第142話 宝具で準備万端

「その真瀬さなせ先生が殺したって言う若い男の人って、結局誰だったんですかねぇ」


 そんな僕の素朴な疑問に、来栖くるすさんは困惑したような表情を浮かべた。


 死体処理チームの話によると、送りつけられて来た耳は死体となった若い男の耳だったそうだ。恐らく真瀬さなせ先生が機転を利かせ、真衣まいの耳を削いだと見せかけて、この男の耳を差し出してくれたのだろう。

 もちろん、その男の死体は既にレッサーウルフの腹の中だが。


「さぁな。俺も仏さんの顔を確認したが、見た事の無ぇ顔だったんだよなぁ。となると、今回の事件を隠蔽いんぺいするために外の人間を雇ったって考えるのが筋ってモンだが。でもなぁ、わざわざ自分の名前を出した上で、削ぎ落した耳まで送りつけて来た訳だし。……正直、意味がわかんねぇんだよな」


 来栖くるすさんを悩ませる問題は、当然これだけでは無い。

 少なくとも皆藤かいどう組長が僕の三代目襲名に対して、異議を唱えるであろう事は既に織り込み済みであった。


 来栖くるすさんの話では、皆藤かいどう組長は昔気質むかしかたぎのヤクザ者で、しかも暴力至上主義。短気で面倒な事は大嫌いだと言う。

 恐らく今回の襲名に関する不満も、本人が単身狭真会きょうしんかい事務所に乗り込んで来てひと暴れ。言いたい事を言い散らかした上で、自分の都合の良い条件を押し付けて来るだろう……と予想していたのだ。

 当然、来栖くるすさんの方もそれを見越して、慰労金と言う名の示談金や若頭補佐のポストなど、予め交渉の準備もしていた所だったのである。


 しかし思惑は大きく外れ、皆藤かいどう組長はいきなり幹部関係者を誘拐した挙句に殺そうとまでする始末。これは狭真会きょうしんかいを二分しかねない暴挙だと言っても過言では無い。


「はぁ……」


 大きくため息を付く来栖くるすさん。

 僕は少し重くなった雰囲気を変えるべく、今度は香丸こうまる先輩に話しを向けてみた。


「そう言えば、真衣まい綾香あやかを助けてくれたのは、香丸こうまる先輩だったんですよね。流石です先輩。お手柄でしたね! でも、先輩も他の男たちに誘拐されそうになったって聞いたんですけど、一体どうやって抜け出したんですか?」


 あの日、誘拐された二人を救出したのは誰あろう、香丸こうまる先輩だった。しかも後で真衣まいから聞いた話によると、香丸こうまる先輩自体も真衣まい綾香あやかと同じような手口で偽タクシーに乗せられ、拉致されそうになっていたらしいのである。

 ではなぜ香丸こうまる先輩だけが誘拐もされず、二人を助ける事が出来たのだろうか?


「そうそう! ねぇ犾守いずもり君、ちょっと聞いてよぉ! 実は大変だったのよぉ!」


 彼女はタルタルソースたっぷりのシュリンプフライを手に持ったまま、テーブルの上へと身を乗り出して来る。


 いやいや、香丸こうまる先輩。

 そんなに身を乗り出しちゃ駄目ですよ。

 マジで目のやり場に困りますって。


 彼女の着ている服がエロい訳では決して無い。

 どちらかと言えば、地味めで清楚系とも言えるオフホワイトのワンピースだ。

 にもかかわらず、彼女がテーブルの上に身を乗り出すと。


 あぁ、あぁ……。

 乗ってますよ!

 えぇ。みごとなほどにね。

 テーブルの上にね。

 どどーんとね

 二つね。

 たわわなヤツがね。

 たわわ、たわわとね。

 どうしましょうかね、これね。

 いや、僕にはどうしようも無いんですけどね。


 確かにどうしようもない。

 どうしようもないので、とりあえずしっかりと目にだけは焼き付けておく事にしよう。


「でさぁ、最初に寄ったドンキーでね、私に会うサイズが全然無くってさぁ!」


 ん? ドンキー?


