてみせますわ」


「頼みましたよ、ルーニャ! 母はあなたが勝つと信じてますよ。でも、やっぱり心配で心配で……」


「お母様が心配する必要などありませんわ。とある情報によればその男、まだ性愛の歓びを知らぬまま死んだとのこと。この男が生前にどれほど女を我慢して生きてきたのかは想像に難くありません! そして、そんな男の目の前に、この私の美貌! 知謀! あまりに結果が見え透いていて、ちょっと物足りないくらい……」


「ですがルーニャ、油断は禁物ですよ。その男のパートナーに選ばれたいと思っている女は他にもいるのです。どんな邪魔が入ってくるかわかったものではありません」


「ちゃんとそのことも心得ておりますわ、お母様。この『エロエロ地獄』にいるすべての女の中でこのルーニャだけが圧倒的に優位なポジションになるよう既に手は打っております! もはや勝利は揺るぎないかと」


娘の横には冥界図書館から持ち出された膨大な数の薄い本が積み上げられていた。


「さすがルーニャですわ! ならば、もう我々の勝利は決まったも同然ですわね!」


「うふふ!」


「おほほ!」



◇◇◇◇◇



「お兄ちゃん、目を覚まして」


少女の声がする。

うすらぼんやりとした意識の中に、聞き慣れない少女の声が何度も呼びかけてくる。


「もう、お兄ちゃんってばぁ、早く起きないと学校に遅刻しちゃうよぉ?」


お兄ちゃん?

学校、だと?

いったい何のことだ……?


「ほら~お兄ちゃんってば。起きないとぉ、ルーニャが~、イタズラしちゃうよぉ~?」


イタズラ? 俺に何をする気だ!?


「そうだ! お兄ちゃんに添い寝ドッキリしちゃおうかな~♪ 目が覚めたら愛しの妹が添い寝している。うふふ、ウブなお兄ちゃんはきっと目を覚ましたらビックリするに違いないよね♪ あ、でもぉ、寝ぼけたお兄ちゃんにいきなり抱きつかれたどうしよう! ……ま、いっか。そのときはそのときだよね。お兄ちゃんになら、別に……だって、私はお兄ちゃんのこと……」


ぎしっ

ぎしっ

ベッドのスプリングの軋む音と共に誰かの体重が乗っかってマットが傾くのを感じる。

横に誰かが寝そべって、その体温がじんわりと伝わってくる。

甘い吐息が耳元にかかった。


「お兄ちゃん……んふっ」


耳管に甘い息が吹き込んできて、脳髄の奥からゾクゾクとした感覚が襲ってくる。

やがて、するり、するり、と胸の上に何かが這っていく感触がした。

熱が、伝わってくる……。

人肌のぬくもり……だろうか。

何かが腕のあたりに……。

柔らかい感触がぷにゅっと押し当てられているような……。

布越しでも伝わってくる甘美で神秘的なやわらかさ……。

まるで女の……。

女の??


う、うかうかと寝ている場合ではないぞ!!


急激な危険信号がレオ・バロウの頭脳の中で炸裂した。

彼はガバッと身を起こすと、ベッドから跳躍して後ずさりし、そばにあったスタンドライトを掴んで身構えた。

まるで巣穴から飛び出した野生の熊のように侵入者に牙を向ける。


「何者だ!!」


ベッドの上には学校の制服姿をした桃色髪の華奢な美少女が横たわっていた。

いや、華奢と言っても、出るところは出ている。

成人女性と比べても遜色のない胸と尻の膨らみだ。

若い見た目のわりに妙に色っぽいむっちりした体型をした少女である。


「ちょ、お兄ちゃんどうしたの? びっくりしたよぉ!」


「いま俺に何をしようとしていた?」


「お兄ちゃん、汗がすごいよ? 何か悪い夢でも見てた?」


「答えろ!」


少女は肩をすぼめた。


「も~いきなり怒鳴らないでよ、お兄ちゃんにちょっとイタズラしようとしただけじゃ~ん」


“お兄ちゃん”というのはもしかして俺のことを言っているのか?


