第143話 出目の悪い賽(さい)

 テーブルの向こう側では真衣まい来栖くるすさんによる情報交換がまだ続いているようだ。


「逆にソッチはどうだったのよ。武史たけしの復讐相手のぉ……えぇっと誰だっけ? 佐竹ぇ? だっけ? ソイツに呼び出されてたんでしょ?」


「いや、結局佐竹は現れなかったよ。でも電話の声は確かに佐竹アイツだったから、裏で皆藤かいどうと繋がってた可能性は高ぇな。なにしろ、あの時、俺や犾守いずもりが事務所から兵隊率いて現場に駆けつけてた日にゃあ、そのまま俺達と皆藤かいどう組は全面戦争一直線だからよ。連絡の付きにくい場所に連れ出しておきたかったって事なんじゃねぇかな」


 来栖くるすさんの説明を聞いて、真衣まいがなにやら思案顔だ。

 何か気付いた事でもあるのだろうか?


「ねぇ、その皆藤かいどうって人さぁ……」


「あぁ……」


っちゃえば?」


「ブッ!!」


 思わず来栖くるすさんが飲みかけていたグラスビールを吹きかけた。


「おいおいおい。言うに事欠いて何を言い出すんだよ、この娘はよぉ。簡単に殺すなんて言うなよ。お前なぁ、ゲームじゃねぇんだぞ、ゲームじゃ。ウチの会の中でもまだ様子見のヤツが多いんだ。そんなド派手な事すりゃ、狭真会きょうしんかい自体が空中分解しちまわぁ」


「だあってさぁ、あーし、殺されかけたんだよぉ。しかも、耳削がれて、東南アジアに売られる直前だったんだからさぁ! そんな危なっかしいヤツ、生かしておく方が世のためにならないでしょお!」


 そんな真衣まいの暴言を聞いても香丸こうまる先輩はおとがめもせず、ただニコニコと微笑みながら大きくうなずいてみせている。


 いやいや貴女アナタ、全然分かってないでしょ。

 人ひとり殺そうって話をしてんですよ? あの娘は。

 ホントにもぉ。

 なに分かった様な顔をして、うなずいてんですか?

 そんだけ飲みちらかしておいて、正常な判断ができてる訳ないでしょ?

 でもまぁね……。

 そうね、そうね……。

 だってねぇ……可愛いからね。

 許しちゃおっかなぁ……えへへへへ。


「それになぁ、こう言っちゃなんだが、あんまり内輪でゴタゴタしたくねぇんだよ。そんな事してるとよぉ、他所よその組に付け入られる可能性だってあるからな」


「あーね。そう言えば、この前私が立花の姿してる時にカラオケ店で血祭に上げたのってさぁ、どこかの他の組のチンピラだったわよね」


「そうなんだよ。確か、渋谷駅の東側をシマに持つ有沢ありさわ組のチンピラだったな。何処でどんな情報が漏れてるのかは知らねぇが、ウチの会が代替わりした事でとでも思ったんだろうよ。そんで観測気球代わりにちょっかい出して来たんだろうが……。とは言え、有沢ありさわ組は俺達と同じ上位団体を親に持つ下部組織だからな。同じ団体の中で抗争を起こすのはご法度だ。そんな事すりゃ、上位団体が黙っちゃいねぇ。最悪は喧嘩両成敗。両方とも潰されて終いだ。そのぐらいの事は向こうだって十分承知してるはずさ」


「はぁん、ヤクザ世界の常識は良くわかんないけど、そんな簡単じゃないって事だけは分かったわ。それでさぁ、話は元に戻すけど。佐竹……だっけ、アイツはどうするつもりなの?」


 そんな真衣まいからの質問に、僕は少々食い気味に反応する。


「殺す!」


「「えっ?」」


 示し合わせたかのように、驚きの声を上げる二人。

 それはそうだろう。

 答えた内容もさる事ながら、僕はこの会話に一度も参加していなかったのだから。


「おいおいおい、三代目よぉ。今までの話、全部ちゃんと聞いてたのか? ホント素人さんは簡単に言ってくれるぜぇ。人ひとりこの世から消すのは、そう簡単な事じゃねぇんだぞ」