「それで、タクシーの運転手さんにして、何軒かハシゴしてもらった訳なのよぉ!」


 んん? ハシゴ?


 この娘は一体何を言っているのだろうか?

 微妙に……どころか、会話自体が全然成り立っていない。

 彼女と僕の世界線は、どうやら完全にねじれの位置にある様だ。


香丸こうまる先輩、もしかして……もう飲んでます?」


 そんな僕からの無粋な質問に、彼女は軽く桜色に染まった頬をぷっくりと膨らませて見せる。


 なに?

 このめっちゃ『かわよ』な生物は?

 年上なのに、先輩なのに。

 めっちゃめちゃ『かわよ』じゃん。


「なによぉ、まだ飲んで無いわよぉ、失礼ねぇ。だいたい私が本気で飲み始めたらさぁ……あっ、お姉さぁんっ!」


 まだ話の途中にもかかわらず。

 彼女は偶然通りかかったウェイトレスを呼び止める。


「すみません、白のマグナムでお願いしまーす!」


 言うてるやん。

 て、言うてもうてるやん。


 って事は、僕たちが来る前に一本空けてるって事でしょ?

 まだ飲んで無いって、どう言う事?

 つまり、今飲んでる分については、飲んだうちに入らないって事なの?


 僕はこの状況に理解が追いつかず、助けを求めるべく香丸こうまる先輩の隣に座る綾香あやかへと視線を向けてみた。

 すると彼女は、呆れたように指を三本立てているではないか。


 え? マジか。

 三本目なの?

 これ?

 めっちゃ飲んでるじゃん。

 マグナムボトルって、千五百ミリリットル入ってんでしょ?

 とりあえず真衣まいと二人で飲んでるんだとは思うけど。

 それでも、既に二リットルぐらい飲んでるって事だよね?

 いやいやいや。

 ないわー。

 全然考えらんない。

 僕は未成年だからお酒飲んだ事ないけど。

 アルコールって、一人で一リットル以上も飲めるものなの?

 僕なんて水でも一リットル飲めないよ。

 しかも、その結果が少し頬が赤らむ程度って……どうなってんの?

 まぁ、会話は既に成り立ってはいないけども。


「ちょちょちょ、チョット待て、待つのだ!」


 僕が呆れた様子で香丸こうまる先輩の事を眺めていると、その横で穴が開くほどメニューを見つめていたはずのクロが血相を変えて止めに入って来た。


「給仕の者を呼ぶのは私の役目だと言ったろう!? 勝手に呼ぶんじゃない! だいたい、お前もおまえだ。自分の眷属けんぞくとなる奴隷が勝手な振る舞いをしないよう、常に注意するのは主人の勤めと言うものだぞ! 本当にもぉ、奴隷も奴隷なら、主人も主人だっ!」


 なんか知らんけど、僕までクロに怒られちゃったよ。もぉ!

 って言うか、香丸こうまる先輩は僕の眷属かもしんないけど、僕だってクロの眷属で奴隷だかんね。つまり、僕のミスはクロのミスなんじゃないの?


 もちろんクロにそんな事を言える訳もなく。

 しかも彼女は少し不満気な僕の事など完全に無視。

 いまや一張羅となったタンクトップの胸元から、どこか見覚えのあるプラスチック製の丸い玉を取り出してみせた。


「ふっふっふ。ぽちっとな!」


 ――ピンポーン


 あ、それって……。


「どうだ、タケシ。驚いたであろう!? これは魔法の玉だ。恐らく何らかの宝具に相違ない。押すと遠くで音が鳴ってな、給仕の者がやって来ると言う優れモノだ!」


 いやいやいや。

 それって単なる呼び出しボタンだから。

 全然魔法じゃないから……って言うか。


 あぁ……もぉ。

 嬉しそうなのは良いんだけど。

 また胸元に仕舞っちゃ駄目だって!

 だから、持って帰っちゃ駄目なんだって!