レオ・バロウはちょうど真横に置かれていたスタンドミラーを見た。

オーレンシアでは見たことがないほどよく磨かれたピカピカの鏡である。

そこには若々しい青年姿の自分が立っている。

しかもいつの間にかパジャマを着ている。


そうだ! 思い出したぞ……。

俺はたしか天使ルルリエに肉体を若返らせてもらったのだ。

そして、その直後に意識を失って……。

そうか、ここはもう『エロエロ地獄』なのか!!

どうりで得体の知れない女にエロいことをされそうになっているわけだ!


ぼんやりとしていた意識が覚醒した。

レオ・バロウはキョロキョロと周囲を窺った。

そこは標準的な日本の現代家屋を模した個室だった。

と言ってもレオ・バロウは日本のことなど全く知らないので、彼にとっては見慣れないデザインなのだが、材質がオーレンシアとは違っているだけで、置いてあるものが椅子や机やベッドであることは見た目でだいたいわかる。


ここが『エロエロ地獄』なのか?

思っていたほどけばけばしい世界ではないようだ。

むしろ簡素ですっきりしている印象だな。


レオ・バロウは改めて目の前の桃色髪の少女に焦点を定めた。

ゆるくふわりとした髪が肩のあたりで内に巻いている。

肌は色白で、目がぱっちりと大きく、ややあどけなさはあるが、人形のようによく整った顔立ちの少女だ。


「つかぬ事を伺うが、“お兄ちゃん”というのは、俺のことを言っているのか?」


桃色髪の少女は指を一本唇に当てて小首を傾げる。

きょとんとした瞳。


「そうだよ、お兄ちゃん?」


まるでそれは当然の事実であると言わんばかりの口ぶりだ。

レオ・バロウは慎重に質問を変えた。


「もしや、誰かと人違いをしているということはないだろうか?」


すると少女は茶目っ気のある優しい表情を浮かべた。


「もう、お兄ちゃんってば、まだ寝ぼけてるのー? こんなに可愛い妹のこと忘れちゃった~?」


両手を広げて抱き締めて、のポーズ。


レオ・バロウはさらに緊張して身構えた。

逃げ道を探すように視線が泳ぐ。


少女の素足が白いシーツの上をするりと動く。

ちょこんと足先が床につくと、彼女は身を起こしてレオ・バロウのほうへすりすりと歩み寄ってきた。

身長が彼より低いために、近づくほどに上目遣いになっていく。

くりっと瞼を押し上げるような上目遣い。

その瞳に、一瞬だけメラメラと炎のようなものが宿った。


さあ、大英雄レオ・バロウ、私の虜になりなさい。

“妹”が嫌いな男なんてこの世にいないのよ!

私は冥界図書館で『アキハバラ』と呼ばれる異界の書物をたくさん読みあさり研究に研究を重ねてきたのよ。

そして私はついにたどり着いたの!

“妹”こそ最強であるという『真理』に!

この家も『エロゲエ』と呼ばれる異界の作品世界を完璧に再現しておいたわ!

我ながら恐ろしくなるほどの用意周到さ!

さあ、為す術もなく私の虜になりなさい!


「お兄ちゃん、だーい好き!!」


あどけない少女は満面の笑みでレオ・バロウの腕にピトッと身を寄せてきた。

その瞬間であった!


「やはり貴様は魔女の手下かあああああ!!!」


レオ・バロウは少女の体を担ぎ上げた。

宙に浮いた少女の視界は天地が逆転する。


「え、ちょ、ぅええええ!?」


「せええええいいい!!!」


レオ・バロウは思い切り少女をブオンッと投げ飛ばした。


ドッシャーン!!


背中に強烈な衝撃が走った。

クローゼットの扉の板がバキバキに割れて、破片が飛び散り、目の回った少女は中に掛けてあった衣類に揉みくちゃにされた。


え? な、何、何なの!? この状況は!?


