第144話 ニュース速報

 ――バンバンバン! バンバンバンバン!!


 突然、雷鳴のようなとどろきとともに、無数のてのひらが喫煙フロアを仕切るガラス壁へと打ち付けられる。


「なっ、何っ! なんなの、コレッ!」


 あまりの出来事に、傍にいた真衣まいが椅子から転げ落ちそうになりながらも、窓側へと向かって逃げ出し始めた。


 先程までの不気味な静寂から一転。

 フロアにいた客だけでなく店の従業員までもが、僕たちのいる喫煙コーナー席へと目掛けて押し寄せて来たのだ。


「三代目っ! これで入り口塞ぐぞっ!」


「あっ、はいっ!」


 僕は来栖くるすさんの指示に従い、料理の並んでいたテーブルを躊躇なく蹴り倒すと、そのまま出入口の扉の前へと押し付けて、応急のバリケードを構築する。


 ――バンバンバン! バンバンバンバン!


 その間もガラス壁を叩く轟音は鳴りやまず、更に激しさは増す一方だ。

 綾香あやか真衣まいは恐怖に怯え、両耳を押さえたまま座り込み。

 香丸こうまる先輩はそんな二人を庇うようにして、周囲に目を光らせる。


若頭カシラっ! 撃ちますか!?」


 ヤクザ者の本領発揮か。

 あの車崎くるまざきさんが、どこから持ち出したのか掌サイズの拳銃を片手に、ガラス壁に群がる人々へと狙いを定めている。


「ヤメロ車崎くるまざきっ! ここでは撃つな! それより車を呼び戻せっ! 大至急だっ!」


「はいっ!」


 車崎くるまざきさんは拳銃を右手に掲げたまま、器用にも左手でスマホを操作し始める。

 そんな彼のすぐ後ろ。


 ――ビシッ! ビシィッ!!


 最終防衛線となりつつあるガラス壁に、甲高い破裂音とともに筋状のヒビが入り始めた。


 アイツらマジか!


 安全面を考慮してなのか、それとも装飾としての造りの問題か。

 喫煙フロアを仕切るガラス壁は予想以上の厚みがあったようだ。

 それを人の手だけで叩き割るのは容易では無いと判断したのだろう。

 ガラス壁に取りついた人々の後ろから、更に何人もの客たちがガラス製のコップやら陶器の皿なんかを手あたり次第に投げつけ始めたのだ。


 ――カシャーン、パリーン、ビシィッ!


 ファミレスで使われているようなコップはシンプルで、その分耐久性もある。厚みのあるガラス壁とは言え、そう長い時間は耐えられまい。


「ねぇねぇ! あれって全員が教団の人間なの!?」


 悲鳴のような真衣まいの問い掛けに、クロはフロア中をあまねく見渡しながら呟いた。


「いや違うな。ヤツらからは魔力の流れは感じられん。恐らくは祝福の力によって操られているだけだろう」


「操られてるって簡単に言うけど、そんな人を操れる様な祝福なんてあんの!?」


「ある。ただし、多少変則的ではあるがな。しかもこの魔力の流れ……どうやら敵は一人のようだぞ」


 クロのその言葉に、今度は来栖くるすさんが喰い付いた。


「ひとりだとっ!? クロさん、そいつぁどう言う事だ? 俺たちゃ教団のヤツらに囲まれてたんじゃなかったのか!?」


「いや、あまりの濃い結界に、複数の神官たちに囲まれたのかとも思っていたのだが……どうやら誤りだったようだ」


 僕の知る限り、張り巡らされた魔力を感知する事が出来るのは、クロに真瀬さなせ先生、そして来栖くるすさんの三人だけだ。

 ただし、来栖くるすさんは朧気おぼろげに感じられると言う程度でしかなく、クロ本人も魔力の流れまでを正確に把握できる訳では無いと言う。


 恐らくだが、魔力の流れを感知する能力と、結界を張る能力には何らかの因果関係があるのではないだろうか。

 残念ながら僕やクロ、来栖くるすさんは結界を上手く張る事が出来ない。

 少なくとも僕はからっきしダメだ。

 祝福を覚えたての頃に魔力がダダ漏れになっていた事があったらしいけど。

 本人にその自覚は全く無い。


 そして、この結界を張る能力は、ある程度種族的な得意不得意があるのかもしれない。

 例えば獣人は結界を張るのが不得手で、人間は得意だとか……。

 確か人間は獣人と比べて太いソリナスを持つと言う。

 結界が一定の強さで魔力を放出し続ける能力であるとするならば、太いソリナスを持つ人間は結界を張る能力に長けていると言えるだろう。


 となると、僕の立ち位置はかなり微妙だけどな……。


 少なくとも人を凌駕する身体能力を手に入れた時点で、人類の枠の中には収まりきらない事ぐらい覚悟している。

 最終的に僕は人間なのか、それとも獣人なのか?