「こらこらクロ。それ、お店の備品だから持って帰っちゃ駄目だよ!」


「なんだ、タケシ。お前もこの宝具が欲しくなったのか?」


 ニヤリと笑うクロ。


 いやいや、いらねぇよ。

 って言うか、宝具でもなんでも無ぇし。

 単なる電化製品だから。

 って言うか、持って帰っても使い道無いから。

 自宅で押しても、ウェイトレスさん来てくんないから。

 もしホントに来てくれるんなら、マジで争奪戦だわ。


「仕方が無いのぉ。タケシは一番奴隷でもあるしな。一回だけだぞ、本当に一回だけだからな!」


 なぜか優越感満載の彼女は、いま胸元に仕舞ったばかりの呼び出しボタンを再び取り出すと、そっと僕の手に握らせてくれる。


 あぁ……暖かい。

 クロの温もりと優しさが伝わってくるようだよ。

 なんか、この温もりを感じていると、ちょっと違う所もホットな気持ちになりそうだけど……。


「って言うか、これはお店のモノなので、持って帰っちゃいけませーん」


 僕は無情にもクロから一番遠いテーブルの端に呼び出しボタンを置いてしまう。


「あっ! こっ、コラッ! タケシッ! 何と言う事をするんだっ! 他の者に宝具を奪われたらどうするっ!」


 誰も取らねぇよ。

 って言うか、全部のテーブルに一個ずつ置いてあるっちゅーの。


 いまだギャーギャーと騒いでいるクロを後目に、僕は既に何杯目かもわからぬ白ワインを美味しそうに口へと運ぶ香丸こうまる先輩の方へと向き直った。


「で、先輩。結局どうやったんですか?」


「聞きたい?」


 なにげに、小悪魔的な笑みを浮かべる香丸こうまる先輩。


「はい、聞きたいです」


「どうしてもぉ?」


「どうしても」


「どうしてもの、どうしてもぉ?」


「ど、どうしてもの、どうしても……」


 ちっ!

 めんどくせぇよ。

 ホント、マジめんどくせぇよ、香丸こうまる先輩っ!


 でも……。

 でも、可愛いから……。

 許す。


 そんな、どうでも良いやり取りをしながら二人でイチャイチャしていたら。

 香丸こうまる先輩の隣に座る綾香あやかが突然、先輩のスカートをめくり上げたのだ。


「いやぁーん!」


 なぜか少し嬉しそうな香丸こうまる先輩。

 一方綾香あやかは完全に呆れ顔だ。


「これよ、コレ」


 え? ナニ、これって!

 スカートの中?

 謎の答えは、スカートの中にあるって言うのかっ!?

 そう言う事?

 そう言う事なの!?

 神秘のベールに包まれた女体の謎は、そのオフホワイトにスカートの中に隠されているって言うのかっ!

 なんと言う事だっ!

 それは是非とも探索せねばなるまい。

 全身全霊をもって、今すぐにでも探検におもむかねばなるまいてっ!

 じっちゃんの名にかけて、真実はいつもひとーつっ!!


「なに、いまさら顔を赤らめてんのよ。そうじゃなくて、これよ、コレ。そっちからも見えるでしょ? この白いプラスチックみたいなヤツ」


「え? プラスチック?」


 綾香あやかが実際にめくり上げたのは、ほんの膝丈程度まで。

 そこから覗く香丸こうまる先輩の美しいおみ足には、確かに白いプラスチックの様なモノが貼り付いていて。


「これが本物の宝具よ。第二級聖遺物『アレクシアの鎧』。クロちゃんがこっちの世界に来る時に持って来てたんだけど……って言うかアナタ、私と一緒に高尾山の麓まで取りに行ったじゃない」


「あぁ……あの時のヤツか」


 確かにクロが宝物を墓地の何処かに隠したとかで、皆で取りに行った事があったな。それでもって、運悪く教団のヤツらとも戦う事になって……あの時はホント酷い目にあった。


「この『アレクシアの鎧』は本当に凄いのよ。神の祝福を持たない人であっても、魔力さえあればアレクシア神の祝福を受けた人と同じ能力を発揮できるの」


「え? マジか」


 流石は綾香あやかだ。

 いつもクロに付きっきりで、単なる猫好きなのかと思ってたけど。

 いやいやどうして。クロから色々と情報を引き出していたらしい。


「アレクシア神は戦闘の神。その戦闘の神様が身に着けていた鎧って言うのが、コレだと言われているらしいわ。ちなみに、第二級聖遺物は神が所持していた物や身に着けていた物の事で、第一級聖遺物になると神の髪や骨、血液などが含まれるらしいの。後は第三級聖遺物って言うのもあるそうけど、これは第一級聖遺物や、第二級聖遺物に触れた物が含まれるそうよ」


