第151話 念話上等

 どんよりとした厚い雲が垂れこめる東京都渋谷。

 きらびやかな街の光に包まれた大都会は、まさに不夜城と言う名にふさわしい。

 がしかし、これらまばゆいばかりのネオンが行き届かない場所も確実に存在する。

 路地裏やビルの隙間。

 それは都会の死角……と言われるような場所だ。

 ここ、ビルの屋上もそんな都会の闇が支配する聖域サンクチュアリの一つと言えるのかもしれない。


「フンフ、フフ、フフン……フンフ、フフ、フフン……」


 星明りすら無い暗闇の中。

 微かに聞こえるのは、八十年代を感じさせるポップス調の旋律。

 桜色の頬。

 西洋人形を思わせる整った鼻筋。

 口ずさむのは、見る者が思わず振り返るほどの美貌を持つうら若き女性だ。


香丸こうまるっちったら、今日はやたらご機嫌だねぇ」


 香丸こうまると呼ばれた美しい女性は軽く笑顔を返しつつも、ビルの屋上にある手摺部分から身を乗り出し、明るい下界の様子を覗き見し始めている。

 そんな彼女に声を掛けたのは、すぐ隣で少々不満気に体育座りをするもう一人の女性だ。


 有名スポーツアパレル製とは言え、上下完璧なジャージ姿。

 年の頃で言えば二十代前半……ぐらいか?

 見ようによっては、高校生や大学生のようにも見える。

 そんな彼女が年齢不詳なのには訳がある。

 それは、元々が幼い顔立ちであるにもかかわらず、少々大人びた化粧を施す事で、逆に子供が背伸びをしている感が醸し出されているからに他ならない。

 せっかく若く見られるのだから、無理に厚化粧しなければ良いようにも思えるのだが。一度飲み屋で年齢確認を受けた事があり、それ以来、大人びた化粧をするようになったと言うのがその真相ではあるらしい。


「そりゃそうだよぉ。こんな事する機会チャンスってなかなかないでしょ? なんか気分はって感じだよね」


 誰に見せるでもなく、嬉しそうにその場でクルリと一回転ターンをしてみせる彼女。

 その動きに合わせ、艶めかしく輝くのは黒エナメルで出来たボンデージ衣装だ。

 バニーコスプレとは少々趣が異なるようで、バスト部分は肩紐で固定するタイプ。どうやら動きやすさを追求しているらしい。

 しかも、ピッタリとした腰回りには淡い桃色のサッシュベルトが巻き付けられており、両足も網タイツでは無く、ボディ部分と同じエナメル地のニーハイブーツを装備している。


「いやいや、なんで大泥棒なのよ。私からしたら単なる変態コスプレイヤーにしか見えないけど」


 辛辣しんらつかつ的確な言葉を投げかけるもう一人の女性。

 つい最近出会ったばかりの二人であったが、飲み友達として意気投合。

 今ではタメで語り合える、唯一無二の親友となっていた。


「えぇぇ。ナニ言ってんのよぉ。真衣まいちゃんったら、私よりお姉さんなんだから知らない訳ないでしょぉ! 見てよみて! ほら、この衣装! ほぼほぼ、アニメの主人公と同じ衣装でしょお!?」


 真衣まいと呼ばれた女性は、面倒臭そうに足のつま先から頭のてっぺんまで視線を走らせると、呆れたように両手を広げてみせた。


「なにそれ? やっぱエロエロSMの女王様にしか見えないわ。って言うか、香丸こうまるっちの超ワガママボディでそんなボンデージ着ちゃったら、エロ一択に決まってんじゃん。一体ドコにそれ以外の選択肢があるって言うのよ!」


 残念ながらアニメ。

 オンタイムの放送は二人が生まれる前の出来事であり、八十年代から九十年代にかけての古アニメ好きである香丸こうまるはまだしも、真衣まいに至っては残念ながら全く知識を持ち合わせてはいない。 


