第152話 裏路地から見上げる狭い空

「三代目、到着致しました……です」


 ワゴン車を運転していた中年男が、振り返りざまにそう告げてくる。

 恐らく無頼漢ぶらいかんとして生きて来たであろう四十過ぎの中年男。

 多少ぎこちなくも、その改まった口ぶりや態度を鑑みるに、これは彼なりの敬意を表しているのであろう……とは思われる。


 それはそうか……。


 狭真会きょうしんかいは西渋谷で最大の勢力を持つ暴力団組織だ。

 歳こそ若いが、自分はその三代目会長。

 この渋谷で生きて行くのなら、決して逆らってはいけない相手である事は紛れもない事実だ。

 もちろん、目の前にいる中年男が腹の中で一体どう思っているのかまでは分からないのだが。


「あ、ありがとうございます」


 あまり低姿勢になるなよ……とは、来栖くるすさんからの指示なのだけど。

 とは言え、四十過ぎの良い大人に対して、高校生でしかない僕が横柄な態度を取るのはやはりハードルが高すぎる。

 その結果、互いに何だか気まずい雰囲気となってしまうのは仕方の無い所だろう。


 そんな微妙な空気を打ち消すかのように、中年男が更に説明を続けた。


「そちら、見えますかねぇ……。あぁ、ココですココ。そのすぐ横の路地を入っていただいて。ほら……右手の大きな建物が目的のホテルです」


 見覚えがあるな。

 確か……四人目だったか、五人目だったか。

 結構早めの時間帯にキャストを送り届けたホテルで間違いない。


「あぁ、はい。覚えてます……大丈夫です」


 返事の途中、隣に座っている綾香あやかに目配せで確認。

 すると彼女も小さくうなずき返してくる。

 どうやら、ココで間違いは無さそうだ。


 送迎用の白ワゴンに乗っているのは僕と綾香あやかの二人だけ。

 来栖くるすさんや、車崎くるまざきさんは何かあった時に備えて事務所で待機。

 クロと真衣まい、それから香丸こうまる先輩の三人は、ビルの屋上伝いで、既にこのホテルへと到着していた。


 いまから二十分ほど前。


 綾香あやかはデリヘル店のスケジュール情報を元に、今時点で連絡が付かないキャストを全て抽出。しかも即座にホテルの住所と名前の一覧を作成し、真衣まいへとメールを送付してのけたのだ。

 流石は理系女子。末恐ろしいほどの手腕だ。

 文系の僕には到底マネできない。


 え? なんだって?

 男のくせに、その程度の事も出来ないのかって?

 ふん! 良いだろう別にっ。

 男だからって、全員が全員、計算に強いって訳じゃないんだからね。

 それって、セクハラだかんね。

 ホントマジで、訴えるんだからねっ!

 覚悟してよねっ! ぷんぷん!


 その後、待機していたクロチームがそれぞれのホテルを虱潰しらみつぶしに再チェックして行く事に。

 対象となったホテルは全部で十一軒。

 少し対象は多いけど、こればかりはどうしようもない。


 順番は最も長く連絡が取れていないキャストからと言う事で決定。

 早速一軒目のホテルへとクロ達に向かってもらったけど、残念ながら不発。

 魔力の流れは全く感知出来なかったそうだ。

 やっぱりこの方法もダメか? と思った二軒目。

 なんとラッキーな事に、早くもここでクロが魔力の流れを感じ取ったと言うのだ。


 結局綾香あやかの予想通りだったな。

 対象が早めの時間帯に送迎したキャストだった所を見ると、敵も用意周到、結構速い段階から準備していたと言う事だろう。

 しかも、クロの話では前回のファミレスの時とは異なり、結界の範囲もかなり絞っているらしく、屋上からでも感知するのが難しかったそうだ。その一事だけをみても、敵はこちらの対応にかなり警戒している事がうかがい知れる。


 僕と綾香あやかの二人は車の中から周囲をもう一度確認した後、後部ドアを開けて路地へと降りたった。


 時刻は既に深夜に近い。

 終電も間際となるこの時間帯では、人通りもかなり減っているようだ。

 しかも好都合な事に、路地ごとにたむろしていた警察官の姿も今は見えない。


犾守いずもり君、あまり目立つのも何だから。早くホテルに向かいましょう」


 真剣な眼差しでそう告げる綾香あやか

 彼女の表情からは、既に臨戦態勢と言って良い雰囲気が感じられる。


 いや、そうだけど。

 確かにそうなんだけどもぉ。

 なぁんか、違うんだよなぁ……。


 これから若いカップルがラブホテルに入ろうって言うんだよ?

