第150話 極上のM男

「どう? 何か感じる?」


 僕は周囲に気を配りながらも小声でそうつぶやいた。


「……」


 しかしは静かに両目を閉じたまま、ご自慢のつややかな鼻先を高々と突き上げ、身動みじろぎ一つしない。


 やっぱりココも違うか……。


 渋谷区円山町の外れ、首都高速三号渋谷線のすぐそば。

 この辺りは道幅も狭く一方通行ばかりのくせに、頻繁に大型のワンボックスカーが往来すると言う、運転初心者ペーパードライバーにとっては鬼門のような場所だ。


「三代目ぇ、もう良いっスか? そろそろヤバいんでぇ!」


 運転席の窓から身を乗り出し、申し訳無さそうに声を掛けて来たのは、少し頭髪の寂しくなった中年の男性。

 渋谷界隈で送迎車を運転し続けて早や八年。

 業界内でもそれなりに名の通った人物らしいのだが。

 すれ違いもままならぬほどの狭い路地裏で、後続の車からクラクションを鳴らされては、いかなベテランドライバーであっても如何ともしがたい。


「すみません、すぐ戻ります。あ、それからキャストさんは、指定されたホテルに向かって下さい」


「はーい」


 気のない返事を返すのは少し大きめのトートバックを持った小柄な女性。

 パッと見、二十代後半ぐらいか? とも思っていたが、車中での会話を聞く限り、もう一つか二つほど上の世代のようにも感じられる。


 キャストさんって、ホントに歳がわかんないんだよなぁ。


 彼女は僕と入れ替わりでワンボックスカーを下りると、そのまますぐ横にあるラブホテルの中へと消えてしまった。


「運転手さん、スミマセン。次の場所に向かって下さい」


「はいよ。合っ点承知の助っ!」


 くだらないオヤジギャク。

 車中の全員が無言でスルーする中、車は次の目的地へと向かって走り出した。


「で、今回も外れって事? 本当にしょうがないわね」


 車が動き出すと同時に、助手席に座っていた綾香あやかが不満げな声を掛けて来る。

 最近、次々と怖い目にばかり会っているにもかかわらず、事ある毎に付き合ってくれる彼女。非常にありがたいと思う反面、その理由が良く分からない。


 事実、冬桜会ゆららの運営を真塚まづかさんから引き継いだとは言え、元々冬桜会ゆららの売り上げ自体は学生のサークル活動レベルを超えるモノではない。

 つまり狭真会きょうしんかいにしてみれば、冬桜会ゆらら自体、どうでも良い末端組織でしかないのだ。

 にもかかわらず、危険を承知で組事務所へと出入りしているのは、ひとえにクロの眷属だから……と言う責任感の為せる技、と言った所か。

 それにしても、この物言いは少々癪に障る。


 ほんとにもぉ!

 この小娘はなぁんて口の利き方するのかしらっ?!

 一体、私を誰だと思っているのっ!?

 私は狭真会きょうしんかいの会長よっ!

 三代目の会長様なんですからねっ!

 貴女とは格が違うのよっ、格がねっ!!


 などと思ったのもつかの間。


犾守いずもり君っ! 返事はっ!」


「はいっ、スミマセン。今回も外れでした! 大変申し訳ございません!」


 彼女の厳しい叱責に、思わず秒で謝罪の言葉を述べてしまう暴力団の三代目会長。

 とても組員には見せられない醜態だ。

 とは言え、極上のM男気質を自認する僕としてみれば、ご褒美的な側面も確かに否定できないような気がしないでもないような気もするのだけれど……って、結局どっちやねん。


「どうやら、このまま犾守いずもり君の言う通りに作戦を進めてもらちが明かないわね……」


 初夏を思わせるミニスカート。

 その膝上には不釣り合いとも思えるノートパソコンが鎮座している。

 彼女は光り輝く液晶画面を眺めながらも、小声で僕の事をディスり続けていた。


 はぁ……。

 さて、困ったぞ。

 初めはさぁ、もっと簡単に行くと思ってたんだけどなぁ……。


 どうやら、敵の持つ祝福は、結界内の人間を操る能力らしい。

 これは、ほぼ間違い無いだろう。前回のファミレスでの事件がまさにソレだった。

 つまり、敵が能力を発現しようとする際には、必ず結界が張られていると言う事になる。

 しかも、敵は狭真会きょうしんかいの財源を潰すため、ウチの系列店である風俗関係の人間をターゲットにしようとしているのも明らかな話。


 ここまで来れば、話は単純。

 系列の風俗店へ予め連絡を入れておき、キャストをホテルへと送り届ける際に僕とクロが同行すれば良い。

 なにしろクロは結界の有無を判断できる。少なくとも僕たちのチームにとっては唯一無二の存在だ。

 ホテルへと到着した僕とクロは結界の有無を確認。結界が張られていれば、確実に敵が居ると言う事になる。あとは僕がホテルへと乗り込んで敵を殲滅すれば万事終了! と言う手筈てはずだったんだが……。


