第2話 レオ・バロウ 閻魔大王の真意を知る


レオ・バロウが連れ出された長い通廊には両側にずっと窓が続いており、そこから地獄の大地が広がっているのが見えた。

どうやらこの通廊は地獄の上空に位置しているようだ。


窓の向こうはまるで嗜虐のテーマパークのようだった。

針の山や血の池や煮え立った釜があり、罪を犯した獄人ごくじんたちが金棒を持った鬼に追い立てられて逃げ回っている。

捕まった獄人ごくじんは鬼に金棒で殴られて、やがて動かなくなると地面を引きずられて釜茹でにされる。


眼下の阿鼻叫喚を目にして、レオ・バロウは苦虫を噛み潰したような顔をした。


やがて通廊は大きな扉で行き止まり、その扉がギギッと軋みを上げて厳かに開いた。

奥の広間の中央には威厳のある立ち姿の鬼が待っていた。

レオ・バロウを連れてきた鬼たちはそこで一礼し、レオ・バロウだけを残して退出していった。


「よく来たな。レオ・バロウ。私はこの地獄の管理者グルガンだ」


グルガンは何か含みのある笑みを浮かべて、親しげにレオ・バロウに語りかけてきた。


「ここへ来るまでにお前も通廊の窓から地獄の景色を見てきただろう。一つお前の感想を聞かせてもらおうじゃないか」


レオ・バロウは表情を変えずに答える。


「ろくなもんじゃないな」


なんとも率直な答えだった。

それ以上でもそれ以下でもない、と言わんばかりに他のことは何も口にしない。

グルガンは口角を上げた。


「なるほど。噂通りに肝の据わった男だ。あの光景を目にしてもなお冷静さを失わないとはな」


軽く褒められたところでレオ・バロウの表情は一向に変わらない。

グルガンは少しばかり面白くなさそうに口をへの字した。


「これからお前の所属する地獄をどこにするのか決めることにしよう」


グルガンは大仰な仕草で使いの鬼に号を発した。


「地獄のルーレットを用意せよ!」

「はいさ!」


グルガンの声に応じて脇に控えていた小さな使いの鬼たちがせっせと巨大なルーレットをレオ・バロウの手前に運んできた。

また、鬼の一匹はレオ・バロウにダーツの矢を一つ渡した。

レオ・バロウはそのダーツを受け取ってから、何をさせられようとしているのか理解しようと、戸惑いつつもルーレットをよく眺めた。

ルーレットは大きな円板の形をしており、パイ分けをするように線で区分けされている。

そして、それぞれの領域に地獄の名称が書き込まれていた。


針地獄

焦熱地獄

凍結地獄

電気地獄

真空地獄

餓鬼地獄

毒地獄


どの地獄の名称からも良い想像は全くできなかった。

そんなレオ・バロウの苦々しい表情を読み取ったかのようにグルガンは嗜虐的な笑みを浮かべて、再び号を発した。


「使いの鬼どもよ! ルーレットを回せ!」

「はいさー!」


使いの鬼たちはルーレットを勢いよく回し始めた。


「レオ・バロウよ、そのダーツを投げるがいい! その刺さったところがお前の行き先だ!」


レオ・バロウは躊躇し、すぐにダーツを投げようとはしなかった。


「何をしている! 投げろ、レオ・バロウ! 大英雄ともあろう者が臆したのか! さっさと投げるがいい!」


くっとレオ・バロウは歯噛みをした。


「俺の人生に悔いなどない。誰にも恥じることのない人生だった。俺は多くの素晴らしい感動をこの目で見てきた! 努力して自分の弱さを克服したときの感動、新たな知識を得た感動、仲間と共に目標を成し遂げたときの感動、苦しんだ人々を助けて、彼らから感謝されたときの感動。それらの感動が俺の心を完全に満たした! 俺はこの人生は本当に素晴らしいものだったと思っている! 思うがままに自分の意志を貫いて死んだ! その俺がなぜ、地獄に墜ちて苦しまなければならないのか!」


「いいから、ダーツを投げろ!」


グルガンは喚いた。

だがレオ・バロウは粘る。


「グルガンよ、お前はただ閻魔大王の決定に従うだけの操り人形なのか? お前には俺と同じ心はないのか? お前もこの俺は地獄で苦しみを味わうべきだと考えているのか? お前の本当の心を教えてくれ!」