 ちなみにこの衣装。

 今日の緊急集合に合わせ、どうしてもアノ有名美人三姉妹の衣装を身に着けたいと考えた彼女。

 呼び出しを受け、速攻でドンキ―に向かってはみたものの、想いのコスプレ衣装が見当たらない。

 仕方なく真瀬さなせ先生に頼み込み、ブラッディマリーの予備衣装を借り受ける事にしたそうだ。

 あえて付け加えるとするならば。

 アノ有名美人三姉妹が着ていたのはレオタードであり、決してボンデージでは無い。また、腰に巻いているサッシュだけは香丸こうまる女史の自前である。


「はぁ……って言うか。本当にコレで敵を見つけられるのかねぇ」


 目の前でクルクルと舞い続ける香丸こうまる女史を後目に、真衣まいは鳴らない携帯電話をもてあそびながら独り言ちる。

 ちょうどその言葉に呼応するかのように、彼女の傍らに置かれた小さなリュックの中から小さな黒猫が顔を出した。


「みゃぁ……」


 クロネコが小さくひと鳴き。

 その一声で意味を理解したのだろう。

 真衣まいが子猫をリュックの中から抱き上げた。


「あぁ、香丸こうまるっち。クロちゃんがこっちに来て話を聞けって」


「あぁ、はいはい」


 あれだけ踊り続けていたにもかかわらず、呼吸一つ乱す事の無い香丸こうまる女史。

 彼女は急ぎ真衣まいの隣に腰掛けると、クロネコの背中へと手を伸ばした。


(聞こえるか?)


「えぇ、聞こえてます」


「はい、大丈夫です」


 犾守いずもりを経由しているとは言え、クロの眷属として明確な主従関係のある彼女たちの間では、直接脳へと届けられる念話を扱う事が出来た。

 これを使えば人間としての声帯を持たぬクロの体であっても、意思疎通が可能となるのだ。


(安心しろ。この作戦は綾香あやかが考えだしたものだ。それに、私もこの方法は有効であると考えている)


 暗闇の中、大きな眼をクリクリと動かしてみせるクロ。

 猫のような体形をしている彼女だが、実は夜目はあまり利かないらしい。

 彼女の種族は、どちらかと言えば嗅覚の方が優れているのだそうだ。

 その所為もあってか、種族名には狩猟犬ハウンドと言う名前が付属する。

 獣神ゼノンの矛となりて、必ずや敵の首を持ち帰る。

 それが彼女たち種族の誇りであり、存在意義でもあるのだ。


綾香あやかは今、連絡のつかぬキャストの行き先を探っているはずだ。恐らくその中のどれかに敵が居ると踏んでいるらしい)


「でもクロちゃん。今回は全てのキャストさんを送り届ける時に同行して、ホテルを確かめたんでしょ? だったらどのホテルにも敵は居なかったって事じゃないの?」


 さも当然とばかりに質問する香丸こうまる女史。

 実は真衣まい自身もソコの所を不思議に思っていたのだが、無駄に空気の読める彼女は今のいままで聞くに聞けなかったのだ。

 こう言う時は、天然な香丸こうまるが本当に助かる。

 そう想いながらも、真衣まいは素知らぬ顔で軽く頷いてみせる。


(問題はそこだ。ポイントはその距離にある)


「距離?」


 今度は真衣まいが即座に繰り返した。


(そうだ、距離だ。操られる人間は敵の結界内に居なければならない。どの様な祝福も、物理的な影響力を与える事が出来るのは、自分の結界内のみ。それを越える事は出来ない)


 クロの話に真衣まいが眉根を寄せる。


「でもさぁ。香丸こうまるっちに聞いた話だとさぁ。前に風の刃を投げて来るヤバいヤツが居たって話じゃん。あれってどう言う事?」


 クロはゆっくり瞬きをしながら、顔を真衣まいの方へと向ける。


(アレはアンブロシオス神の祝福。つまり風の使い手だ。風の刃は自分の手元で創り出す。つまり、手元の近い範疇だけに結界が張られていればそれで良い。そうして一度創り出した物理的な物……今回の場合は風の刃だが。それ自体は既に出来上がった物だからな。後は結界の外に出たとしても、その物自体が破壊されるか、物自体の魔力が消費されてしまわない限り、その場に実在し続けると言う事だ)


「あぁ、なるほど。そう言う事かぁ」


 クロの説明に大きく頷き返す二人。

 ただ、香丸こうまる女史の視線が軽く泳いでいた事は内緒である。

 残念ながら彼女は根っからの文系であった。


(話を元に戻すが、つまり敵と操られている人間とは大きく離れる事が出来ないと言う事だ。事実、前回のファミレスでの襲撃事件の時も、実際に結界を張っていた人物は近い所に居た訳だしな)