目をパチクリとさせながら、あられもない姿をレオ・バロウに見下ろされていることにハッと気づいた少女は悔しさに顔を歪めた。

恥辱と怒りが沸騰する。

彼女はバネのように跳ね上がって、大きく叫んだ。


「ちょっとー! 何するのよー!! 冥界じゃなかったら死んでるよ!? 馬鹿なの!?」


レオ・バロウは冷然とした表情で答えた。


「そのわりには傷ひとつないようだな。さっきの身のこなしからして、ただの女ではないはずだ。若い女の姿で睡眠中の男を襲うというのは、エンリゲの森で人々を惑わしていた魔女マーネリカがよく使っていた手だった。何者だ、正体を明かせ!」


レオ・バロウの投擲とうてきしたスタンドライトが、少女の耳を掠めるようにして、ドンッと壁に突き刺さった。

壁が吸収しきれなかったエネルギーが、ブルルンっと突き立ったスタンドを小刻みに震えさせる。

容赦のない一撃。

少女はビクッと身をすくめた。

これはヤバい、という危険信号が少女の本能にも訴えかけてくる。

この男の心はどうやら今も戦場にあるようだ……。


「こ、この戦闘おバカ! 前世のことはもう忘れなさい! 私は魔女なんかじゃありません! 今さら誰もあんたを騙したりしないの! 大英雄はもう死んだんです! だからこれ以上死ぬ心配も、殺される心配もしなくていいんですー!!」


だがレオ・バロウの眼光は鋭いままだ。


「騙す必要はないと言うが、お前のやっていることはそれと矛盾しているのではないか。そもそも俺に妹はいない! なぜそのようなあからさまな嘘をつく必要があるのか! 答えろ!!」


「もう~!! 頭が固い!」


少女は地団駄を踏んだ。


「あいにく俺はまだ冥界に来たばかりでな、こちらの事情はよく知らぬ。無知な俺にもはっきりとわかるように説明してくれなくては、簡単に納得せぬぞ!」


「わ、わかったわよ! 説明してあげるから、いったん落ち着いて!」


「よし、聞こう!」


「私はただ喜ばせてあげたかっただけなの。それなのに……」


少女は目尻に薄く涙を浮かべて、悲しそうに小さくぼやいた。

それを見てレオ・バロウはばつの悪い表情を浮かべた。

身構えていた体勢をゆっくりと緩めていく。


「見たところ、俺に対して敵意はないようだが……」


「敵意なんてないよ! だって、私達これから一緒に暮らすんだよ?」


「一緒に暮らすだと? どういうことだ?」


「そう、キミはこれからこの家で私と一緒に生活していくの!」


「な、なんのためにだ!?」


「だって知らない土地に来て、いきなり一人では暮らしていけないでしょう?」


「な、なるほど! ……そ、そういうことであったのか」


レオ・バロウはあご先に指を当てた。


「ホントにわかったの?」


「つまりお前さんはホストファミリーというわけだな。ふむ。歓迎のつもりでサプライズをしたが、俺がイタズラに本当にびっくりして暴れてしまったというわけか。ハハハ! いや、これはすまなかったな。咄嗟のこととはいえ、投げ飛ばしてしまったことは謝らなくてはなるまい!」


少女は簡単に許しませんよと言わんばかりにぷいっと顔を振って、横目に彼を睨みつけた。


「大丈夫か? 怪我はしていないか? 本当に申し訳なかった!」


ふーん。

いちおう最低限の気遣いはできるようね。

意外と素直な性格?

それによく見れば、なるほどけっこういい体してるわね。

さすが大英雄と言われるだけあるわ。

さっき私の体を軽々と持ち上げて投げ飛ばしたあの豪腕!

あの肩幅の広さといい、襟首に覗く鎖骨といい、なかなか、うん、なかなか悪くないわね……。


少女はムフフと笑みを浮かべて、気を取り直した。


「ここは地獄よ。地獄では何をしたってキミの好き放題。だから、気にすることはないわ。女の子をぶん投げようが、クローゼットをぶっ壊そうが、それはキミの自由。弁償だって別にしなくていい。ここではお金の心配なんてしなくていいもの」


「ほう? 地獄というのはそういう場所なのか? 法律がないのか? 金の心配もいらないとはすごいな! だが、俺はわけもなくここで暴れるつもりはないぞ。ただ、最初からこの状況をわかるように説明して欲しかっただけだ。もう回りくどい方法はやめてくれ!」