 その答えを知る術を僕は知らないし、少なくともいまは知る必要性すら感じない。


 まぁ、どっちでも構わないけどな。


 僕がそんな余計とも言える思考にふける中。

 ふと気付けば、僕の隣でバリケードを支えている来栖くるすさんの顔に、太々ふてぶてしい笑顔が浮かんでいた。


「って事ぁ、外に出られりゃ、逃げられるって事だよな!」


「そうだな。魔力の流れからして、能力者本人はあの群衆の中に紛れているはずだ。しかもこれだけ濃密な結界を創り上げた後だからな。相手がタケシのような規格外のバケモノでも無い限り、この場から離れさえすれば追って来る事もあるまい」


「よぉし、そうと決まれば話は早ぇ。速攻、窓から逃げるぞっ!」


 来栖くるすさんが窓に向かって親指を立てた。


 相手が教団で無ければ、確かにそれも選択肢の一つだろう。

 教団は複数の神官が協力して結界を張る戦術を取る。

 例のビジネスホテルの時がそうだった。

 しかも結界を張る神官はその間無防備になるから、必ず数人の護衛がその周りを固めると言うのがセオリーらしい。

 もし相手が用意周到な教団であれば、仮に僕たちが窓から逃げ出したとしても、当然のごとく結界を張る神官と出くわして、戦闘に突入する事態は避けられない。

 しかし、今回はどう言う訳か、単独での襲撃らしい。

 たまたま僕たちと遭遇しただけなのか、それともよほど腕に自信があるヤツなのか。

 少なくとも荒事を避けるのであれば来栖くるすさんの言う通り、このまま逃げてしまうのが一番手っ取り早い方法ではあるのだが……。


 そんな僕の脳裏に一瞬ではあるけれど、例の金髪ドS野郎のいけ好かない顔が通り過ぎる。


来栖くるすさん、でも今のうちに戦った方が良いんじゃないですか? こんなヤツ、放っておいても良い事なんて全然ありませんよ。僕に任せて下さい。群衆ザコと一緒に皆殺しにしてやりますから」


 いまの僕には十分な魔力がある。

 体調も万全だ。

 やろうと思えば壱號いちごうから参號さんごうまで揃い踏み出来るし、ブラックハウンドにChangeする事だって出来るだろう。

 それに、敵はいかに人数が多いと言っても所詮はただの人間だ。

 決して僕の敵とはなり得ない。


 しかし、そんな僕の自信ありげな態度に、来栖くるすさんの表情が少しだけ曇る。


「三代目ぇ、武闘派なのはヤクザ者として大変結構だが、そいつぁ蛮勇ってヤツだぜ。少なくとも向かって来てるヤツらはには何の罪もねぇ。一体誰に操られてんのかは知らねぇがな。ソイツらをひっくるめて殺しちまうって言うのは、戦いでもなんでもねぇ、単なる虐殺ジェノサイドだ」