「ええい! 往生際が悪いぞ、レオ・バロウ! もう我慢がならん! お前の行き先は私が勝手に決めてしまうことにしよう……もうダーツなど投げる必要はない!」


「くっ」


レオ・バロウはついに観念してダーツを投げた。

ぶすっと突き刺さる音がする。

ゆっくりとルーレットの回転が遅くなっていった。

その場の誰もが目を凝らしてダーツの刺さった位置に注目した。

ダーツの矢先はどうやら針地獄と焦熱地獄のちょうど境界部分に刺さったようだった。

レオ・バロウは浮かない表情でその様子を眺める。


「さて、針地獄と焦熱地獄のどちらに刺さったのか、もっと近づいてよく見なければわからんな……」


グルガンは後ろ手を組んで悠然とルーレットに近づいていく。


「どれ、近づいてもまだはっきりとよくわからんぞ。使いの鬼よ、私に虫眼鏡を持ってまいるがよい!」

「はいさー!」


グルガンは駆け寄ってきた使いの鬼から虫眼鏡を受け取ると、ダーツの刺さった根元部分を拡大して見てみた。


「ぬぬ? な、なんだこれは!?」


レオ・バロウは訝しげに目を眇めて、グルガンに近寄り、自分も虫眼鏡のレンズの中を覗き込んでみた。


境界部分には大きく拡大しなければ見えないほどの小さな小さな枠があった。

そして、そこには「エロエロ地獄」と書かれている。


「なんだこの『エロエロ地獄』というのは?」


グルガンは満面の笑みでダーツを引っこ抜いてから、レオ・バロウに語りかけた。


「これはまた珍しい地獄を引き当てたな!」

「これは何かの冗談なのか?」


グルガンは大笑いをした。


「このダーツはお前の魂に相応しい行き先を自動的に選んでくれる神通力を持ったダーツなのだ。この結果はもちろんただの偶然ではないし、ましてやこの場限りの冗談でもない。この『エロエロ地獄』という名前から、お前にも大方の予想はつくのではないか?」


「ん?」


「お前にはまだ閻魔大王さまのお心がわからぬか!」


「はっきりと言ってくれなければわからぬ!」


「では教えてやろう。本来ならば、お前の魂が行くべき所は天界だった。だが天界というのは少々堅苦しいところでな、たしかに平和で穏やかな場所ではあるのだが、破廉恥で刺激的なことは良しとされぬ。そういうところなのだ。であるから、地獄のエリアにこっそり隠れるようにして作られたのがこの『エロエロ地獄』なのだ。つまり言ってみればここはエロエロ要素が足りない残念な人生を送った死者の魂のための保養地なのだ」


「んんん??」


「まだわからんのか! 要するにだ、ここは地獄とは名ばかり、実際には極楽なのだ! だからここにお前の魂を迎え入れるには、形式上お前の魂を獄人ごくじんとして裁く必要があったというわけだ。これでお前にも閻魔大王さまのお心遣いがわかったであろう!」


グルガンは親しげにレオ・バロウの肩に手を置いた。


「お前は確かに立派な男だ、レオ・バロウ。だが、大英雄の肩書きはさぞお前を苦しめてきたことだろう。お前はいつも自分を犠牲にして人々のために尽くしてきたのではないか? 重すぎる責任に押し潰されて喘いできたのではないか。何度も何度もこの重圧から逃げ出したくなったのではないか? ならば、どうだ! 冥界に来てまで肩肘を張って立派に振る舞うこともあるまい! お前はもう死んだのだから! お前は解放されたのだ! だったらこれからはもっと自分の欲望に正直になればいい! 楽になれ、レオ・バロウ!」


レオ・バロウは目を瞬かせた。


「有り難い話ではある。だが、そ、それはそれで少々困るのだが……」


「何をわけのわからぬことを言っている、レオ・バロウ! 一体何が困ることがあるというのだ! お前はこの閻魔大王さまのお計らいが気に食わぬと申すのか!」


「いや、それはこの通り感謝申し上げる。だが……、俺にはルッテという心に決めた女が、だな、その……」


もごもごと語尾を濁すレオ・バロウを見てグルガンは笑い飛ばした。


「くだらぬわ! お前が思っているよりもずっと閻魔大王さまはお前を見透かしていらっしゃるのだ! いずれお前もそのことがわかる日が来るだろう。いいから、お前は『エロエロ地獄』に行け! そして思う存分に冥界ライフをエンジョイすればいい! まったく羨ましい奴め!」


「いや、こ、困るのだ、グルガン殿。それは困る。もしもこのことがルッテに知られてしまえば……」


レオ・バロウはおたおたとし始めた。


「だから心配は要らぬ! お前はもう死んだのだ。もはや過去のしがらみに囚われることはない。何も気にせず行け!」


グルガンはレオ・バロウの背中を強く押し出した。

そしてその背中にグルガンは語りかけた。


「レオ・バロウよ、先ほど私の心を知りたいとお前は言ったな」


レオ・バロウは耳だけ後ろに傾けた。


「特別に教えてやろう。お前の人生は何も間違ってなかった。お前はよくやった!」

「グルガン殿……」

「お前はよくやった!」


グルガンは再びレオ・バロウの背中を強く叩くように押し出した。

レオ・バロウはなんとも煮え切らない顔をしたまま、白い扉の前に進み出た。

すると自動的にその白い扉が開き、美しい羽が背中に生えた白い衣の女が現れた。


「はじめまして、レオ・バロウ。私は地獄案内人の天使リリエナです。私が貴方を『エロエロ地獄』へご案内しましょう」


天使リリエナは、レオ・バロウがこれまで目にしたことがあるどんな女よりも絶世の美女だった。

そして彼の存在の全てを祝福するかのような微笑みが彼を温かく包み込んだ。

レオ・バロウは思わず目を瞠った。


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