第141話 きゃぱい

「あぁ……犾守いずもり君、ちょっと……ちょっと、いいかな?」


 背後から聞こえる覇気のない声。

 覇気が無い……と言うより、少しオドオドした感じ……と言った方がより分かりやすいか。


「何か?」


 返事はしてみたものの、僕は振り向きもせず。

 まるで何事も無かったかのように下足箱から自分の靴を取り出そうとする。


 時刻は午後四時を少し過ぎたあたりか。

 この学校は部活動やサークル活動が盛んで、僕のような帰宅部は少数派だと言って良い。

 その所為もあってか、この時間帯に生徒用玄関の人影はかなりまばらだ。


「あぁ……そのぉ、なんだな……」


 この人はいつもこうだ。

 歯切れが悪く、何が言いたいのかさっぱり分からない。

 大人として……いや、学府ナンバーツーの肩書を持つ者として、流石にこの対応は無いんじゃなかろうか。


「なんですか? 教頭先生。迎えを待たせていますから、何か言いたい事があるなら早くおっしゃって下さい!」


 僕は苛立ちを隠しきれないまま、振り向きざまにそう言い放ってしまう。

 一介の生徒にそうまで言われたのである。

 教頭先生としては、引き下がる事など出来ようはずもない。

 しかし彼は、一切いっさい僕と視線を合わせようともせず。

 その代わりと言ってはなんだが、彼の肩越しには数人の教師たちがおそるおそるこちらの様子を伺っているのが垣間かいま見えた。


 教頭なんて肩書は大層ご立派だが、所詮は宮勤めの使い走りか?

 とは言え、彼にも立場と言うものがあるのだろう。

 これ以上彼を追い込むのは止めておいた方が良さそうだ。


 僕は沸々と湧き続ける苛立ちをグッと押さえ込みながら、彼が発するであろう次の言葉を待った。


「いや……な、なんでも……。き、気を付けて……帰りなさい」


 ふん、なんだよそれ。

 いつもと同じじゃないか。


 どうやらこの僕と言う存在は、彼の管理能力の限界を越えた外にあるらしい

 つまり、完全にキャパシティオーバーだと言う事だ。

 僕は呆れた表情できびすを返すと、そのまま校舎の外へと向かって歩き始めた。


 結局、あの人は何が言いたかったのか?

 いまだにサッパリ分からない……と、言うのは真っ赤な嘘で。


 彼が僕に言いたかった事。

 それは……。


「お疲れ様っす!」

「お務めご苦労様です!」

「お疲れっス!」


 僕が玄関の外に姿を見せるやいなや。

 一斉に腰を屈め、挨拶の声を上げる強面こわもての男たち。


 いやいやいや。

 お務めは無いでしょうよ、お務めは。

 それじゃあ、まるで僕が服役してたみたいじゃないですか。

 やだなぁ、もぉ!


 そんな男たちの居並ぶ先には、黒塗りの高級セダンが当然のように横付けされている。


「会長、お待ちしておりました。本部長が中でお待ちです。どうぞこちらへ」


 運転手の男がそっと後部座席のドアを開けてくれた。


犾守いずもりさん、お疲れ様です」


 困惑した僕をにこやかに出迎えてくれたのは高級そうなスーツに身を包む車崎くるまざきさんだ。


「ホントにもぉ、勘弁して下さいよぉ、車崎くるまざきさぁん」


 少し前までは北条君の秘書みたいな仕事をしていたはずなのに。

 今では高級車の後部座席に座る大層なご身分となっている。

 そう言う意味だと、その隣に僕が座っている事の方が異常事態ではあるんだけれどな。


「まぁまぁ、そう言わないで下さいよ。もありますし。登下校の際には当面護衛させていただきますので」


「はぁ……なんか、逆にすみません」


 この僕に護衛なんて……。

 正直な話、ナンセンスだ。


 この僕に勝てる人間なんて、世界中探しても見つける事など出来ないだろう。

 十人や二十人。

 いや、百人が束になって掛かって来ても、ノーダメージで勝つる自信が僕にはある。もちろん、教団幹部は別としてだけど。


 とは言え……だ。


 来栖くるすさんに言わせれば、生身の人間が徒手空拳で挑んで来ると考えている事自体、僕が平和ボケしている証拠だそうだ。

 少なくとも相手はヤクザだ。

 いくら平和な日本とは言え、それなりの武器・弾薬を保持している可能性は高い。


 となると、急に話は別になるんだよなぁ……。


 恐らく鉛玉の一発や二発、体に撃ち込まれようとも耐えられるに違いない。

 しかし、その一発がもし頭部に当たったとしたら?