 確かに来栖くるすさんの言う事も分からないではない。

 しかし、『自分は獣人で、人間の事など知った事か!』と公言してはばからない、そんな来栖くるすさんの発する言葉とも思えない。


 僕は少し考え込むようにして下唇を噛んで見せる。

 ただ、来栖くるすさんには僕のその反応が諭された事に対する不満を表していると捉えられたのだろう。

 今度は僕の肩に手を回し、親し気に顔を覗き込んで来た。


「まぁ、わけぇ三代目には不満かもしれねぇが、ここは年長者の意見を通してくれや。その鬱憤うっぷんを晴らす機会は別途用意するからよぉ!」


 いや、そうじゃない。そうじゃないんだ。

 僕の中のナニカが。

 そう、野性の勘と言っても良い。

 そのナニカが『ヤツを殺せ』『今しかない』『いまコロスんだ!』と騒いでるんだ。


「あっ、あのぉ来栖くるすさん……」


若頭カシラ! あと数分で車が到着します!」


 僕の伝えたかった本当の想いは、横合いから飛び込んで来た車崎くるまざきさんの言葉で打ち消されてしまう。


「よぉし! 香丸こうまるちゃんっ! 先に窓から外に出て、みんなをっ!」


「わかった!」


 言うが早いか、彼女はスカートの裾を無造作にたくし上げ、両腕を頭上でクロス。

 そのまま、何の躊躇ためらいも見せずに、はめ殺しの窓へと飛び込んで行ったのだ。


 ――ガッシャーン!!


「うそっ! 香丸こうまる先輩っ!」


 このファミレスはロードサイドにありがちな二階建て構造だ。

 一階は壁の無い駐車場、二階が店舗となっている。

 つまり香丸こうまる先輩は二階の窓ガラスをアッサリとブチ破り、そのままアスファルトの地面へと目掛けて飛び出して行った事になる。

 窓の高さを考慮すれば、地上まで軽く四メートル以上はあるはずだ。


 マジで大丈夫っ!?


 そんな僕の心配など、どこ吹く風。

 屋外の様子を窓際で確認していたクロがアッサリと親指を立てた。


「よし、次は綾香あやか、お前が行け!」


「でも、私より他の皆さんの方が先に……」


 来栖くるすさんからの指名にもかかわらず、困惑したような表情を見せる彼女。


 流石は綾香あやか

 口は悪いが、顔と心は清らかで奥ゆかしい。

 でもね、綾香あやか

 今はそんな事言ってる場合じゃないんだよ。

 とにかく早くこの場を離れなきゃだからね。

 それに、車崎くるまざきさんは別として、このメンバーの中で能力を持っていないのはキミだけなんだ。

 つまり、キミが一番危険度が高いって事さ。

 そう、遠慮する事は無いんだよ。

 さぁ、早くお逃げ……。


 と、言おうと思った所で、僕の目の前に真衣まいが立ち塞がった。


「なぁにビビってんのよっ! アンタもクロちゃんズの一員でしょ! いい加減腹ぁくくんなさいよっ!」


 そう言うなり、真衣まい綾香あやかを楽々と抱え上げる。


「いや、ちょっ! ダメ駄目だめっ! 私、高いの苦手だからっ、ホント、マジで高いのダメなんだからぁ!!」


「んもぉ! 面倒臭いわねぇ! いいからそのまま目ぇつむってなさいっ! ほら、行くわよぉ!」


 最初から綾香あやかの言葉など聞く気も無かったのだろう。

 真衣まいは問答無用で彼女を窓の外へと放り投げてしまった。


「きぃぃやぁぁぁぁぁ! だぁぁぁめぇぇぇぇ!!」


 絹を裂くような悲鳴が延々とこだまする。

 流石にこれはマズかったのでは? と心配になったが。

 しかし、やはりここでも屋外の様子を確認していたクロがアッサリと親指を突き立てた。


 うん。どうやら大丈夫だったみたいだね。

 うんうん。良かった、良かった。

 ん? 良かった……のか?


「よし、次は真衣まい、お前だ!」


 しかし、呼ばれた真衣まいは少し厚みのある唇をツンと突き出したまま、首を縦に振ろうとしない。


「アタシは後で良いよ。って言うか、私だったらこのぐらいの高さ、一人で飛び降りれるしぃ」


 まぁ、確かにな。


 真衣まいは僕に従属する事を条件に、ゼノン神の祝福を貸与されている。

 その結果、獣人としての身体能力の向上が見受けられるのだ。

 常人を凌駕りょうがする筋力に反射神経。

 僕や本当の獣人であるクロ、更には来栖くるすさんにも遠く及ばないにせよ、既に人類のトップクラスとも言える身体能力を持っている。


「えへへぇ。だからねぇ。私はココにいるのっ!」


 そう言いながら、健気にも僕の隣でバリケード用のテーブルを支え始める彼女。

 隣に腰掛けただけで、既に甘い香りが漂って来る。

 しかも、少しルーズなタンクトップの隙間から覗く白い柔肌が妙に艶めかしい。


「ねぇ武史たけしぃ?」


 笑顔で僕の肩にしなだれかかる真衣まい


「え、なに?」


 軽く話し掛けられただけで、思わずドギマギしてしまう。


「えっとねぇ、ちゅー……する?」


 彼女の蠱惑的こわくてきな唇が僕の方へと突き出される。


「え? なんで!?」


「うぅぅんとぉ。なんか、そんな流れだったから」


 ちょっと、なにこの娘。

 どう言うつもりなのかしら?