 何つぅかなぁ。こう、もっとはなやいだって言うかさぁ。

 もっとキャピキャピしたっつぅかぁさぁ。

 もっともっとエチエチとして、エロエロとした雰囲気って、必要だと思うんだよねぇ。


 例えばさぁ……。

 僕がこう歩いてるとさぁ。

 僕の手がさぁ。

 ちょっと彼女のお尻とかに触れちゃう訳だよね。

 そりゃそうだよね。

 そう言う事もあるよね。

 だってカップルなんだから。

 ピッタリと寄り添って歩いてる訳なんだから。


 するとさぁ『きゃっ!』とか言っちゃう訳よ。彼女がね。

 言うよねぇ。言っちゃう、言っちゃう。

 ちょっと初心うぶで、純粋な感じだからね。

 なんつったって、こう言う所が初めてだからね。


 そしたら僕もさぁ『あ、ごめんね!』とか言うわけよ。

『あ、わざとじゃないんだよ、わざとじゃ!』とか言いながらね。

 そりゃ言うよ。

 そりゃ言うでしょうよ。

 僕だって初心うぶで純粋だもの。

 なんつったって、僕だってこう言う所は初めてだからね。


 すると彼女がこう言う訳よ。

『あ、私の方こそごめんなさい。ちょっと緊張しちゃって!』って事になるよね。

 なるよ、なる。絶対になるって。


 そしたら僕も言うよね。

『いやいや、僕の方こそごめんね。僕なんてもっと緊張しちゃっててさ!』って言っちゃうよね。

 そりゃ言うよ。言う。絶対に言うって。


 となると彼女が『いえいえ私の方がもっと緊張してます』と言えば、僕は『いやいや、僕の方がもっともっと緊張しているよ』と言い張るわけよ。

 やがて……。


『あなたの三倍は緊張してるの』

『いやいや僕は十倍緊張してるよ』

『だったら私は百倍!』

『それなら僕は一万倍!』

『だったら……』

『それなら……』

『『……!!!』』


 もう延々と、その繰り返しよ。

 そしたらさぁ、急になんだか恥ずかしくなる訳よね。

 不思議なものだよねぇ。

 こんな場所に来るんだから、ヤル事ぁ一つだっつぅのにね。

 今更? 今更ここで、尻に触れたぐらいで?

 そんな事になるのかって?


 いやいやいや。

 なるよ、なる。

 間違いなくなるって。

 誰でもね。ホント、全員が全員そうなるって。

 そりゃそうさ。

 何しろ初めてラブホテルに入る訳だからね。

 なんつったって、ラブホテルよ。

 ラブなホテルな訳よっ!

 緊張するなって言う方が無理。

 全然無理。

 ホント、無理。

 むしろ緊張しすぎて、一体どこが緊張してパンパンになってるのかすら判断が付かないぐらいに緊張しちゃうのよ。

 ホントそれマジ普通だから。

 恐らくだけどさぁ、僕が総理大臣の前に出たとしても、ここまで緊張する事は無いよね。

 いやマジで。

 この緊張に比べれば。

 総理大臣に会うのなんて、全然緊張して無いのとほぼ同義。

 なんだったら総理大臣の目の前で、鼻に指ツッコんで大きめのヤツほじほじするぐらいは余裕だもんね。

 ホント、マジで出来る。

 全然出来るよね。


 って言うかさぁ。

 もう、そんな比較さえもバカバカしくなるぐらい、テンションマックスで爆上がりな話な訳なのよっ!

 ラブホテルに入るって、つまり、そういう事なのよっ!


 なのにっ。

 それなのにさぁ……。

 どうしてこの娘は分かってくれないのかねぇ。

 こう、なんて言うかさぁ。

 様式美?

 男のロマン?

 それが分かって無いんだよねぇ。


 なんだかなぁ。

 ホントもう、そんな怖い顔してたらさぁ。

 折角のラブなホテルが、ホントマジで台無しになっちゃうんだよねぇ!!