 心臓を一ミリの狂いも無く撃ち抜かれたとしたら?

 即死は一発でアウトだ。

 となると、この体だって決して無敵では無い。

 更にだ。

 その一発が流れ弾として見ず知らずの人を傷つけたとしたらどうだろう?

 それはそれで、寝覚めも悪いと言うものだ。


 そう考えれば、多少仰々しくはあるけれど。

 こうやって肉の壁を構築し、僕は用心してますよ……と周囲にアピールをする事自体、本人を守るのはもちろんの事、最終的に市井しせいの安全にもつながっていると言えなくも無い。


 武力保持による抑止力とはまさにこの事だな。

 そう言う意味で言えば、先生や生徒、ご近所の皆さんたちからだって、感謝してもらってもバチは当たんないんじゃないかな?

 つまり、この地域の安全を守っているのは、この僕って事だからね!


 ……。


 いやいや、流石にそれは言いすぎか。

 それじゃあ、マッチポンプもはなはだしい。

 実際問題、僕が居なければ誰も危険な目に会う事も無いわけだし。


 ただまぁ、以前だったら意図的に無視される……みたいな陰湿なイジメとかもあった訳だけど。最近じゃ無視されると言うよりは、僕の存在自体を恐れて遠巻きに見ている……って感じがするんだよな。

 僕が廊下を歩くだけで、モーゼよろしく人の波が左右に避けて行くんだから。

 まぁ、それはそれで笑えるっちゃあ笑えるよな。あはははは。


 やっぱ、持つべきモノは圧倒的な暴力だ。

 間違い無い。


 そんな風に、多少変な感じで達観たっかんしまくりの僕を乗せた車は一路大通りを西へ。


「あれ? 車崎くるまざきさん、今日は方向がいつもと違いますね。渋谷の事務所じゃないんですか?」


「えぇ、先日の件もありましたので、今日の幹部会は別の場所で執り行う予定なんです」


 なるほど。


 狭真会きょうしんかい内部には舎弟頭である 皆藤かいどう組長に近い組員も少なからず存在する。

 あのBobyや真瀬さなせ先生が良い例だ。

 となれば、どこからどう情報が漏れるのか分かったものでは無い。

 情報漏洩の阻止に加え、身の安全を確保するためにも、幹部が集う場合は別の場所の方が良いと言う判断か。


 しばらくすると、車は郊外にあるファミリーレストランの駐車場へと入って行った。


「え? ここ? ファミリーレストランですけど?」


「えぇ、そうです。ファミレスです。実はここのオーナーが北条さんのお知り合いでして。悪夢ナイトメアのチームも良くたまり場として使ってた場所なんですよ」


 あぁ、なるほど。

 北条君とは長い付き合いのある車崎くるまざきさんの事だ。

 つまり、彼ならではの選択って事か。


 僕たちを乗せた黒塗りの高級車は、ファミリーレストランの入り口前で静かに停止。

 運転手が先に降り、後部座席のドアを開けてくれる頃には、車からファミレスの入り口まで組員による肉の壁が構築されていた。


 凄い手際だな。

 どこぞの国のシークレットサービスたちですら驚くほどのスムーズさだと言って良い。

 だいたい、車からファミレスの入り口なんて、ほんの数メートルほどしか無いんだよ。それなのに、ここまで徹底する必要なんてあんのか?