「でもさぁ、その話と既にキャストを送り届けたホテルに敵が居るはずって話がどうにも結びつかないんだけど」


 なおも質問を続ける真衣まい

 会話の主がいつの間にか香丸こうまる女史から真衣まいへと移ったようだ。

 もちろん、小難しい話などどうでも良い香丸こうまるにしてみれば、逆にその方が気が楽……ぐらいにしか思っていなさそうではある。


(なに、簡単な話だ。我らの放出する魔力は岩石や鉄製の壁など、重量のあるモノを透過する事が難しい。いや、完全に無理と言う訳ではないが、かなりの割合で減衰してしまう。例えば結界を集団で構築するのであればビル全域を十名単位の能力者で囲い込む事も出来ようが、一人でそれを行う事はまずもって不可能だ)


 時折クロの頭や背中を撫でつけながら、真剣な表情で念話に聞き入る二人。


(となれば、誘い込む部屋と敵が入る部屋は出来るだけ近い方が良いと言う事になる。しかしだ。休日前と言う事で、何処のホテルも既に満員御礼。今の時刻から都合の良い隣接する部屋を確保できる訳が無い。つまりだ。敵はホテルが込み合う前に、自分達にとって都合の良い部屋を借りていたと考える方が自然だ。そう考えれば、この時刻から敵が現れる事はもう無いと言う結論にもなる)


「あぁ、なるほどねぇ」


 ようやくクロの言っている意味を理解し、大きく頷く二人。


「でもさぁ。それならどうしてキャストを送って行った時に、敵の結界に気付けなかったのかな? 流石のクロちゃんでもビルの外だと分かり辛かったって事?」


 痛い所を突かれたとでも言いたげに、軽く眉根を寄せるクロ。

 猫の姿かたちをしていても、意外と表情は読み取れるものらしい。


(恐らくその通りだ。もしかしたら、キャストが来る直前までは、極力結界の範囲を絞っていた可能性も確かにある。ただし、下手に結界を弱める事で、誤って操る人間を逃がしてしまっては本末転倒だからな。ここはあくまでも推測だが、敵は極力階上の部屋を確保したのではないか? と私は考えている)


「え? でもなんでそんな面倒なコトをしたのかな? なんか、高い階の方が結界を張りやすいとか、そんな理由でも?」


(いや、結界の張りやすさに高さは関係無い。それよりもだ。前回のファミレス襲撃事件によって、こちら側にも能力者が居ると言う事が敵方にバレている。つまり、敵は私たちの動向を気にしていると言う事だ。結界を張る、もしくは感知するのは人族の得意分野。当然私たちのチーム内にも同様の能力を持った者が居るはずだ……と敵が考えても不思議はないだろう。となれば、用心するに越した事はない。犯行場所を極力高い建物の上層階にさえしてしまえば、仮に能力者がホテルの外を通りかかったとしても、感知する事は難しくなる。つまりここでも距離の問題が生きて来ると言う事だ。ただまぁ実際問題、私の眷属には純粋な人族としての能力者は一人もおらず、かく言う私も、おぼろげながらに魔力の流れが感じられると言う程度に過ぎんがな)


 多少自嘲気味に話を締めくくるクロ。


「なるほどぉ。私たちが屋上で待機してる理由はそう言う事だったかぁ」


 全てを理解し、両手を組んだまま大きく頷き続ける真衣まい

 しかし、香丸こうまる女史の方は今一つ理解出来てはいない様子で。


「え? えっ? ちょっと待って。敵が既にキャストさんを派遣デリバリーした先に居るであろう事は分かったよ。でもそれだったら、まだ帰って来てないキャストさんの居るホテルに普通に乗り込めば良いんじゃないの?」


 一見当然なようにも思える意見。

 それに答えたのはクロではなく真衣まいだった。


「敵がもし最上階とかに陣取ってるんだったらさ、ホテルの玄関に行っても結界を感じる事は出来ないって話だよ。それはもう実証済だしね。まさか、満室のホテルに強引に押し入る訳にも行かないし。って事で、クロちゃんには大変申し訳無いけど、屋上で待機してもらって、怪しいホテルが判明した時点でビルの屋上伝いに現地へ急行。屋上付近で結界が張られていないかを確認するって事……だよね。クロちゃん」


 自分の推論が正しいかどうかについて、念を押すようにクロへと問いかける真衣まい

 クロの方は当然とばかりに頷いて見せている。


「なぁるほど。それで屋上待機って事なんだね。でもさぁ、それだったら私とクロちゃんの二人で良かったんじゃないかな? 私は宝具の力があるからビルからビルなんてひとっ飛びだけど、真衣まいちゃんは結構大変そうじゃない?」