 僕はどうにも釈然としない思いを胸に抱きつつ、綾香あやかに導かれるまま、細い横道へと入って行ったのさ。


 ――ブルルルル、ブルルルル……


 ちょうどその時。

 胸元に感じるわずかな振動。


 おっ、着信だ。


 胸ポケットより取り出したスマホの画面には『香丸こうまる先輩』の文字が。


 ん? どうしたんだ? 何かあったか?


 僕は前を行く綾香あやかの肩に軽く触れてから、スマホの画面を彼女に向ける。

 すると彼女も何事かといぶかしく思ったのだろう。すぐに足を止め、スマホへと顔を寄せて来た。

 僕は応答ボタンを押下すると、そのまま音声をスピーカモードへと切り替えたんだ。


 ――ピッ


「もぉし、もぉぉぉし! 犾守いずもりくぅん! 私、わたしぃ! 見てみてぇ! ほらほら、上、うえぇぇ!」


 え?


 突然のハイテンション。

 聞こえて来たのは香丸こうまる先輩のハシャギ声だ。

 いや、飲んでる時は常にテンションの高い彼女なんだけど。

 今回は更に輪をかけて……と言うか何と言うか……少々異常と言っても良いレベルとなっている。


「「……」」


 無言のまま、ゆっくりと空を見上げる二人。

 ビルとビルに挟まれた裏路地から見える空は狭い。

 しかも厚く垂れこめた雲に地上のネオンが反射して、なにやら薄気味悪い感じまでする。そんな妖し気な雰囲気全開の空を、巨大なコウモリとも見紛う黒い影が横切って行くではないか!


「ひょほほぉぉい! ひゃっふぅぅぅ! 見てみてぇ! 私、飛んでるよぉぉ! 何かさぁ、アニメの主人公みたいじゃなぁぁい! 私っ、なったの。ついになったのよぉ! あの有名な大泥棒にぃぃ! その名もキャァッツゥゥゥ、ア……!」


 ――ピッ


 僕は無言で『切断』の赤ボタンを押下する。

 その後、何事も無かったかのように歩き出そうとしたのだが。


 ――ブルルルル、ブルルルル……


 再度の着信。

 スマホの画面を見れば、発信者は香丸こうまる先輩 ではなく、今度は真衣まいのようだ。


 僕は応答ボタンを押下すると、もう一度音声をスピーカモードへと切り替えた。


 ――ピッ


「何で切るのよぉ!! まだ全部言い終わってなっ……」


 ――ピッ


 またもや話の途中で『切断』の赤ボタンを押下する僕。


 「犾守いずもり君さぁ……」


 その様子を横で見ていた綾香あやかが、いまだ僕のスマホに視線を落としたまま話しかけて来た。


「飲んでる時の香丸こうまるさんへの対応……極塩だよねぇ」


 確かにその通りかもしれない。

 いや、ちょっと待て。

 僕は香丸こうまる先輩は好きだ。

 いやいや。重要な事なのでもう一度言い直そう。

 僕は香丸こうまる先輩が大好きだ。

 ルックスも性格も。

 ちょっと天然な所はあるけれど。

 それだって、彼女を更に輝かせるスパイスであると言い切れる!


 ただなぁ……。


 あの酒癖だけはどうにかならんものかとも思ってしまう。


「はぁ……うん。そうだね。ちょっと塩すぎた……かなぁ……」


 綾香あやかは完全に香丸こうまる先輩信奉者だ。

 恐らく僕のそんな冷たい態度が気に入らなかったんだろう。

 とは言っても、僕が香丸こうまる先輩と仲良くすればしたで、途端に機嫌が悪くなるし。

 ホント、綾香あやかの取り扱いは難しい。


 僕は少し反省しつつも、そんな綾香あやかの顔色を伺ってみる。

 すると。


「流石にアレは無いよね……」


 眉間に皺を寄せ、観念した様に言葉を吐き捨てる綾香あやか


「で、ですよねぇ……」


 よかった。

 結局は綾香あやかも同じ意見だったらしいな。

 それはそれで、どうなんだろう? とは思うけど。


 二人は例えようのないぐったりとした疲れにさいなまれながらも、重い足取りで目的となるホテルへと入って行く事にしたのさ。

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