 結局のところ。

 キャストの皆さんと一緒に送迎車に乗り込むこと既に七回。

 現時点で結界の感じられたホテルは一軒も無い。


「しっかし参ったなぁ。これだったら最初っから虱潰しらみつぶしにホテル街を探し回った方が早かったかもなぁ」


 僕は頭の後ろで両手を組みながら、後部座席のシートに深々と身を預けた。

 すると、その様子を見ていた綾香あやかが呆れたように話し始める。


「ねぇ犾守いずもり君。この近くに一体何軒のラブホテルがあると思ってるのよ」


「え? どのぐらいかなぁ……五十軒……いや、もっとあるかな?」


 僕の曖昧な返答に、どうにも苛立ちを隠せない綾香あやか

 少しずつではあるが、言葉の圧が上がり始める。


犾守いずもり君って、ホントその辺りの詰めが甘いのよね! この近辺だけでもラブホテルに分類されるホテルは三百軒以上あるのよ。そんなの一軒一軒探してたらキリが無いわよ。それに……見て」


 彼女は親指を立て、窓の外を指さした。

 スモークの入った窓ガラスの向こう側。

 そこに見えるのは、きらびやかなネオンに照らし出されたホテル街の裏路地。ただ、その辻々には明らかに異質とも思える、紺の制服に防弾チョッキを身に着けた集団がたむろしていた。


 警察官……か。結構居るな。

 事件が起きたのは昨日の事だもんな。

 流石に警戒しているんだろう。


「わかるでしょ。犾守いずもり君や私みたいな未成年がこの辺りをウロチョロしてたら、たちどころに補導されるのがオチよ。もっと何か別の方法が必要なのよ」


 形の良い唇を噛みしめつつ、両手は目にもとまらぬ速さでキーボードを操作し続ける綾香あやか

 まさに理系女子ここに極まれりとの雰囲気が感じられる。


 それにしても、渋谷の人出は全く影響を受けてないよなぁ。

 殺人事件があった事自体知らないのか? それとも、自分だけは大丈夫とでも思っているのか?

 何にせよ、平和ボケした今の日本人には、多少の身の危険なんかより、性欲を満たす事の方がよっぽど重要だって訳か……。


「方法かぁ……」


 僕は窓の外を眺めながら独り言ちる。


「ホテルは何処も満杯みたいだし。敵だって流石にもう出て来ないよなぁ……」


 そんな僕の呟きに、突然綾香あやかが反応した。


「えっ?! 犾守いずもり君、いま何て言った!?」


「え? 何て……って。あのぉ……ホテルは満杯だなぁ……って」


「どうして? どうして満杯って、そんな事が分かるの?」


 尚も食い下がる彼女。


「いや、この手のホテルってさぁ。満杯になると看板の灯りが消えるらしいんだよね。ほら、見てみてよ。結構ランプ消えてるでしょ」


 僕の指摘を聞きながら、綾香あやかは食い入るように車の窓から外の様子を伺い始めた。

 窓の外に広がるホテル群。

 しかし看板が明るく照らし出されているのは、十軒に一軒も見当たらない。

 それはそうだろう。

 休日前の深夜である。

 しかもこの辺りは場末とは言え、都内でも有名な歓楽街にほど近い。

 予約でもしてあれば話は別だが、そうでもなければこの時間に部屋が空いていると言う事自体奇跡だ。


「本当だ。アレって単に壊れているのかと思ってたけど、そうじゃないのね。って言うか、どうして犾守いずもり君がそんな事知ってるのよ。ホント、男って不潔っ!」


 うっ! おいおいおい。

 僕は良いよ。

 最低限、僕の事をけなすのは構わないんだよ。

 どっちかって言うと、そう言うのも大好物の範疇はんちゅうだからね。

 でもね。

 世の男性全員を一括りに批判するのは、ちょっとどうなのかなぁ……。

 最悪、炎上するよ。

 いやマジで。

 そんな事、ネット上で発言して御覧なさいよ。

 速攻で大炎上するからねっ!


犾守いずもり君っ!」


「あ、はいっ!」


 僕は弾かれたように上体を起こすと、両手を膝の上に乗せて傾聴の姿勢へ。

 こんな事は陰真いんさな先生に叱られて以来かもしれない。

 なるほど。どうやら僕は性格がキツめの女性に命令されると、無条件に従ってしまう性質たちらしい。


「分かったわ! そうよ、その通りよ。今から敵が現れる事は無いのよ。いいえ、今からだと敵も現れようがない。つまりそう言う事なの。でかしたわ。犾守いずもり君っ! お手柄よっ!」


「え!? えへっ、えへへへ。そっ、そうですかぁ? えへへ、でっ、ですよねぇ。ですよねぇ! えへへへへっ!」


 およよ。褒められちった。

 理由は良く分かんないけど。

 なんにせよ綾香女王様のご機嫌が麗しい事は良い事だ。

 今までは極上のM男を気取ってた僕だけど、やっぱりこの世はツンデレ最強。ツンデレ命。

 デレがあってこそのツン。そして、ツンがあってこそのデレ。

 この匙加減さじかげんこそが至高なんだよなぁ。

 うんうん。


「そうと分かれば急がなきゃ! 運転手さん。急いで他のキャストさんたちを目的地へと送り届けて頂戴っ! それから犾守いずもり君は真衣まいさんに連絡。何時でも出られるように準備をお願いしてっ! 香丸こうまる先輩には私が電話するわっ!」


 突然、あわただしく指図を始める綾香女王様。


「はいっ! 承知ですっ! えへ。えへへ。この犾守いずもり武史たけしに万事お任せ下さいっ! えへへへへっ!!」


 久しぶりに綾香女王様のデレを手に入れた僕は狂喜乱舞。

 その後も同乗する他のキャストさん達にドン引きされるほどの、極上のM男としての痴態を晒し続けるハメになってしまったのさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る