「ゴルフ場で素人相手に殺し合いバトルロイヤルやらせてる人には、言われたくないセリフですね」


 僕の恨めしそうな言葉に、来栖くるすさんが少しばかり眉根まゆねを寄せる。


「まっ、まぁな。でもなぁ、アレはいつ死んでもおかしくない……って言うか、いつ行方不明になってもおかしくねぇ連中をかき集めてるから成り立ってんだよ。佐竹のような出所がハッキリしてる人間を葬り去るのとでは訳が違うぜ」


「へぇ、そんなモノですかね?」


「たりめぇだろ?」


 さも当然だと言わんばかりの来栖くるすさん。


「でもですよ。出所がハッキリしていようが、してなかろうが。どちらも行方不明になったらマズい、って事に違いは無さそうですけど」


 更に食い下がる僕に対し、来栖くるすさんは呆れ顔だ。


「はぁ……。そもそも今の日本で、行方不明になってる人間がどれだけ居るか知ってんのか? 一年間でおよそ八万人だ。これでも大分減った方らしいがな。しかもだ。これは警察に行方不明者届が提出された人数でしかねぇ。誰も探してくれねぇ、例えば身寄りの無ぇ行方不明者を加えれば、恐らくホントの行方不明者の人数はその数倍にも及ぶんだろうな。そんでもって、警察だって馬鹿じゃねぇし、しかも暇でもねぇ。ちゃんとした所から行方不明者届けが提出されりゃあ、それなりの調査が行われるのは確実だ。特に、今回傷害事件を起こしたばかりの佐竹が行方不明にでもなってみろ、警察だって何らかの対応をせざるを得んだろう。逆にだ。ただでさえ忙しいのに、誰からも行方不明者届けが出てねぇ人間をわざわざ探すような真似なんてする訳がねぇ。つまりはそう言う事だ」


 なるほど。

 来栖くるすさんのやってる殺し合いバトルロイヤルは、そういった統計に乗らないような人間を対象にしていると言う事か。

 逆に言えば、佐竹のようにある程度社会的に認知されている人間を物理的に葬り去るのは、来栖くるすさんの言う通りかなり難しい事なのかもしれない。


「でもさぁ、その佐竹がやったって言う武史たけしの友達殺しの件だってさぁ。結局は事故で終わらせちゃったんでしょ」


 真衣まいの言う通りだ。

 あの時僕は死んだ飯田になりすまし、意識を取り戻した事にして警察の事情徴収に応じている。その中で僕は、今回の事案は事件ではなく事故だった……と証言してみせたのだ。


 なぜそんな佐竹を助けるような真似をしたのか? ……って?


 簡単な話さ。

 あのまま致死事件になったとしても、佐竹は未成年だ。

 もちろん、実刑はまぬかれないだろうが、初犯での極刑は望めまい。

 となれば数年。いや場合よれば、十数年間は堀の中で暮らす事になる。


 十年間……長い、長すぎる。


 その間、獄中とは言え、罪を犯した佐竹がのうのうと生きているだなんて。

 そんな事、僕には耐えられない。

 ……絶対に。


 アイツの罪は僕が裁く。

 司法の手になんて渡すものか。

 当然、ヤツに下されるのは極刑だ。

 しかも、ひと思いに殺すなんてとんでもない。

 甚振いたぶって、甚振って。

 最後は『頼むから殺してくれ!』と懇願するようになるまで、延々と生き地獄を味わわせてやるっ!