 色々と腑に落ちない点もあるにはあるが。

 なんやかんや言っても、この人たちだってその道のプロだ。

 ド素人が下手な事は言わず、唯々諾々いいだくだくと従っておくのが一番だろう。


 独りで勝手に納得した僕は車崎くるまざきさんに先導されるがまま、暑苦しい男たちの間を通ってファミレスの入り口へ。 


「それじゃ、時間になったらまた連絡するので、それまで少し時間を潰して来て下さい」


「はい、承知しました」


 車崎くるまざきさんは自分の財布から数万円を取り出すと、一番手前に居た男の手に軽く握らせる。


 すげぇ。

 パット見だったけど。

 車崎さんの財布には、センチ単位の札束がぎっちり。

 やっぱり組織の上の方になると、金回りって良いんだなぁ。

 って言うか、時間を潰して来いって事は……。


「ねぇ車崎くるまざきさん。護衛の人たちって一緒に入らないんですか?」


「えぇ、元々があのような強面の方たちなので、ファミレスの中に連れて行くのもどうかと思いまして」


 ……確かにそうね。


 どこからどうみても反社な人たちではある。

 そんな連中を引き連れてファミレスに入るって言うのも確かに気が引けるし、確実に営業妨害だと言えるだろう。


「それにですね、まだメンバーのスクリーニングが終わってませんので」


 スクリーニング?

 あぁ、なるほど。あのメンバーの中には、もしかしたらスパイが居るかもしれない……って話か。


 それであれば、距離を取るのも致し方ない。


「おぉ、こっちだ、コッチ!」


 広い店内の一番奥。

 ガラスに仕切られたコーナー席で、大きく手を振る人がいる。

 元々は喫煙席として造られた場所のようだが、今はウチのメンバーが完全に占拠している状態だ。

 確かにアレなら僕たちの話している内容は外に漏れにくいだろう。

 ガラス張りだから、もし不穏な連中が店に入って来たとしても、すぐに気付く事も出来る。


 昔の武士ははかりごとを相談する際、全ての襖を開けその部屋の中央で話し合ったと聞いた事がある。

 まぁこれがその現代版であると言えなくも無い……と言うのは少々持ち上げすぎか?


「遅かったな、三代目ぇ」


 半笑いで声を掛け来たのは来栖くるすさんだ。

 僕がこう呼ばれるのを嫌がっていると知ってての所業だ。


 大人のクセに、ホント、子供みたいだよなぁ……。

 まぁ、単なるアダ名だと思えば、どうと言う事も無いんだけど。


「えぇ、すみません。ちょっと授業が長引いちゃって」


 大きな二つのテーブル席に座るのは全部で七名。

 手前のテーブル席には僕の他に、来栖くるすさんと、車崎くるまざきさん。隣のテーブル席には香丸こうまる先輩に真衣まい、そして綾香あやかが制服姿のまま参加している。

 本来であれば北条君も参加するはずなのだが、残念ながら今日は通院があって遅れて来るらしい。


 おっとそれから、忘れちゃいけないがもう一人。


「おぉクロ。今日はめずらしく人の姿なんだね」


「……」


 おっと、無視かよ。


 日頃は魔力を節約セーブするためとか言って、ずっと魔獣の姿で通してたのに。今日はどう言う風の吹き回しか、人間の姿でカラフルなメニューと絶賛にらめっこをしているようだ。


 なんだか、食う気満々みたいな感じだな。

 半開きになった口からヨダレが滝のようになってこぼれ落ちてるし。

 めちゃめちゃ食い意地張ってるようにみえるけど……って、それはいつもの事か。


 あれ、そう言えばクロをファミレスみたいなお店に連れて行った事って無かったな。だいたい、こう言うお店はペット持ち込み禁止だし。

 ん? ……あぁ、それで今日は人間の姿をしてるのか。

 確かに、いつも食べてるのは、僕が作った簡単な料理か弁当ばかりだったものなぁ。こんなにカラフルで美味そうな料理を見たのはコッチの世界に来てから、初めてなのかもしれない。


 ようやく納得した僕は、あらためて今日参加しているメンバーをぐるりと見回してみる。


 そう言えば、ウチのメンバーって案外若いよな。


 狭真会きょうしんかいの幹部会と銘打ってはいるが、外から見れば大学のサークル活動か何かにしか見えないだろう。

 来栖くるすさんや車崎くるまざきさんは十分大人だが、それ以外は全員が十代後半と二十代前半だ。

 本当にこんなんで狭真会きょうしんかいをまとめて行けるのかと不安になるけど……。まぁ中身は別として表面的には会長代行の立花も居るし、北条君も加われば真っ当と言えば真っ当なメンバーなのかもしれない。