 一体全体、どこにそんな流れがあったと言うのかしら?

 とんと検討が付きません事よっ!

 しかも、こんな所で? こんな時に?

 無理よ、無理。

 絶対に無理!

 本当にもぉ、こちとら多感な高校生なんだからねっ!

 時と場合によっちゃ、見境なくなっちゃう可能性だって、決してない訳じゃないんだからねっ!

 本当にもぉ!! プンプン!


「ちっ、仕方がねぇな。そんなに三代目の傍が良いなら、そこに居ろっ! それじゃ、次は車崎くるまざき、お前達が行け! お前の役目は、車の誘導に逃走ルートの確保だ。頼んだぞ!」


「わかりました。若頭カシラも気を付けて!」


 流石はヤクザ組織だ。

 上意下達がしっかり出来てる。

 車崎くるまざきさんは振り返りもせず、割れた窓の間から一気に外へと飛び出して行った。


 残されたのは僕の他に、窓際にいるクロと来栖くるすさん。それから、自分で残ると言い出した真衣まいの四人だけだ。

 

 ――バンバンバン! バンバンバンバン!! ビシッ、ビシィッ!!


 喫煙ルームを仕切るガラス壁の方はそろそろ限界に近い。

 テーブルを立てかけた簡易バリケード自体も、押し寄せる人の圧力に負けて崩壊寸前だ。


「よぉし、三つ数えるぞ! そしたら全員、一気に窓へと走れ! 行くぞぉ、良いかぁ!」


 来栖くるすさんが大声でタイミングを計る。


「サン……ニィ……イチッ! 走れっ!」


 号令一下、全員が一斉に窓へと向かって駆け出し始めた。

 窓際に居たクロはアッサリと窓の外へ。

 元々身軽なクロである。何の心配も無いだろう。


 ――バキバキバキッ! バキィッ!!


 背後でバリケードとなっていたテーブルが打ち破られる。

 が、構う事は無い。


「きゃっ!」


 僕は少し遅れる真衣まいの体を抱えて、力いっぱい引き寄せた。


 一歩、二歩、そして三歩。


 スローモーションの様に後方へと流れゆく景色がもどかしい。 


 先頭を行くのは来栖くるすさん。

 彼が既に破られた窓枠の中へと体を滑り込ませる。


 一瞬、来栖くるすさんとかち合わぬよう、隣の窓を蹴破ろうかとも考えたが、右手に感じる真衣まいの肢体の柔らかさにその考えを改めた。


 いや、大丈夫だ。

 そこまで無理をする必要は無い。

 窓までは、あとほんの数メートル。

 この短い距離で追いつかれる可能性はゼロだ。


 僕は満を持して来栖くるすさんの背中を追う事に。


 ちょうどその時。


 ――ビシッ、ビシィッ!! ガラガラガラ、ガシャーン!


 フロアと喫煙ルームをさえぎるガラス壁全体が崩壊。

 室内の空気が一気に禁煙ルームへと雪崩れ込んで来た。


 ん!?


武史たけしっ! コレって!!」


 僕と真衣まい、その異変に気付いたのはほぼ同時だった。


 僕はその場で瞬時に身を屈めると、そのまま力任せに真衣まいの体を窓枠の外へと放り投げたのだ。


武史たけしぃ!!」


 為す術も無く空中で手を伸ばす真衣まい

 そんな彼女が放物線を描いて窓枠を通り過ぎた、その時。


 ――ドンッ!!


 ◆◇◆◇◆◇


 ニュース速報です。


 本日午後五時頃、都内国道沿いのファミリーレストランで「爆発があった」との通報がありました。当時現場にいたレストランの従業員や来店客が火傷などの怪我を負い病院に搬送された模様です。このうち少なくとも一人は意識不明の重体ということで……。

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