「わかったわ」


「するとつまりこういうことだな! ここでは年上の男のことを親しみを込めて“お兄ちゃん”と呼ぶのだな? そういうことだろう? それなら納得がいくぞ! ハハハ」


「んー、それはちょっと違うかなー。これはキミと私だけの特別な関係だから……」


少女は妙にまた色っぽい顔つきになると、そろりそろりとレオ・バロウの体に近寄り、「だって」と秘め事のように耳元で小さく囁いた。


「だから頼むから、普通に言ってくれないか?」


「んふふ。ちゃんと理解して欲しいの。いい? 私はキミの“実の妹”っていう“設定”なの……」


「せ、設定!?」


レオ・バロウは口を開けたまま、頭の中が真っ白になった。


「ほら~、わかるでしょ~? ここは冥界の、しかも~、何でもありの『エロエロ地獄』なんだよ? ね? ここでは私達は何をしても自由なのよ!」


湿っぽい声がレオ・バロウの鼓膜をくすぐる。


つまりこの女、俺と“実の妹”という“設定”で甘い寸劇を演じるつもりだったのか?

『エロエロ地獄』とは、つまり、そういう男女の遊戯をするための場所なのか??

そ、そういえば、天使ルルリエもこの『エロエロ地獄』で天界へ連れて行くパートナーを探せと言っていたな。

まさかそれは、こういった遊戯を通して、俺好みの女を探せということなのか?

い、いや、しかし俺にはルッテという心に決めた女性が既にいるのだ!

俺が愛しているのはルッテただ一人!


「冥界の遊び心は俺にはわからん!」


レオ・バロウは少女の誘惑を振り払って一歩退いた。

それを見て少女はさらにたたみかけた。


「冥界の常識とかは関係ないでしょ! これは全世界の男の子共通の夢なの! 憧れのシチュエーションなの!」


少女は大きく腕を広げた。


「だから叶えてあげてるのよ! その夢を! 妹は世界で一番可愛いでしょ! 男の子なら100人中100人が妹欲しいでしょ! わ-か-れーー!!」


「わーかーらーぬわー! それに、そう言われても、俺には妹などいたことがないのだ! 急に妹がいるフリをしろと言われても、できるものではない!」


「じゃあ早く慣れて! この世界では私が妹で、キミがお兄ちゃんなの! そして私達兄妹は仲良く一つ屋根の下で暮らしているの! そういう“設定”なの! わかった?」


頬に両手を当てて少女は「キャ」と可愛い声を発した。


「お、俺たちはこの家でホントにこれから一緒に暮らすのか!? 兄妹として? お前が……俺の妹だと!?」


「これって素晴らしい状況だと思わない? 思うでしょ? 憧れちゃうでしょ?」


「お、俺はこんなことを望んだことは一度もないぞ! そ、それに、そういう押しつけがましいのは……」


「のはー?」


「……嫌いだ!!」


「にゃ、にゃにぃ~!!!」


き、嫌い、って言った!?

いまハッキリと嫌いって言った!?

ありえない!!!


少女はギリギリと歯噛みした。


い、いや、落ち着きなさい!

言われてみれば、確かにちょっとばかり押しつけがましかった、かもしれない。

ここで、これ以上しつこく迫るのは得策じゃない、かもしれない。

で、でもでも!

やっぱり妹ラブこそ至高の、いえ至尊のシチュエーションでしょ? 私の結論は間違っていないと思うの!

でも、ああ!

この人、けっこう警戒心が強いし、男の世界しか知らずに生きてきた系の人だもんね……。

すぐに妹の良さを理解させるのは難しいってこと?

まだ早かった!?

こうなったら時間をかけて……


「ととと、とにかく、私はお兄ちゃんのサポート役で超かわいい妹のルーニャよ! いい?」


「ル、ルーニャ、というのか?」


「そうよ! ちゃんと私の名前覚えてよね! 今日はお兄ちゃんのために頑張って朝ご飯作ったんだから、早く居間に降りてきて! もう~、お兄ちゃんのバカぁー!」


バタンと大きな音を立てて、ルーニャは個室のドアから通路の向こうの階段へと降りていった。


一人残されたレオ・バロウは、まだ状況をよく飲み込みきれないまま呆然としばらく突っ立っていた。


居間では、姿見の前でルーニャが呼吸を整えていた。


まだまだ勝負はここからよ!

だって、私の大好きな『アキハバラ』の書物が間違っているはずがないもん!

“妹”こそ最強であるという『真理』の正しさを絶対に証明してみせるわ!

この私の美貌! 知謀、に狂いはなし!

絶対にあいつを妹ラブなお兄ちゃんに変えてやるんだから!


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