「いいんだよ、それで。三代目もそれで納得してる。そもそも、こんな所で警察に目ぇ付けられる訳には行かねぇんだ。なんにせよだ。忘れねぇでもらいたいのは、俺達の最終目的は、この世界の何処かに居る全能神を殺す事だ。それ以上でも、それ以下でもねぇ」


 来栖くるすさんは元々クロと志を同じくする人間で、その隠れ蓑として狭真会きょうしんかいを活用していただけなのだ。

 それ以外のメンバーも全てクロの眷属……あぁ、北条君と車崎くるまざきさんはまだ正式な眷属では無いけれど。少なくとも僕たちの素性を知った上で協力すると言ってくれている。実質、眷属と言っても過言では無いだろう。

 つまり、ココに居るメンバー全員が『神殺し』を承諾したメンバーだと言える訳だ。


「そのためには、戦力がいる。戦力とはつまり暴力だ。そう考えたら、このヤクザ組織は、戦力としては申し分がねぇ。なにしろ、ある程度の非合法はまかり通る裏の世界の住人たちだからな。この力を活用しない手はないだろ? なぁ、三代目」


 確かに、神を殺すとなれば、教団と真っ向から勝負する事になる。

 正直なところ教団幹部とまともに戦えるのは、祝福を受けた能力者である僕たちだけだ。

 とは言え、教団内には普通の人間も山のように居る。

 実際に教団側と戦争が始まった場合、教団側が信者と言う名の肉の壁をつかって防備を固める事は想像に難くない。その防壁を祝福を受けた能力者が全て突き崩す……と言うのは正直キツイ。物理的にも、そして精神的にも……。人には人が、能力者には能力者が対応する。それが最も順当な戦い方なのではなかろうか。

 そう考えた場合、やはり暴力団を配下に持つと言うのは有効な戦略の一つだ。

 とにかく、選択肢は多いに越した事は無い。 


「えぇ、まぁ。そうですね、そうなりますよね」


 来栖くるすさんは少し僕の事を勘違いしているようだな。

 だけどまぁ……良い。特に理解して欲しい訳でもないし。

 ここは話を合わせておくべきだろう。

 わざわざ今の段階で、事を荒立てる必要は無いのだ。

 だいたい、佐竹を殺すのはいつでも出来る。

 なんだったら、皆には内緒で実行に移してもいい。

 誰の許可もいらないし、誰にも文句は言わせない。

 なにしろ、そうするだけの力が、僕にはあるのだから……。


 ふと顔を上げれば、視界の端でクロの瞳が微かに光った様に見えた。

 いや、光った様に感じただけ……か?

 僕はあえて確かめようとはせず、平静を装ったまま、氷のなくなったコップに口を付けた。


「なんにせよだ。いま皆藤かいどう叔父貴オジキと本気で事を構える訳には行かねぇからな。ここは穏便に上納金の支払いか何かで優遇してやりゃあ、機嫌も直るんじゃねぇか?」


「そんじゃ、あーしの耳、削がれ損じゃんっ!」


「まぁ、そう怒んなって。実際には耳だって残ってるし、東南アジアにも売り飛ばされてねぇんだからさぁ。でもまぁ、暫くはその格好であんまり事務所に出入りすんじゃねぇぞ。出入りする時は立花さんの格好にしろよ。じゃねぇと、耳どうなったんだって話になるからよ」


「そんな事ぐらい、言われなくったって、わかってるわよっ!」


 真衣まいは不貞腐れた様子で山盛りのフライドポテトをフォークで串刺しにすると、躊躇ためらう事なく自分の口の中へと放り込んで行く。


 おいおい真衣まい

 そんなにポテトばっかり食べてると太るよ。


 食欲旺盛な真衣まいの姿に、思わず頬が緩む。

 丁度その時。


 ――ブゥゥン、ブゥゥン……ブゥゥン、ブゥゥン……


 微かな振動音。


 ん? 電話か?