 これは香丸こうまる女史の言う事に一理ある。

 真衣まいもクロの眷属として、獣人としての力に目覚め始めてはいる。しかし、その力はせいぜい同年代の女子とくらべれば……と言う域を出ていない。最近ではもう少し向上して、女子スポーツ選手程度には成れた、とは思われるのだが。それでも人間が出来るうる範囲でしかないと言う事実にかわりはない。

 この後、ビルからビルへと飛び移りながら移動すると言う事にでもなれば、必ず足手まといになる事は明らかである。

 ではなぜ、綾香あやか真衣まいをこのチームに残したのか……。


「そんなの大変に決まってるじゃん。私だって好き好んでコッチのチーム入った訳じゃないんだよぉ! それだったら、組事務所のソファーで来栖くるすさんや、車崎くるまざきさんと一緒にエッチな深夜番組でも見ながら出前の天ぷらそば食べてたかったんだよぉ! それもこれも、全部香丸こうまるっちが悪いんじゃん。全部ぜぇんぶ、香丸こうまるっちが悪いんじゃん!」


 ここに来て、突然思いの丈を全てぶちまける真衣まい

 その様子に困惑つつも、両手を口に当て、全く信じられないとでも言いたげな雰囲気を漂わせる香丸女史天然ゆるふわ美女


「わっ、私が……悪い……の?」


「そうだよ! 全部ぜぇんぶ、香丸こうまるっちが悪いんだよぉ!」


「一体……私に何が……?」


 半分涙目になりながらも、話の核心に迫ろうとする香丸こうまる女史。


「それは……それは……!」


 香丸こうまるの本気に気圧され、思わず逡巡しゅんじゅんしてしまう真衣まい


(己が怒りに任せ、ここで本当の事を言い放っても良いものだろうか?真衣まいは自分自身の良心へと問いかける。こんな場所で真実を述べたとて、何の意味も無いのでは? いや、本人の為を思えばこそ、今この場で指摘する事こそが、本当の親友に課せられた使命なのではないだろうか? 揺れ動く女心。やがて、真衣まいは最後の決断を下した。 それは……それは……。言い淀みつつも、彼女は大きく深呼吸をした後、ついにその理由を口にしたのだった……。それは……)


「アンタが方向音痴だからだよぉ! 特に酒を飲むと、東と西の区別も付かなくなっちまう、超弩級の方向音痴だからじゃんよぉ! だから、だから私がお目付け役として、チームに入れられちまったんだよぉぉぉう!」


「「……」」


 暫しの沈黙。

 その間、真剣な表情で互いに視線を交わし合う二人。

 やがて……。


「「きゃははははは!!」」


 突然、二人の間に大爆笑が巻き起こる。


「だよねぇ。私、飲んだら完全に方向音痴だもん」


 自分の事にもかかわらず。

 両腕を組み、しみじみとそうのたま香丸こうまる女史。


「いやいやぁ。香丸こうまるっちは飲む前から方向音痴じゃん。飲んだら更に収拾がつかなくなるしさぁ。だから迷子にならないように付いてけって綾香あやかがホントうるさいうるさい」


 真衣まいは笑い泪をこすりながら、なおもぶっちゃける。


「って言うかさぁ。途中の『己が怒りに任せ……』うんたらかんたらって所? 勝手に私の心情をナレーションしないでよぉ。めっちゃ噴き出しそうになっちゃったじゃーん」


「いやぁごめんごめん。折角念話できるんだし。この方が面白いかなぁって」


 少しも悪びれる事なく、香丸こうまる女史が被せ気味に言い放つ。


「いやいや、私そこまで考えて無かったよぉ。って言うか、あのナレーション長いんだけどぉ。きゃははははは!」


 どうやらあのナレーションは香丸こうまる女史が勝手にアテレコした話で、二人の間では時折こうやって念話を使い、相手の気持ちを勝手にナレーションする遊びが流行っていたらしい。


 それを知ってか知らずか。

 クロの方は既に興味を失いつつも、リュックの中へ戻ろうとし始める。

 とここで、クロがその動きを止めた。


(最後に一つだけ言っておくぞ。現場に近付いたら念話は基本禁止だ。体を触れ合っての念話なら良いが、体に触れずに念話をすると、少なからず周囲の結界に影響が出る。敵がどの程度の術者かは分からんが、少しでも気付かれる可能性は除外しておきたいからな。では、呼び出しがあったら起こしてくれ)


 それだけを言い残すと、リュックの中へと体を滑り込ませるクロ。


「「はーい!」」


 そんなクロの背中に掛けられたのは、息の合った二人の華やいだ返事であった。

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