 って事はだ。

 その第二級聖遺物ってヤツを身に着けている香丸こうまる先輩は、既に第三級聖遺物に昇格って事だな。

 うむ、確かに。

 彼女のダイナマイトボディは聖遺物として……いや国宝として……いやいや、世界遺産として、後世に伝え残して行くべきものであろうな。

 うんうん。あなかしこあなかしこ。


 てな事はどうでも良くって。

 既に出来上がり気味の香丸こうまる先輩からは、何の情報も聞き出せず。

 結局、詳細については、情報通の綾香あやかに教えてもらう事に。


 彼女の説明では『アレクシアの鎧』はサイズ的にクロも綾香あやかも使いこなす事が出来ず、その結果香丸こうまる先輩に下賜される事になったそうだ。


 要するに、大人の女性でないと使いこなせないと言う事なんだね。

 サイズはサイズでも、色々なサイズ的にね。

 ボン、キュッ、ボンッ!

 みたいなサイズ的なヤツね。

 うんうん。なるほど、なるほど。


 もちろん、紳士じぇんとるまんな僕は、そんな事はおくびにも出さないよ。

 当たり前じゃないか、やだなぁ、もぉ!

 とはいえこの話を聞いた直後、綾香あやかが僕の左のほっぺをこれでもかとツネってきたのは一体なぜなんだろうな?

 ……解せぬ。


 そして、アレクシア神の祝福は『人体強化』だ。

 祝福を受けた人の筋力は強化され、外部からの攻撃に対する防御力も飛躍的に向上する。

 その良い例が、真瀬さなせ先生だろう。

 彼女は天然もののアレクシア神の祝福保持者だ。


 しっかし参ったなぁ。

 あんな筋肉馬鹿が二人になるなんて……。


 いやいや、待て待て。

 香丸こうまる先輩は別に生まれながらの筋肉馬鹿ではなくて、後天的に宝具によって能力を使える様になっただけだからな。

 真瀬さなせ先生と一緒にするのは、失礼極まりない。


 と言う事であの日、まだ酔う前の香丸こうまる先輩は用心の為に一度自宅へと戻り宝具を装着。準備万端、万全の態勢で飲みに出かけたらしい。


 準備万端、万全の態勢て……。


 その後、自宅のマンションから出た所で、例の偽タクシーに乗ってしまったそうなのだが。もちろん、万全の態勢である香丸こうまる先輩は慌てない。

 もしもの事を想定し、運転手の首根っこを押さえつけて言う事を聞かせつつ、ドンキーをハシゴ。三軒目にしてようやく欲していたを手に入れたそうだ。


 うん、やっぱり香丸こうまる先輩も筋肉馬鹿の仲間かもしんない。

 飲んでる時限定だけど。


 とは言えだ。

 おそらく、タクシーの中で誘拐されたと感じた彼女は、素面のままではヤバいと考えたのだろう。

 仮装の衣装を選ぶフリをしながら、ドンキーでお酒も買い込んでいたに違いない。

 でもまぁ、日頃は大人しくって緊張しぃの香丸こうまる先輩が、お酒の力に頼ってでも皆を助けようとしてくれたのには、ホント頭が下がる想いだ。


 僕は今回一番の功労者である香丸こうまる先輩に感謝の意を込めつつ、彼女の持つグラスへなみなみとマグナムボトルの白ワインを注いであげる事にしたのさ。


 って言うか、先輩の持ってるそのグラスって、ビールの大ジョッキじゃん!

 ワイン飲む前にビール飲んでるよね。

 絶対コレ、ビール飲んじゃってるよねっ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る