「はい、車崎くるまざきです」


 おもむろに車崎くるまざきさんが携帯電話を耳元に。


「はい……はい……え!? ……そうですか。……はい……直ぐに戻りますので」


 言葉を交わすたび、車崎くるまざきさんの顔から血の気が引いて行くのが手に取る様に分かった。

 恐らく、何か良くない事が起きたのだろう。

 少なくとも、それだけは間違い無さそうだ。


「……はい……外出は控えて、決して早まった行動は取らないように。……はい……はい。……お願いします。……では」


「どうした? 何かあったのか?」


 来栖くるすさんが怪訝そうに眉をひそめる。


「はい。たったいま、ウチの事務所にチャカをもった男が乱入して来たそうです」


「鉄砲玉か!?」


「恐らく」


「被害は? その男は掴まえたのか?」


「はい。組員の一人が腕に一発喰らいました。しかし、命に別条は無いそうです。また、乱入して来た男も取り押さえました。だた……」


 ここまでは感情を極力押し殺し、機械的な応答に徹していた車崎くるまざきさん。流石は事務屋のかがみと言う所か。しかし、そんな彼がここに来て少し口ごもる。


「ただ……なんだ?」


「真偽のほどは分かりませんが……取り押さえた鉄砲玉の話では、今日の昼頃、皆藤かいどう組長が自宅のマンションで殺されている姿が発見されたそうです。それが原因でウチの事務所にカチコミを掛けたようで」


「どっ、どう言う事だ!? 組員ウチの誰かが先走ったのか?」


「分かりません。少なくともそう言う報告は聞いておりません」


「くっそぉ、マジか……」


 僕たちの視線が集中する中。

 来栖くるすさんは両腕を組み、天井を見つめたままの格好で押し黙ってしまった。


 長い沈黙。

 やがて、業を煮やした真衣まいが、不躾にも自分の不安を上乗せした強い口調で問い質し始める。


「ねぇ、それって、どうなるの? なんかめっちゃマズそうなんだけど!」


「……そうだな。マズい。非常にマズい状況だ。なにしろ組同士が揉めてる最中に、親のタマぁ獲られたんだからな」


「でもさぁ、その組長殺しって、ウチらは全然関係無いかもしんないじゃん!」


「いや、そう言う事は問題じゃねぇんだ。タイミングが悪ぃ、マジでタイミングが悪すぎる。もう後戻りは出来ねぇ……さいは投げられたんだ」


 再び黙り込む来栖くるすさん。

 恐らくこの後に起こるであろう最悪の事態について、深く考えを巡らせているに違いない。

 その様子を見た車崎くるまざきさんが小声で話し掛ける。


若頭カシラ、とりあえず事務所に戻りましょう。ここでは手の打ちようもありません。場合によっては組員の暴走を抑える必要もありますし」


「……そうだな。まずは一旦事務所に戻るか」


 来栖くるすさんは車崎くるまざきさんからの助言を受け入れ、おもむろに席を立とうとしたのだが。


「……待てっ! 動くなっ!」


 その行動をクロが突然制止する。


 どうしたんだよクロ。

 今は緊急事態なんだぞ、これはヤクザ組織の問題だ。

 少なくとも、クロの出る幕は……。


 そう思いながらも、クロの方へ目を向けると。


 ……えっ!?


 そのあまりの変貌ぶりに、思わず息を飲んでしまう。


 それもそのはず。

 彼女の短い髪は総毛立ち。

 その端正な顔には、険しさの中にも警戒の想いが色濃く浮かんで見える。

 まさに一触即発。

 臨戦態勢へと移行した彼女の姿がそこにあったのだ。


「く……クロ……?」


「黙れタケシ。説明は後だ……ゆっくりだ、ゆっくりと振り返ってみろ」


 有無を言わさぬ彼女の声。

 その言葉に従い、僕は恐るおそる振り返る事にしたのさ。


 背後には、何の変哲も無いガラス製の仕切り壁が。

 そして、その向こうには多くの客に交じって、数人の店員たちが垣間見える。

 表面的には何の変哲も無い日常の風景……のはずが。


 ――ゴクリ……


 ようやくその違和感に気付いた僕は、大きく目を見開いたまま、固唾を飲みこむ事しか出来ない。


 さもあろう。

 つい先ほどまで、あれだけ騒々しかった店内はひっそりと静まり返り。

 視界に入るの人々は、うつろな瞳のまま茫然ぼうぜんとその場に立ちつくしていたのだ。

 しかも彼らの瞳は、すべからく僕たちの事を見つめていて。


 客も店員も。

 そう、一人残らず……全員が、僕たちの事を……。


「マズいぞタケシ、気付くのが遅れた。どうやら囲まれたようだ。しかもだ……」


 しかも?


「既にが張られている。どうやら、投げられたさいとやらは、最悪の出目だったようだな……」


 くっそ! マジか!

 教団かよっ!!

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