「しっかし、大変な目にあったようだな」


「ホントもう、アタシ死ぬかと思ったのよっ!」


 テーブルの向こう側では来栖くるすさんと真衣まいがオーロラソース付きのポテトを頬張りながら、不機嫌そうな顔つきでクダを巻いているようだ。


 事件の直後、真衣まいは泥酔して眠りこける香丸こうまる先輩の持ち物の中から偶然にも携帯を発見。

 すぐに僕たちと連絡が取れて、三人は無事保護される事に。

 その後来栖くるすさん直下の死体処理チームも駆けつけて、後処理の方も全て完了している。


「だいたい、なんで私たちがあんな酷い目にあわなきゃなんないの! って話よ」


「まぁ、そう言うな。お前達だって犾守三代目の女だって認められた訳なんだからさぁ、悪い気はしねぇだろ?」


「まっ、まぁね。そう言う意味ではね……」


 おいおい、真衣まい君。

 ホント、キミは突然何を言い出す事やら。

 まさかキミは僕の女で良かったと言っているのかい?

 僕は高校生でしかないんだよ。

 あぁ、確かに何度かヤッたよ。

 確かにヤッっちまったよ。

 でも、キミってさぁ「ちょっとエッチしたからって、勝手に彼氏ヅラしないでよねっ!」って言うタイプだよね。

 そうだよね、そんな感じだよね。

 いやぁ、びっくりだわ。僕的にはかなりビックリ。

 って言うか、その話を香丸こうまる先輩や綾香あやかが居る前でスルって言うのはどうなんだろう。

 それって、どうなんだろうなぁ。うんうん。

 マーキング?

 もしかして、マーキングしてるの?

 それってつまり、僕に対して嫉妬してるって言うか、独占欲みたいな感じで他の人に渡したく無いって言うかぁ……。

 いやぁ、あはははは。モテる男は辛いなぁ!

 あははははは。


「……って、そんな訳ないでしょ!」


 うぉう!

 乗りツッコミ。

 十分な間を確保した上での乗りツッコミかよっ!


「だよなぁ……」


 来栖くるすさんまでっ!

 来栖くるすさんまでが、僕の存在価値を全否定って、どう言う事!

 それって、どう言う事なのっ!

 僕って三代目なのにっ!

 貴方よりずっと偉い立場だって言うのにっ!


「そんな事よりさぁ……」


 そそそ、そんな事っ!

 僕の事は『そんな事』なの?

 ねぇ、僕ってその程度の男だって事?

 ねぇ! ねぇ!!

 教えてっ!

 教えてっ! ドラ〇もんっ!


「あの時はさぁ、結局人がひとり死んでんのよぉ! まぁ、実際に殺したのは私じゃなくて真瀬さなせ先生だったけどね。でも、そんなの一般人の私たちからしたらマジきゃぱいわけよっ! ホントもぉ、信じらんないっ!」 


 あぁ……うん。

 そうだね。

 人が死んでるんだもんね。

 ごめん、その言葉を聞いて、スン……ってなっちゃったわ。

 殺人事件より僕の方が優先だなんて、とても言えないよね。

 流石にソレは仏様に失礼だし。

 大変申し訳無い。

 うん……反省。


 って言うかさぁ。きゃぱい? って……なに? それ? どう言う意味?

 気持ち悪いとか、そんな感じの意味かな?

 でもそれだったら、キモイだよね。


 しかもそれって、僕の事を言ってるの? それとも事件の話かな? あるいは真瀬さなせ先生の事?


 えぇぇぇ。きゃぱいってどう言う意味なの?

 気になる。

 めっちゃ気になるわぁ……。

 ホント、彼女の使う言葉っていつも僕の許容量キャパシティーを越えて来るんだよなぁ……。


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補記:すみません、年度末に近付くと本業が忙しくて更新が遅れました。

   ホント、きゃぱいわ!ww

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